10 現実の壁 【10-1】

10 現実の壁

【10-1】


「この間、社長のお嬢さんが来たの、また」

「うん……」


『北島里穂』。

『SANGA』のお嬢さん。


「車を置いていくから、エンジンオイルとか見て欲しいという希望があったみたいでね」

「うん……」


定期診断の時期ではないが、少し長距離を走った後には、

よくメンテナンスを頼みに来るのだと言う。


「そうしたら、待ち合わせをここでしているからって、席に座って」

「うん」


いつものように、突然来たことでみんなが浮き足立つ中、

里穂さんは機嫌が良かったのか、待ち合わせをした彼とこれから映画を見に出かけること、

新しい車を買うのに、相談したい人がいることなど、社員達の前で語り出したという。


「私はいつものように里穂さんに飲み物を出して、仕事をしていたの。
でも、席が近いし、聞き耳を立てていたわけでないけれど、聞こえてくるのよ、話しが」


販売店の店長は、ここはチャンスとばかりに、里穂さんだけではく、

そのお相手にも新車を勧めていくのはどうですかと、話を広げた。

里穂さんは、大学時代から付き合っている彼とは、

始め遠距離恋愛で大変だったが、今は『東京』にいるようになったので、

時間も無駄なく使えるようになったと、語り続けたという。



『東京にいる』



それまで曇りのない気持ちだった私の心の中で、少しだけ影が出来はじめる。

里穂さんは、いつも自分ばかり会いにいっていたから、

社会人になることをきっかけに、『東京に来て』と初めてわがままを言ってみたら、

彼もそのつもりだと返事をしてくれたという。


「今も、車は『SANGA』に乗っているけれど、もう数年経っているから、
新車も悪くないかもって、カタログ広げだして……」


『SANGA』の車。

私の記憶の中から、1台の車が浮かび上がる。


「そこに来たの……お迎えの車が」


みずなの説明に、まだ名前が一度でも出たわけではないのに、

なぜだろう、付き合いの長さだろうか、何を言いたいのか、薄々……

いや、ハッキリとわかってしまう。


「うん……」


聞きたくないけれど、でも、聞かなければいけない。

みずなはもっと、重たい気持ちなのだから。


「車から出てきたのは……蒼だった」


私は『うん』と言ったつもりなのに、声が出せなくて、

ただわかっているよと表すために、何度も首を縦に動かす。


「私は事務側の机にいたし、里穂さんのお迎えだとわかった社員達が、
すぐに前へ出て挨拶していたから、蒼は気づいていないと思う。
でも、里穂さんが蒼にパンフレットを見せて、お気に入りの車があるのか、
一緒に並んで見ていたし……」


『SANGA』という大手自動車メーカーの社長を父に持つ、北島里穂さん。

見たことも話したこともないその存在が、あまりにも大きすぎて、

話されている現実に、ため息も出てこない。


「里穂さん、蒼の運転する車の助手席に乗って、帰って行った」


みずなは『ごめんね、こんな話』と小さな声で言う。

みずなが謝ることなど、何一つない。

私のことをずっと友達だと思い、何があっても支え続けてくれたみずなだからこそ、

こうして嫌なことを、言ってくれている。


「蒼の相手は、『SANGA』の社長の娘さん。だから蒼は、『東京』に来たんだよ」


奥村さんが言うように、蒼は確かに自分から望んで『東京』勤務になった。

しかし、それは高校時代の忘れ物を拾うためではなく、

もっと、もっと、大きくて眩しい現実のため。

蒼を振り返らせた、里穂さんのため。


「風音……」

「うん」


『うん』しか出てこない、抜け殻のような私。

好き勝手な空想の中に自分を漂わせて、ただ、日々を送ってきた。


「藍子の家に行った時も、ここで3人で話をした時も、私は、風音の言葉から、
まだ蒼への気持ちがあるのかなと、思ってしまったの。だから、黙っていられなかった。
蒼がどんなふうに風音と話をしているのか、私は知らないけれど。
でも、蒼にはちゃんと相手がいるんだっていうことだけは……」


