12 残された想い

12 残された想い

私の話が、そんなに重要なものじゃないと思っているのか、

蓮は二人の真ん中にある鍋の具を、お皿に取りながら、耳だけこっちに向けた。

事実を知った時、蓮はどんな表情を私に見せてくれるのだろう。


「ねぇ、蓮。あの楽譜ね、お姉さんの形見って言ってたでしょ?」

「あぁ……うん。が、どうしたの?」

「あれね、私の父が持っていたものなの」


私の言葉が止まり、そして蓮の動きが止まる。蓮は勘がいい。

たったこれだけのことを言えば、私がどんな話をしようとしているのかは、すぐにわかるだろう。


私は姉に聞いたことを、そのまま蓮に話し続けた。難しい問題ではあるけれど、

僕たちは僕たちだ、一緒に乗り越えていこう。そんな言葉をどこか期待しながら、

出来るだけ丁寧に説明する。蓮の表情から笑みが消え、やがて小さな戸惑いが姿を見せた。


「じゃぁ、その車に乗っていた男が、敦子の父親だってこと?」

「うん……」

「そんな偶然が、あるものなんだ……」

「そうなの。私も姉から聞いて驚いた。……何か理由はわからないけど、
外出しなければならない事情があって、で、事故に……」

「……姉さんの不倫相手は、敦子の父親だったってことか」


蓮がつぶやいた一言が、とても重くのしかかった。

あの優しく家族を包んでいた父が、他の女性を愛し、道を外したのだと言われてしまうと、

抑えていた気持ちが、つい飛び出していく。


「不倫?……不倫じゃないと思う。父はそんなことをする人じゃなくて……きっと、
どうにかしないとならない事情が……」


その瞬間、蓮の視線が私を捕らえた。父の言い分を語っていた、私の声が止まる。


「じゃぁ、何? 敦子は、うちの親が嘘をついてきたって言いたいの? 
姉さんは無理心中で死んだんだって、18年、ずっと聞かされてきたんだぞ」

「蓮……」


そうだった。私は父の立場になって話をしているが、蓮にとってみたら、

それは虫のいい話かもしれない。聞き出したのが姉なので、どうしても父に対して、

弁護の気持ちが働いてしまう。


「教師と学生とはいえ、19歳の女性を、夜、男が連れ出したんだ。
ただ、ドライブしてきますなんて理由が、通用するはずないだろう。しかもその時、
合宿のリーダーだった人は、二人が外出した事実を知らなかったんだ」

「……そう……なの?」

「そこは知らないの?」


姉から聞かされた話し以外のことに、私は素直に頷いた。

全て教えてもらったと思っていたのに、まだ、知らないことがあるのだろうか。


「じゃぁ、姉さんがその日の夕方、何か小さなメモを園田先生に渡していたって証言のことは?
それに、コンテストに出る3人の生徒の中で、最後に残されたのが姉さんだったってことは?
なぁ、敦子聞いてる?」


責め立てるような蓮の言葉に、私は何度も首を横に振った。

聞いていなかった小さな事実に、全てを話そうとした私の心が揺れる。


「そうだろ……。今の話は確かに、僕が母から聞いたことだけど。敦子の聞いたのはお姉さんだ。
ほら、そっちの有利になる話しかしてないんじゃないか?」

「蓮……」


蓮は大きく息を吐くと、器を置き、箸を置いた。

さっきまで、そう、ほんの少し前まで流れていた暖かい空気が一気に冷め、互いの心を凍らせる。


「この話を聞いて、僕はなんて返事をすればいいの?」

「だから……」

「もういいよ、どうでも。今さらここで語り合ったって、何が戻る訳じゃないし、
何もわからないんだからさ」

「蓮……」


投げやりな言葉が、さらに私の心に突き刺さった。蓮の中で父は、妻と子供がいながら、

音大生をそそのかした、男として最低な人物になっている。


「お願い、蓮。そんなに投げやりにならないで」

「投げやり?」

「そうよ、どうでもいいだなんて……」

「別になってないよ。じゃぁ、何をどうすればいいんだ」

「だから、父とお姉さんが一緒だった理由が……」


私は、二人にはそれなりの理由があったのではないかと、崩れそうな蓮の心に、

必死に訴えかけた。


「無理心中じゃないって、お父さんは悪くないよって、僕が認めれば敦子は満足なの?」

「蓮……そうじゃなくて。そうじゃないのよ……」


どうやって説明をすればいいのだろう。どっちがウソを言ったとか、

そんなことを問い詰めたいのではない。私はただ一言が聞きたいのだ。




敦子とのことは……何も変わらないのだと。



「うるさい!」


勢いよく蓮が立ち上がり、膝が触れたテーブルがガタンと音を立てた。

箸の1本がコロコロと床へ落ち、寂しそうな箸をすぐに拾った蓮の横顔が、私の瞳に映った。



「……いきなり怒鳴ってごめん……でも、今日は帰るよ」

「蓮……」

「私の父には罪はないなんていきなり言われて、一方的に話を聞かされても、
すぐに対応出来ないよ。18年聞かされてきたことが、いきなり違いますって……。
僕がこのままここにいても、これじゃ、君に、投げやりな気持ちのまま、
触れているって言われるだけだ」

