1 憧れ 【1-1】

1 憧れ


【1-1】


午後、12時45分。

店が特に忙しい状態でなければ、

毎日、栞(しおり)の休憩は、この時間から1時間と決まっている。



『FRESH GARDEN』



駅前の小さなスペースや住宅街で、売り上げを伸ばしてきた生花店。

栞は、この店に高校の頃からバイトとして入り、働いてきた。

高校を卒業し、仕事も4年目に入った去年、働き振りを認められ正社員に昇格する。

そして、この春から、スーパーの中にある小さな店舗ではあるが、

売り場の責任者を任されるようになった。


「えっと……カギ、カギ」


栞は、ジーンズのポケットを手で押さえ、自転車のカギを発見すると、

すぐに差し込み、走り出す体勢を取った。



『会津栞』は、幼い頃親に捨てられ、児童擁護施設『愛風園』で育った。

母親との二人暮しを、生まれてから3年ほどしていたが、

ある夜、その母親は栞を寝かしつけ、仕事先で出会った男と姿をくらませた。

真っ暗な部屋の中、一人で目をあけた栞は、何度も母を呼んでみたが、

もちろん返事はなく、理由を知らないご近所の主婦が、

その夜はあまりにも栞が泣き止まないことと、部屋が真っ暗なことを不思議に思い、

警察に連絡をする。

警察から連絡を受けた不動産業者は、立合いの元、部屋の中に入った。


まっくらな部屋に電気をつけ、見えたのは、食べかけのお菓子袋と、

汚れたままの洗濯物。そして、泣きじゃくる栞だけで、そこには置き手紙すらなかった。



『育児放棄』



元々、栞の父親が誰なのかは、いなくなった母親しか知らない。

そのため、最初は、栞の状況を知らされた役所の人間も、警察の担当者も、

どこに連絡をすればいいのかもわからなかった。

数日後、栞と暮らしていた母の、親になる祖父母の連絡先が判明し事情を話したが、

身勝手な娘とは縁を切ったと言われたため、孫になるはずの栞を、

引き取ることはなかった。

ぬいぐるみを抱えた栞は、結局、肉親の愛情を受け取れないまま、

役所の担当者と車に乗り、初めての場所へ向かう。



児童養護施設『愛風園』



栞は、ここで高校卒業までを過ごした。

卒業後は、同じく施設で暮らした友人、『高松朱音(あかね)』と、

共同生活を送っている。

朱音は栞にとって、この世の中で唯一、全てを語れる人だった。


「あぁ、風が気持ちいい」


栞は自転車のペダルを漕ぎ、一直線に走り出した。

スーパーの周りには、同じような自転車があり、時折飛び出してくる子もいるので、

少し慎重に周りを見たが、そこから先は、歩道も確保されている大きな通りになるため、

予定通りのタイムを保とうと、自転車の速度はドンドン上がった。

レンタルショップの交差点をまっすぐ渡り、ドラッグストアの通りを右に曲がる。

小学校の校門前を走り抜けると、栞が目指す喫茶店『ライムライト』があった。

栞は店の横、いつもの場所に自転車を停めると、手際よくカギを外す。

木目の綺麗な扉につく、少しアンティークなドアノブをつかむと、

スッと右にまわし、そのまま中へ入った。


「出来てるぞ」

「うん、ありがとう」


栞はカウンターの一番端に、場所取り用に置いてある、

空のコーヒーカップとソーサーを少し横に寄せ、小さな椅子に腰掛けた。

そして、カウンターの中にいる男性に、そのカップを渡す。


「いつものをお願いします」

「おぉ……」


掛け声と交代に出してもらったのは、『サンドイッチ』で、

ペーパーナフキンの袋を破り、栞は両手をしっかりと拭く。


「いただきます」


栞は、並ぶサンドイッチの中から、タマゴが挟んであるものを取り、

その半分くらいを口に入れた。パンは外が少しカリッと焼かれているのに、

中はふわふわとした食感が残っている。


「うん、美味しい、良ちゃん」

「当たり前だろ、これで金取ってるんだぞ」

「そうか、そうだよね」


『加茂良牙(りょうが)』。

喫茶店『ライムライト』のマスターをしているが、実質的なオーナーは別にいる、

いわゆる雇われ店長だが、良牙も栞と同じく『愛風園』の出身者で、

栞より5つ年上のため、栞にとっても朱音にとっても、兄のような存在だった。

栞はサンドイッチを食べながら、何気なく店内を見る。

いつも、サラリーマンや主婦たちの話し声が聞こえ、席もほぼ満席だった。


「それにしても栞、お前、ここまで毎日来ていたら、休憩時間ないだろう」


良牙の声に、栞は姿勢を戻す。


「時間? ううん、そんなことはないから大丈夫。
だってこうして食べて、飲んで、で、仕事に戻っているでしょ」


栞は、遅れて出されたカフェオレに口をつけ、さらにサンドイッチをほおばった。

良牙には問題ないと言いながらも、栞は横目で壁にかかる時計を見る。

13時10分。時間はいつもどおり進んでいて、特に早くも遅くもない。


「お前の店、スーパーの中なんだろ。
昼食にするものなんて、いくらだってあるだろうに」


良牙は汚れたコップを洗い、それを乾いた布巾の上で逆さまにした。

ガラスのコップは、雫を落としながら、すぐに曇りない輝きを見せる。


「まぁ、それはあるけれどって、なによ。迷惑ってこと?
タダで食べているわけじゃないし。売り上げに貢献しているっていうのに……」

「迷惑だなんて言ってないだろう。俺は、ただ……」

「ランチにしか来ていない……」


栞はそういうと、すぐに良牙の顔を見た。

良牙は栞の態度に、軽くため息をつく。


「……来ていません」

「貴重な1時間なんだからさ、もう少し考えろって。
ここへ来て、あれこれ話をしたいのなら、それ以外の時間に来たってできるだろ」


良牙は、喫茶店は夜の8時まで開いているのだから、

仕事が終わってからゆっくりくればいいと、洗いものをしながら、そう話した。

栞は、それが当たり前だと言いたげな良牙を見ながら、少しだけ顔を歪ませる。


「仕事、終わってから? 来てもいいの?」


栞にとっては、最大限の嫌みのつもりだった。

数ヶ月前から、昼と夜とでは、喫茶店にいるメンバーが変わることに気付き、

栞は仕事帰りに立ち寄ることを、避けるようになったからだ。

良牙は、その栞の行動を知ったうえで、『大丈夫だ』と言い切った。


「ふーん」

「ふーんってなんだよ」

「隠すような人ではないって事か」


栞は、ベーコンの挟まっているサンドイッチに手を伸ばし、さらに食べ進める。

喫茶店の扉が開き、中年の男性が、『ブレンド』と一言告げながら奥の席へ座った。


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