1 憧れ 【1-4】


【1-4】


朱音の話だけなら、嫌だとごねるつもりだったが、次の日、栞の携帯に、

『シャイニング』のママ、本人から連絡が入った。

自分の管理不足でこういった状況を作ってしまい、本当に申し訳ないのだけれどと、

切なそうなトーンの声を聞き、結局、断り切ることが出来なくなる。



『これで最後に……』



なんとかその台詞を挟み込み、栞は電話を切った。





次の日、午前中の仕事を終えて、いつものように自転車に乗ると、

栞は『ライムライト』を目指した。曇り空は少し機嫌を損ねると、

大粒の雨を降らせそうなくらい、怪しい色を見せる。

それでも、良牙が作る『ナポリタン』を目指して、栞はペダルをこいだ。

定位置に自転車を止め、すぐに店へと入る。

昨日と同じ場所に、同じカップがセットされていた。


「ねぇ、雨降りそうだよ、良ちゃん」

「あぁ、ちょっと暗いな」

「うん」


栞の前に『ナポリタン』が置かれ、栞はすぐにフォークのナフキンを取る。

クルクル回しながら、カウンターの中に立つ良牙を見た。

無駄なく、少ない動作で1杯のコーヒーを入れていく。


「うまいか?」

「うん……」


喫茶店のメニューは限られているので、もう何度も食べているものだったが、

栞にとっては、ここで食べているという事実が大きいため、正直、

味に対するこだわりは、あまりなかった。

天気の予報が悪いからなのか、いつもの昼時に比べたら、空席が多い。

壁の時計も問題ない時刻を示している。


「ねぇ、良ちゃん。私また、朱音に頼まれちゃった」

「頼まれた? ホステスをか」

「そう」

「で、引き受けたのか」


良牙は栞の前に、いつもと同じカフェオレを置く。


「最初は断ったけど、今朝、ママからプッシュされちゃって。
で、最後だって約束してくれるならって」

「ほぉ……」


栞は、その後、良牙から何か言われるのではないかと、耳を傾けたが、

良牙からは、特に台詞が戻らないまま、数分が経過する。


「ねぇ、それだけ?」

「それだけってどういうことだよ」

「それだけしか言葉がないのってこと」


栞は、仕事の内容だとか、どれくらいの期間なのか、何も興味がないのかと、

そう強く訴えた。良牙は軽く笑いながら、コーヒー豆を挽き始める。


「栞が決めたことだろ。俺がどうしてあれこれ聞かないとならないんだ。
嫌ならやらなければいいし、受けようと思うのなら、受けたらいい」


良牙の言葉は、ごく当たり前のものだった。

やるならやる、嫌ならやめる。その権利は栞自身にある。


「……ならないんだ」

「は?」

「良ちゃん、心配にならないんだ」


栞は、食べ進めていたナポリタンのフォークを置き、一度ため息をついた。


「結構、しつこい客がいたりするし、お酒を飲むと人って変わったりするでしょ。
そういうこと、聞いてくれないの?」


栞は、体を少し横に向けた姿勢を取り、精一杯不機嫌さをアピールした。

その間も店には客が入り、数カ所あった空席も、すぐに埋まる。


「アメリカン」

「はい、すぐお持ちします」


栞の言葉に返事をすることなく、良牙はカップのセッティングをしようと

背を向けてしまった。



『良ちゃん、私がここを卒業したら、一緒に暮らそう……』



良牙が『愛風園』を卒園するとき、栞は中学生になったばかりだった。

『恋』だと思い、そう宣言した栞の頭を、良牙は優しい笑顔のままポンポンと叩き、

そのまま旅立っていった。

それからも何度かお土産を持ち、園を訪れてくれたが、

そのたびに、栞が聞いた答えは、全て『NO』だった。



『栞……お前は自由なんだぞ』



言葉の意味など考える余裕もなく、

栞は高校に入り、部活動の先輩からの告白を受け、初めて『恋』を目の前にした。

誰かに借りて読み続けていた『恋愛漫画』に憧れ、

手をつなぎ、放課後公園で語り合い、大きな木の下でキスをした。

その後、相手の大学受験を理由に二人の付き合いは終わったが、

栞の心の扉は半分開きのまま、時折風にあおられ、ギシギシと音をさせる。

何を得ても、どこを見ても、良牙への思いは消えることがなかった。

しかし、良牙からの返事は、結局いいものになることなく、

卒業と同時に、朱音との共同生活がスタートした。


『愛風園』を出た良牙自身は、ある出来事で助けてもらったオーナーの店に入り、

その後の働き振りを認められ、この店を任されるまでになった。



憧れ続けてきた人は、完全に、一人で歩き始め……



栞にとって、悩みがあるといつも軽く叩いていたその背中は、

今、カウンターという大きな板に阻まれ、触れることも難しい。


「もう、行くね」

「あぁ……」


良牙は気をつけろよと声をかけ、栞の顔を見る。

栞はその表情に、何も言葉を戻さないまま、扉の前まで進んだ。


「しばらく、来ません」


それだけを言い、背を向けたまま店の外に出ると、

コンクリートに、ぽつりぽつりと雨粒が落ち、乾いていた道を少しずつ濡らしていく。

自転車を停めていた場所に立ち、あらためて店内に目を向けるが、

良牙はサンドイッチをナイフで切り分けていて、こちらを見ることはなかった。


「バカ」


栞は自転車に乗り、無言のまま店へ戻っていく。

いつもなら守る赤信号も、車が来ないことがわかったので、無視して走り抜けた。


【1-5】



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