「蓮!」


蓮はそばにあった上着をつかみ、そのまま部屋を出て行った。

どっちに転がるかわからなかったサイコロは、最悪の方向へ転がってしまい、

残された鍋からあがる湯気が、私の涙を作り、目から落ちていった。





「先生、すみません、こんな時ばっかり」

「いや……」


このどうしようもない気持ちを持ったまま、次の日、私は雪岡教授のところを訪れた。

父と先生は大学時代からの友人で、事故のこともよく覚えているはずだ。

家族ではない第三者に、この想いを打ち明けたかった。


「知ったのか、敦子。愛子さんはあの時、敦子はまだ小さいから、
何も言いたくないと言っていたけど、まさか、あの広橋幸さんの弟が蓮だったとはな」

「はい……」


何を言われても受け止めよう。私はそう覚悟を決めて教授を見た。

父が幸さんとそういう関係にあったとしても、それは仕方がないことだ。

男として、女として惹かれあうのは、学生だからとか先生だからとかの立場の壁を越える。


それは、自分が一番わかっているから……。


「結論から言うけれど、僕があいつの友人だからとかじゃなく、
不倫の事実は絶対にないと保証する」

「根拠はあるんですか?」

「あるよ。アイツは愛子さんと結婚するのに、それはもう大変だったんだ。
まめに連絡して、大事にして、結婚してからも家族の写真を手放したことなどなかった。
涼子が産まれる時も、まだ、当時は立ち会い出産なんてあんまり聞かなかった時だけれど、
絶対に立ち会うんだって、一人で送り込むことは出来ないって、そりゃ必死だった」

「母から聞きました。私の時も、姉の時も、立ち会えるところじゃないとダメだって、
父が騒いだこと……」

「あいつは、お母さんを手術で亡くしているから。手術室、まぁ、分娩室だけどな、
愛子さんが一人で入っていくのが嫌だったんだろう。産まれた、産まれたって、
大騒ぎして電話をくれたことを、今でも思い出すよ」


私の記憶の中に残る、父の面影は、いつも家族の中心で笑っている姿だった。

そんな想いを否定されずに、心のとげが一つだけ抜ける。


「ただな、広橋幸さんが亡くなった時、彼女は友達も少なくて、
自分の気持ちを語る相手もいなかったから、あれこれ誤解をされたことは事実なんだ。
事故も対向車のトラックが原因だけれど、ご両親にしてみたら、
車を運転していた修一に気持ちがいっても無理はないし、亡くなってから見つかった日記からは、
彼女が修一を特別な目で見ていた事実が、ずっと書き込まれていたらしいから」

「そうなんですか……」


同じ女性としては、少し切なくなったが、それを受け入れることは出来ずに、

私は手に持ったままのハンカチを握りしめる。


「蓮に話をしたんです。でも、敦子はお父さんをかばっているって、怒って。それから……」


昨日、私の告白に気持ちを乱した蓮は、夜遅くに『時間が欲しい』とメールをくれた。

なんのために、なぜ時間が欲しいのか……。その理由が語られることは何もなく、

すぐに折り返そうとしたが、私にはそれを追求する勇気が持てなかった。


「そうか……。18年そう言われ続けてきたんだ。すぐに切り替えられないんだろう。
お姉さんを亡くした気持ちを、修一にぶつけていたはずなのに、そこを否定された。
広橋にしてみたら、全てがひっくり返された、そんな気分じゃないのか。
しばらく放っておくといい。アイツも就職活動が忙しいし、会社さえ決まれば、
気持ちも決まるかもしれないぞ」

