7 思い出 【7-2】


【7-2】


「そうなんだ……これが勉強用の本か。なんだか専門的で、難しそうだね」

「うん」

「そっか……」


栞は、自分を信頼し納得してくれた朱音の態度に、ほっとしていた。

しかし、それと同時に、こうして友人関係を築いてから、

初めてウソをつくという現実が、違った罪悪感を生み出していく。


「花束を作るときにも、色を考えるのは重要なんだよ。
お客様がどういったところに持っていくのかとか、年齢も色に関係あるし」

「うん……だろうね」


栞は、お風呂に入るよと言いながら、着替えをタンスから取り出していく。


「私はてっきり、多田さんと会っているのかと思っていたからさ、
ちょっとほっとした」

「エ……」


栞の脳裏に、多田と抱きしめあっていた時間の余韻が、蘇ってくる。


「まさか……」

「うん」


栞は無言のまま朱音の前を通り過ぎ、そのまま風呂場の扉を閉めた。





『しなくら』の営業部では、仕事に一区切りがついたという理由で、

仙台と陽人を始めとした若手のメンバーが、軽い飲み会を開いた。


「新堂さん、何、飲みますか」

「あ……いいよ、自分で」

「いいですよ、遠慮なく。私、自分のものも取りますし」

「あ……うん。まだ、入っているし」

「そうですか」


恵利の積極的な態度は、それからも続き、

正直、陽人はどう対応していいのか、困るくらいにまでになっていた。

カラオケを歌おうと隣の男性が立ち上がったので、仙台は陽人の隣に移動する。


「新堂、お前、しっかりしろよ」

「はい……」

「はいじゃないって、お前がハッキリしないから悪いんだ。
その気がないのなら、きちんと態度に示さないと、玉田に押し切られるぞ」

「いや……」

「いや……じゃないって。全く、嫌みな上司が浮かれていて心配事が減ったかと思えば、
お前って男は全く……」



『援助交際』



仙台の言うとおり、あの話以来、部長の多田はいつも機嫌がよく、

特に細かい部分を指摘されることはなかった。


「あぁ……開放的な夏を終えて、10月だからな、もう秋の気配だ。
本当に過ごしやすいぞ、わが営業部は。どこの誰だか知らないけれど、
多田を満足させてくれる女性に、感謝だよ」

「先輩」


陽人は、他の人に聞こえますと、仙台を注意する。

すっかりお酒のまわった仙台は、悪いと謝りながらも、豪快に笑って見せた。





仕事の途中、栞がふと見上げた空には、飛行機雲があった。

長い間、残る雲を見ていると、車のクラクションが鳴る。

視線を横断歩道に向けると、少し腰の曲がった年配の女性が、

おぼつかない足取りでなんとか渡りきろうとしていた。

両手に荷物を持っているため、視線は下向きにしかならず、

クラクションを鳴らした車は、右折待ちが面倒くさいと思ったのか、

女性の体スレスレをスピードを落とさずに走り抜ける。


「あ、危ない!」


それをみていた栞は、思わず声をあげてしまった。


横断歩道は青なのだから、ゆっくり渡る歩行者がいても、車は待つべきで、

クラクションを鳴らす方が間違っている。


「どうしました?」


突然、栞が声を出したことに気付いた華が、声をかけた。


「うん、今、車があのおばあちゃんのギリギリを走っていったから、思わず……」


それでも、年配女性は懸命に脚を動かし、点滅の間になんとか向こう側へ到着した。

栞は、気持ちが入っていたからか、渡りきれたのを見たことで、

ほうきを握っていた手から、少し力が抜ける。


「渡れましたね」

「うん、よかった」


横断歩道を渡りきった女性に、スチール製の台車を押していた男性が近づき声をかけた。

声をかけたのは陽人で、その女性が持っていた荷物を台車の上に乗っている

ダンボールのさらに上へ置き、駐車場近くまで歩いて行く。

タイヤが後ろに2つある3輪の自転車に荷物を乗せると、なにやら挨拶を交わし、

陽人はまた、台車を押しながら横断歩道に戻ってきた。

栞はとりあえず仕事に戻ろうと、握っていたほうきで、落ちた葉を集めていく。

横断歩道は、また歩行者が歩ける青に変わり、それを導く音楽が鳴り始めた。

陽人は台車を押しながら、スーパーに近づく。


「すみません、ねぇ、お兄さん!」

「は?」


陽人が渡り終えた時、少し前にトラックに煽られた年配女性が、

3輪の自転車にまたがり、手を必死に動かし陽人を呼んだ。

陽人は、何か不都合が起きたのかと、慌てて台車をその場に止めると、

信号がまだ青なことを確認し、向こう側へ歩いていく。

女性の声に顔を上げた栞の数メートル先で、

陽人が止めたはずの台車がゆっくりと動き出した。

ストッパーのかけ方が甘かったのか、じわじわと下り坂の方へ向かう。


「エ……ウソ」


その先には雨水が流れるための排水溝がある。もし、そこに車輪が挟まると、

上の荷物がバランスを崩し、落ちてしまうかもしれない。

栞はほうきを投げ出すと、すぐに台車をつかまえるために走った。

そして、スピードがアップする前に、なんとか片手でつかまえる。

栞は、甘い状態になっているストッパーを使おうと足でペダルを押したが、

軽い感触が戻るだけで、うまくかからない。


「何よ、もう、これ壊れているじゃない」


高低差のない場所へ移そうかと思ったが、思っていたよりも荷物が重く、

そうこうしているうちに信号が変わり、

女性から何かを受け取った陽人がこちらを向いた。

台車をつかまえたままの栞と、向こう側にいた陽人の視線が重なる。

陽人はすみませんと頭を下げながら、青信号になったことを確認し、

それでも急ぐことなくマイペースで戻ってきた。


「すみません、動きましたか」

「動きましたかじゃないですよ。これ、壊れているじゃないですか」

「エ……」


陽人は腰を下ろし、ストッパーを確かめた。

足を動かし留め金を使おうとするが、カツンという音がするだけで、

実際にはストッパーがかかっていない。


「あ、本当だ。今、事務所にあったものを借りて、
そのまま持ってきてしまったから、わかりませんでした」


陽人は、栞から台車を受け取る代わりに、

今、女性にもらった『塩飴』の袋を差し出した。


【7-3】



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