19 道標の人 【19-2】

【19-2】


みずなはどうして急にと、言い返す。


「急にと言えばそうだけれど、あのね、この間、
『今川』のCM撮影を長い間してくれているカメラマンが、たまたま本社に来て、
裏話のようなものを披露してくれたのよ。モデルで一流と言われているなんだっけ、
女優が実はすごく態度が悪い話とか……。その中で、高校生の頃、
数人のモデルを使って、作ったCMの話になって。で、北島里穂さんの名前が出たの」


藍子は飲み物を一口飲むと、さらに話を続ける。


「キラッと光るものを持っているなと、すぐに感じたらしい。
お金持ちのお嬢さんだけど、瞬間的な表情が、とにかくモデル向きだったって。
学生を終えたら、また一緒に仕事をしましょうと、自分から言ったのは、
そのカメラマンさん、『SAE』以来だったらしくて……」

「『SAE』? あの、パリコレとかに出ている?」

「そう……」


プロから認められた実力。

そのカメラマンさんは、結局、里穂さんがモデルにならなかったことを知り、

嘆いたという。


「だから私ね、前にみずなたちとここで話をしたでしょう。その通りに言ったの。
おそらく『SANGA』の広告塔ではないですかって。だって、CMを撮るのなら、
自社製品を売るのが、一番いいでしょう……」


藍子の意見に、カメラマンは首を振ったという。


「そうなるのかと思っていたけれど、
実際、里穂さんが絡んだ仕事は、一つも無いって……」


藍子は、カメラマンの人が、『SANGA』に行った時に、里穂さんのことを話したが、

誰も教えてくれなかったらしいと、不思議そうな顔をする。


「みずな、知っている?」

「知らないわよ、私、販売店だもの。ただ……」


みずなは、そういえば、この半年くらい姿を見ていないと付け足した。

以前は、車の調子を見てもらうためなど、頻繁に顔を出したようなことを聞いたけれど、

事情はそれだけ変わったと言うことだろう。


「『新車発表会』の頃から、そういえば見ていないな……」

「『婚約』したからだよ」

「エ?」


私は、以前、『MAKINO』の東京支社の前で、蒼のお母さんに会い、

蒼が『婚約する』という話を聞いたことを話した。

藍子もみずなもそうなのかと、驚いた顔をする。


「きっと、結婚準備なのでしょう。いくら周りがあれこれ言っても、
仕事をするかしないかは里穂さんの勝手だし。カメラマンさん、
もったいないと思うのでしょうが、里穂さんは、蒼の奥さんとして、彼を支えたいのよ。
だから、そういう華やかな世界には、未練が無いのかも」


あの蒼が惹かれる人だ。

きっとそういうことに違いない。

自分をしっかり持って、前に進んでいく強さを持っているはず。


「そうなんだ……婚約ね」

「うん」


藍子は、すごいね二人の同級生はと言い、また『チーズ鱈』を口にする。


「モデルになれるような美人の奥さんを、一人占め出来るくらい、
魅力のある男なんだね……」


私は小さく頷き、みずなも『そっか』と一言だけを口にした。

誰が何かを言うわけではなく、蒼は昔からこうだった。

周りには人が集まってきて、いつのまにか彼を囲む。

うらやましいと思われるくらい、いつも輝いていて……


『海外』で仕事をするようにしたのも、『休職』したのも、

二人だけの時間を、大切にしたいという思いからかもしれない。



いつか来るのだろうか、経済誌に蒼の名前や写真が載ったりする日が……



「それでは、あらためて乾杯を」

「何に?」

「いや、なんでもいい」


3人の時間は、いくらあっても足りないくらいおしゃべりが続き、

昼も夜もわからないくらい、楽しいものだった。





「それでは、1週間後、よろしくお願いします」

「こちらこそ」


引っ越しの見積もりが終わり、私は団地の階段を降りていく。

ここに来るのは、何度目だろう。

夏だと言うように、セミが必死に鳴いている。


「あぁ……暑い」


暦は8月、真路さんが『キタック』を辞めてから5ヶ月が経過し、

私はこうした外回りが増えた。

というより、増やしているのかもしれない。

『キタック』が『MAKINO』を受け入れ、たった1年半。

蒼が突然現れてから、まだそれくらいしか経っていないのに、

会社の雰囲気は、あまりにも変わった。

宮下さんをはじめとした『MAKINO』の面々が、仕切るスペースが増え、

私にも仕事はあるものの、何をするにも、どこか伺いを立てながらの日々になる。

決定権はもちろん社長にあるが、認めて印を押していくことの空しさに、

副社長だった河石さんは、5月で役職を退いた。


「こんにちは」

「あ、いらっしゃい」


団地に来ることがあると、必ず寄る『橋爪クリーニング店』。

おばさんは変わらない笑顔で、出迎えてくれる。


「今日も見積もり?」

「うん……夏休みですからね、稼ぎ時ですよ」

「あ、そうか、そうだよね」


お店のエアコン、風がちょうど出てくる場所に立ち、首や耳のあたりの汗を、

ハンカチで拭いていく。


「いいよね、団地から出て行く人って、上に向かうって気分だし。
マンション買いましたとか、もっと広い間取りのところに行きますとかね」

「そう……そうかもね」


作業中のみなさんにも頭を下げて、いつものソファーに腰掛ける。


「そういう言い方をするということは、逆もあるってこと?」

「正直ね、お店がうまくいかなくなって、追われるように出て行く人もいるにはいるの。
そういう時は、こっちも表情崩せないし」


人生、上向きばかりではない。

私はおばさんの出してくれた麦茶に口を付ける。


「あぁ……冷たくて美味しい」


目の前に立っている人数を、なにげなく見てしまう。


「あれ? 人……減った?」

「あぁ、一人独立したの」

「そうなんだ」


おばさんは、クリーニング業界も、大手のチェーン店が増えてしまって、

個人でやっていくのは難しくなったとため息をついた。


【19-3】



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