「……そうですよね」


結局、私に出来ることは何もなく、先生の部屋を出た。

懐かしい学生達の声に、寄り道をしたくなり、声の方向へ少しだけ顔を出す。


小さな中庭のベンチに座っていたのは、資料を読んでいる滝川さんだった。

誰かを待っているのか、時々携帯を出しては、時間をチェックする。


待っているのは、蓮なのだろうか……、それとも……。



『敦子の存在なんて、絶対にあのうちは認めてくれない』



姉の言葉が風に吹かれて、私の耳に釘を刺した。





蓮に18年前のことを話してから、1週間が過ぎた。

どうしているだろうかと心配にはなるが、こちらから連絡を取ることはしなかった。

私は、複雑な感情がありながらも、心の中に蓮への想いが変わることなく流れ続けているが、

彼はどう思っているのか、それを追求すべきではないと思ったからだ。


私は電車に乗り、父方の祖父が住んでいる家へ向かい、久しぶりにいとこと会った。


「もう、来年大学生なの?」

「うん……」

「やだ、敦子ちゃん。受験生ってだけよ。合格するかどうかは、まだ不明!」

「大丈夫だよ、澄香は昔から頭がいいじゃない」


父があの事故で亡くなってから、私達は園田の名字を捨て、母の垣内を名乗った。

ここには父の弟家族が住み、祖父と一緒に、園田の名前を守っている。


「敦子……」


なぜ、ここを訪れたいのか、あらかじめ理由を話しておいたため、

祖父は私を倉庫へ連れて行ってくれた。父が残した楽譜が、ダンボールの中にしまってあり、

久しぶりに封を開ける。少しほこり臭い空気が、過ぎた年月を思い起こさせた。


「ごめんね、おじいちゃん。急に来て、こんなことお願いして」

「いやいや、修一の残したものだ。敦子が持って行くなら、何も文句などいうまい」

「うん……」


私は久しぶりにピアノを弾きたくなったのだと、祖父に言い、父の形見の楽譜を、

東京へ持ち帰るつもりだった。蓮が持ってきた『革命』の楽譜同様、

確かに表紙にはADAという、父の印が全てに残されている。


幼い頃から何度も見ていた楽譜なのに、こんなところには気付いたこともなかった。


「敦子、夕飯、食べて行けよ」

「うん、ありがとう」


叔父の嬉しい言葉に甘え、その日は年下のいとこ達と、久しぶりの時間を過ごした。

そして、次の日、私は父の楽譜を袋に入れ、母のところへ向かう。





「園田へ行ったんだって? 昨日、剛さんから電話をもらったから」

「うん……」

「どういう風の吹き回しかしら」


父の実家からさらに電車で30分くらい奥まったところにあるのが、母の実家だ。

4人いた家族が3人になってから、私はずっとこの家で育った。

娘達が二人外へ出て、今では祖母と母が二人で暮らしているが、その居間の隅には、

ピアノを置いてあった跡が、まだ残っている。


「仕事は今、暇なの? 夏が終わったら、受験の準備もあるし忙しくなるって
戻った時言ってなかった?」

「うん……大学の仕事はね、辞めたの」

「辞めた?」


お茶を入れてくれようとした、母の手が止まる。

私は茶色の封筒に入れてきた父の楽譜を1枚ずつ丁寧にテーブルに置いた。

母はその懐かしい思い出に、おそるおそる右手を伸ばし、手に取ると、パラリとめくる。


「もらってきたの?」

「うん……」

「そう……、やっぱり敦子は何年経っても、お父さんっ子なのね」


あらためて見てみると、母にはしわが増え、歳を重ねていた。

父のピアノが大好きだった私だけれど、この母の頑張りで、ここまで育って来られたのは、

間違いない。そんな母は、これから私が話すことを、どんな気持ちで受け入れるだろう。


私は18年の時を戻し、自分の想いを語る時間が近づき、緊張を隠すため、

お茶を一口だけ飲んだ。





13 私の心彼の声 へ……




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コメント

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真実の行方

蓮にとっても姉が不倫の末の事故より、ただの交通事故の方が気分的には楽だと思う。
しかし親が嘘をついていたと思いたくないのもあるだろうし、複雑な気持ちだろうね。

真実は二人しか知らない?誰か他に何かを知っている人がいるのでは?

連絡の取れなくなった蓮が何か行動を起こしていると信じたい。
敦子のために・・・二人の為に・・・

本当のことは……

yonyonさん、こんばんは!


>真実は二人しか知らない?
 誰か他に何かを知っている人がいるのでは?

う~ん、そうなんですよね。
誰か事情を知っているのかどうか。
それを二人が捜し出せるのか……

この辺も、ここからの見どころ(っていうのか)かなと、
思っています。

被害者同士だったのと、不倫がからむのとでは、
そりゃ違うもの。

さて、蓮君は何をしているのでしょうか。
(って、もう読んでるよね)

二人の問題、家族の問題

mamanさん、こんばんは!


>広橋君の気持ちも解らないではない。
 でも、当事者はもういないわけだし、
 問題は、二人がどうしたいか・するかだと思うけど…

はい、そうなのです。
でもね、家族を全く無視したまま突っ走るわけには行かないし、
そこら辺は、二人とも辛いところです。

いなくなってしまった蓮の行方と、行動の意味は、
次回、その次で明らかになりますよ。

あっちとこっちはあまりにも違う

yokanさん、こんばんは!


>気持ちの持って行き場がなかったんでしょうね(ーー;)
 今度はお母さんに蓮君とのことを告げるの?・・・
 お母さんはどんな反応をするんだろう。
 杉っぺの後だけに、内容が重いわ

あ、そうか。
杉っぺの後にしちゃ、ダメだよね(笑)

何も知らなかった敦子と、知っていた話とはずれてしまった蓮。
この二人の気持ちの行方は、この次、次で明らかになります。

内容重いけど……頑張って!