私は乾杯をしようとグラスを持つ。

みずなもためらいながらグラスを持ったので、そのままカチンと鳴らす。

炭酸飲料だけれど、もうダメというまで一気に飲みたかった。

時間が経っていたから、少し刺激が緩んでいて、意外に量を飲める。


「はぁ……」


心配そうなみずなの目。

さて、ここからは私の番。


「みずなはやっぱりみずなだね」

「エ……」

「私の大好きな、みずなだってこと」


ここでごまかしても仕方が無い。

私は、自分の感情をみずなに語った。


「みずなの言うとおりだよ。バカみたいだよね、蒼と再会した時には、
その冷たい態度とか、会社の先輩達に対する態度とかに腹を立てたのに。
見せない裏側に、昔のような優しさが見えるときがあって」


そう、『借金』のこと。

あれが気持ちを動かした。


「実はね、母が親戚から借金を作ってしまって。私、『スマイルローン』で……」

「借りたの?」


そういうこととは無縁のみずなは、驚いて目を丸くする。


「うん……緊急で他に手段がなくて」

「それで?」

「そうしたら、蒼がお金を貸してくれたの。母の病気のことも、
私が荷下ろしのバイトをしようとしたことも、みんな知っていて。
あ、まぁ、ようするに、『MAKINO』にしてみたら、
『キタック』にはどんな社員達がいるのかを、調べていたと言うことなのだけれど」


最初は突っぱねたけれど、結局借りるようになったこと。

少しずつだけれど返していることなど、順番に語っていく。


「別の会社に訪問する時とか、駅まで歩く時とか、2人だけになるときがあって、
そんな時は、昔のように蒼が話すから……だから……」


だから私は、身勝手に……気持ちを呼び戻した。


「いや、うん。そうだよね、何を考えていたんだろう。みずなに言われて、
今、冷静になれたわ」

「風音……」

「人員整理の仕事の中で私の事情を知った。それで同級生だし、
惨めな状態はさすがにかわいそうだと思った蒼が、お金を貸すと言った。
うん、そうだよね。『SANGA』のお嬢さんと、対等に付き合える人間になったのだから、
きっと……」



きっと……



「恵まれない人に寄付したような、気分だったのかも」


『愛情』とかそんなきらめいたものではなく、『同情』とか『哀れみ』とか、

もっと別のポイントが動くような気持ち。


「うん……そうだ、そう思う」


私は黙っているみずなの前でピザを分け、お皿に乗せていく。


「ほら、みずな食べよう。温かいものが冷たくなるとまずいよ、きっと」

「うん」


少しずつ表情を柔らかくしたみずなと、

あらためて『いただきます』と声を出し、そこから食事を開始した。


【10-2】



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コメント

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うふふ……

ももちゃん こんばんは

いよいよ里穂の名前が出てきて、「わぉ」と叫んじゃった(心の中で 笑)
そうそう、そうこなくちゃ、おもしろくなってきたぞ~

風音には辛い思いをさせるけど、きっと作者さんが助けてくれるから頑張るんだよ!
見守ってるからね~☆
(親戚のおばちゃんの気持ち ^m^)

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えへへ……

なでしこちゃん、こんばんは

>いよいよ里穂の名前が出てきて、「わぉ」と叫んじゃった(心の中で 笑)
 そうそう、そうこなくちゃ、おもしろこの先
まぁね、『北島里穂』と何度も出てきていましたので、
それでスルーはないよね、普通。

まぁ、どうなるのか、お付き合いいただけたら幸いです。

これからです

ナイショコメントさん、こんばんは

>そうだよね、何かあるよねと思いながら、読んでましたが
 でも祈ります

はい、ぜひ最後までお付き合いください。
ありがとうございます。