17 過去の声 【17-3】

【17-3】


「あぁ……緊張した」

「緊張? どうして」

「一応、風音に話したらどういう反応をするのか、気になっていたからね」


真路さんは、私が『キタックを裏切らないで欲しい』と

言うのではないかと考えていたようだった。


「確かに寂しい気持ちはありますけれど、でも、決断の言葉を聞いていたら、
真路さんらしいなとも」

「俺らしい? たとえばどういう?」

「うーん……そうだな。いつも積極的に前進しようとするでしょう」


営業マンに一番必要な積極性、そして慎重なところ。

真路さんは、両方を持っている。


「そうか?」

「そう……だから『お兄さん』だって思っていたし」


冷静に事柄を判断してくれる人。

私は入社したときからそう思って……


「あ……」


歩いていた場所から、急に引っ張られ……

私の両頬を、真路さんの手が覆う。


「積極的だからね……俺は……」


慌てて目を閉じると、唇が重なった。

そっと触れた唇は、簡単な挨拶のようで……

息づかいの音が聞こえた後、また重なっていく。


今度は深く、長く、私を捕まえる彼がいて……

もっと捕まえていて欲しいと、望む私もいて……


少し頑張ってしまった気がして、顔をみるとなんだか恥ずかしく。


「風音の賛成があれば、自信がつくから」


私が受け入れること……

真路さんは、ただその一つを求めている。

耳に届いた言葉は、

『金曜日は帰さない……』という甘い台詞。

その意味がどういうことなのか、いくら恋愛経験の乏しい私でも、

わからないわけはなく。

私は彼の腰に手を回しながら、ただ『うん……』と返事をした。





『数字が一つズレています』



その指摘は、急に『MAKINO』から届けられた。

本来なら、宮下さんが社長の訂正印を取りに、

『キタック』へ来てくれたらよかったのだけれど、

それが出来ないような緊急会議があるそうで、私は指摘された場所を確認し、

新しいものを作り上げ、社長の印鑑をもらう。


「これから『MAKINO』に言って、古いものと取り替えてきます」

「わかった」

「すみません、よく見ていたつもりでしたが」

「いやいや、最終的に訂正が入ったり、向こうが色々と付け加えてきたんだ。
石本さんの責任じゃないよ」


書類を手に持ち、電車に乗り、駅で降りる。

久しぶりに受付を抜けて廊下を歩いて行くと、角を曲がってきた人に気づいた。



蒼……



顔を上げた蒼も、私に気づいてくれる。


「こんにちは」

「うん……仕事? いや、そうだよな」


蒼は、自分は何を言っているのかという顔で、私を見る。


「うん。ちょっとミスした」

「ミス? 風音がか」

「書き忘れ? いや、訂正漏れ……かな」


私は慌ててしまった結果だと、軽く舌を出す。


「そうか……」


蒼は私の横を通り、まっすぐ進むのかと思っていたが立ち止まる。


「なぁ、風音」

「何?」

「『キタック』のみなさんは、どう?」


蒼は、結構『MAKINO』が厳しい条件を入れ始めているのではと、

こちらを気にしてくれる。


「確かにね、色々と面倒なことは増えた。
蒼がいた時、いかに気を遣ってくれていたのかがわかったって、
この間中村さんも言っていたし」


そう、それは本当のこと。


「いや、俺は素直に力がある人たちだと、みなさんのことを思っていただけだから。
中村さんからも、広告に対する考え方とか、教えてもらったし。
ただ、『MAKINO』にも、全体の規律があって」

「それはわかる」


規模を考えたら、こういう力関係になるのも当然だろう。


「そっちこそ、海外に行ったりするのも大変じゃないの?」


同じく真路さん情報を、そこで披露する私。


「……まぁ……うん」


蒼は、そこから話を膨らませる気持ちはなかったようで、

『それじゃ』と言うと、そのまま行ってしまった。

蒼が海外でどんな仕事をしているのか、少し聞いてみたい気もしたのに、

私はまた、どこかにひっかかるような笑顔しか、見ることが出来なくて。


「さてと……」


それはそれで当然だと思いながら、扉を叩く。

声がしたので中を覗くと、私に気づいた宮下さんが、すぐにかけてきてくれた。





『金曜日』

いつもの朝、いつもの時間に支度を済ませたけれど、火の元や窓の鍵など、

あらためてしっかりと確認する。

今日は、ここに戻ってくることはない……


『金曜日の約束』


『お兄さん』という思いから、大切な人へと変わった。

その人と一緒に、時間を気にせずに過ごす日。


真路さんが望んでいることがどういうことなのか、

私はそんなことを、普段でも考える時間が増えた。

今までは、自分のために時間があって、生活があって、

たとえばスーパーに食材を買いに行っても、お買い得かどうかが判断基準だったのに、

近頃は、どういったものなら、彼は喜んで食べてくれるだろうかという、

そんな気持ちに変わっていく。


まだ、そんな時間は、来ていないけれど……

でも、近い未来、きっとそうなるはずで……


部屋のライトを消し、玄関の鍵もしっかりとかける。

私は手袋をはめながら、駅までの道を歩いた。


【17-4】



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