3 心の安らぎ 【3-3】


【3-3】


「それなら、提案させてもらいます。今すぐここを離れるのか、
これを受け取って食べるのか、どちらか決めてください。
あなたの言うとおり、このおにぎりを私がここで食べるのだとしたら、
隣に空腹の男性が座っているというのは、なんだか落ち着かないですし」


栞は、雨の中走って駅まで行くのか、おにぎりを受け取ってここで時間を潰すのか、

どちらかに決めて欲しいと、そう陽人に詰め寄った。

陽人は、栞が差し出しているおにぎりをじっと見る。


「嫌いですか? こんぶ」

「いえ……」

「走るのと、どっちがいいですか……」


栞はもう一歩前に出ると、どっちにするのかとあらためて陽人に問いかけた。


「……いただきます」

「はい、どうぞ」


栞はそれではと頭を下げ、陽人におにぎりを手渡すと、

ほんの少しだけ弱まった雨の中を、走り出していく。


「あ……そうだ」


栞は走り始めた途端、急に何かを思いついたのか振り返った。

陽人は体を反転させ、栞の方を見る。


「もし、駅まで走ることになるのなら、その場所から見える青い屋根の美容院、
『キャット』の横の道をまっすぐに行ってください。
道は細くて頼りなさそうですが、突き当りが見えたら左側に入ります。
そうしたらすぐに駅前です。大通りを行くよりも、近いですから」

「『キャット』ですか」

「はい……それじゃ」


栞はそういうと、スーパーの方に向かってまたかけ始める。

陽人はおにぎりを左手に持ったまま、栞の背中を見送り、

その場所から青い屋根を探した。


「あれかな……」


栞の言うとおり川沿いから青い屋根の家が見え、

その前の道を一人の男性が走っていくのがわかった。



『走ることになるのなら……』



陽人は、自分の左胸に手を当て、その鼓動を確認した。

しっかりと手のひらに伝わる鼓動。

陽人は、確認を済ませた右手で『こんぶ』おにぎりのシールを外し、一口食べた。


「うまい……」


こちらに向かってくる電車の方を見ると、

雨を吹き飛ばしてくれるだろうという青空と太陽が、近付いてくるのがわかる。

陽人は、おにぎりをほおばりながら、自然と笑顔になっていた。





売り上げ、注文、ロス、午後になり、客足が少し途絶えた時間に、

栞は伝票の記入を進めた。高校を出て、とにかく毎日働いていた自分を、

認めてくれたのは、オーナーの奥さんだった。


『栞は天性のものがあるんだね。教えていないのに、花の扱いを知っている』


茎の切り方、余分な葉の減らし方。花のアレンジ。

教えてくれたのも、すべてその奥さん。

『愛風園』に暮らしている中で、職員たちに何度か褒められたことはあっても、

それはあくまでも限られた世界の中でのことで、世の中に出ると、

ほとんどの人は、栞を認めてくれなかった。


『やってごらん、栞』


どんなに朝が辛くても、水が冷たくても嫌にならないのは、花が好きだということと、

自分を認めてくれた人を裏切りたくないという思いからで、

栞は、その日も懸命に仕事をこなした。


「そろそろ時間だし、売り場縮小しましょう」

「はい」


閉店時間30分前。

スーパーも、夕食買い物の主婦たちが姿を消し、サラリーマンが増え始めた。

後輩の華は、特売で置いてあった花たちをまとめようとする。


「あ……華ちゃん、ちょっと待って。それ、私買うから」

「エ……これですか」

「うん」


栞はそう華に声をかけると、特売の花束から2つ選び、巻いていたビニールを取った。

状態のいい花を選び、ひとつにまとめ、小さなブーケを作る。


「うわぁ……かわいいですね」

「そう?」

「いいですよ、いい。こうして小さなブーケで売るのもいいですよ。
ざっくりと束にしてあるより、なんだか魅力的」


華は、まとめられた花は、どこか余り物のような雰囲気が漂うから、

思っているより売り上げが伸びないのではないかと、そう分析した。

栞は、その意見を聞き、売り上げの表を見る。

この場所がスーパーの中だから、主婦や年配客など、

新しいものより、確実なものを好む人が多いからと思い、

あえてシンプルなものだけを並べてきた。


「そうかな」

「そうですよ。今度、出してみませんか」


栞は、都合よく作ったものが本当に売れるだろうかと思いながら、

そのブーケを見る。


「会津さん、ラッピングのセンス、抜群ですよ」


華はそういうとほうきとちりとりを持ち、店の外に散らばった葉や花びらを、

しっかりと掃除した。





「これ、『リオ』ちゃんが?」

「はい。ずっと手品で楽しませてもらったので、
今日は私が多田さんを元気にしてあげようかと」


ヘルプ2週目。

約束どおり、多田は栞を指名し、また、新しいボトルを入れてくれた。

栞はあと2回しか来ませんがと前置きしたが、多田はわかっていると頷き、

新しいお酒を作るようにとそう言った。


「へぇ……かわいらしいね」

「ありがとうございます」


多田の優しい笑顔を見ることが出来た。

栞はそれが嬉しくて、グラスを持ちお酒を一口飲む。


「嬉しいけれど……なんだか寂しくもあるね」

「多田さん……」

「お金を払って、楽しくお酒を飲ませてくれるところだというのは、
最初からわかって来ているんだ。そう、僕も子供ではないから……
でも、失うものの方が大きい気がするのは、なぜなのかな」


多田はそういうと、今日という日が来るのを楽しみにしていたのに、

いざ来てしまうと、止められないという現実が押し寄せて、

少しセンチメンタルになると、そう笑って見せた。

栞は、ここにはお話の上手なホステスがたくさんいますと話し、

しんみりしそうな空気を流そうとする。


「『リオ』ちゃんは、いないだろ」

「あ……」

「誰でもいいわけではないから、指名をし続けたんだ。君と話している事が、
明日への活力になっていたから」

「多田さん……」

「あ、いや、だからといって、みなさんが悪いというわけではないよ。
でもね、人には相性というものが、ある気がするんだ」


個人的な連絡を取り、売り上げを上げていくホステスは何人もいる。

実際、朱音も数名の常連を持ち、しばらく顔を見せないと、どうしているのかと、

連絡をすることがあった。


「ごめん、『リオ』ちゃん。そんな困った顔をしないでくれ」

「いえ……」

「もう、戻らないような日々が、ここにあった気がしたんだ。
大丈夫、君は悪くないよ」


多田はそういうと、ブーケを持ち、携帯のカメラで撮影した。

カシャカシャというシャッター音が、栞の耳に届く。


「花はいずれ、枯れてしまうからね。『リオ』ちゃんとの思い出が枯れないように、
ここに残させてもらう」


栞はブーケを見つめ、ただ、黙って笑うことしか出来なかった。


【3-4】



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