9 揺れる心 【9-1】

9 揺れる心


【9-1】


陽人は、それでも逃げずに、その場に立ち続ける。


「どうせうちと、取引停止なんて出来ない相手なんだからさ。
形通りにしておけばいいんだよ」

「部長……」


確かに、少しの失礼があったとはいえ、相手は『しなくら』からすれば、

どうにでも出来る相手だった。

陽人は、それでも誠意を見せるべきではないかと言ってみるが、

多田は、首を縦に振ろうとしない。


「最初だけでいいんだ、最初にしっかり気持ちをつかんでおけば、
あとは押していくのみ。お前の腕の見せ所だと思え」

「部長」

「適当に甘い汁を吸わせてやれば、何を怒っていたのかなんて、わからなくなるよ」


多田はそういうと陽人の肩をドンと押した。

陽人はその動きに、一歩後ろへ下がってしまう。


「おい、新堂」

「はい」


仙台は陽人にこっちへ来いと合図し、仕方なく席に戻った。

相手側に連絡をしなければならないが、多田が出席しないということを言うのが辛く、

受話器をなかなか上げられない。


「新堂さん、私、一緒に行きましょうか」


恵利は、相手側の部長と何度か面識があるので、

話しをしたり、酌をしたりするくらいは出来るのではないかと、そう告げる。


「玉田さん」

「新堂さん一人で交渉するのは、難しいですよ」


陽人は、そうですよねと小さな声で答えた。


「新堂、俺がつきあうよ」

「仙台さん……いいのですか?」

「部長が行けないという理由を、納得してもらうように誤魔化すしかないだろう」


仙台は、こんなことはよくある話しだと言いながら、陽人の前に書類を出した。

陽人は、どうするのかと問い返す。


「これ、PCの打ち直し、頼めないかな。
俺、頭は切れるんだけど、こういったものは苦手なんだ」


仙台は、恵利にもフォローを頼むと言った後、3人で作戦会議だと笑顔を見せた。





「それじゃ、ごめんね」

「はい、片付けは任せて下さい」


栞は、その日、8時前に仕事を終え、自転車を飛ばすと駅に向かった。

待ち合わせに指定された駅に着くのは、今から40分後になる。

走っても、それほど変わらないこともわかっていたが、

それでも気持ちが違う気がして、乗り換えの階段も、駆け上がった。

待ち合わせ場所に到着すると、多田はすでに到着していて、

栞を見つけると、すぐに手をあげる。


「栞……」


栞は軽く頭を下げ、多田に駆け寄った。


「ごめんなさい、遅くなって」

「いや、わがままを言ったのは僕の方だ。でも、嬉しいよ」


多田は、そういうとすぐに腰に手を回し、歩き出す。


「ホテルの部屋に、食事は運んでもらってある。時間が遅いだろ、
ゆっくりレストランで話しをしているのは無理かなと思って」


多田は栞とホテルの中に入り、そのままロビーを抜けると、

宿泊用のエレベーターを使い、部屋へ向かった。

栞は、普段、車で向かうようなホテルではない高級な場所に、戸惑ってしまう。

多田が、カードキーで扉を開けると、確かに、ワインと軽めの食事が、

テーブルの上に用意されていた。


「あ……」


多田はそのまま栞を抱きしめ、唇を重ねた。

少し乱暴に上着を床に落とすと、さらに、服の中へと手を入れていく。


「多田さん……」

「ごめん、今日はどうしても……」


多田は言葉の続きはわかるだろうと、さらに栞を支配した。

栞は、されるがままに服を脱がされ、下着姿のままベッドに倒れこむ。

いつもなら、栞の気持ちが高まるまで、ゆっくりと時を動かすのに、

今日はその余裕が全く感じられない。


「栞……心が壊れそうなんだ……」


多田はそう言うと、強引に時を動かそうとする。

栞は、自分の中に入ってくる多田の指先に、精一杯応えなければならないと、

その背中に手を回した。





「すっかり食事が冷めてしまった」


多田はそういうと、ベッドの中から立ち上がった。

栞は部屋に備え付けられているデジタル時計を見る。

時刻は10時を過ぎていた。


「栞が来てくれなかったら、絶望の中にたたき落とされるところだったよ」


多田はそう言いながら、脱ぎ捨てた服を身につけ、鏡の前に立ち、

ネクタイも戻していく。栞は少し遅れてベッドを抜け出すと、

同じように服を着始めた。


「上からも下からも、言いたいことを言われて、気持ちが滅入ってしまった」


多田はスーツの上着を着た後、栞にどうするかと問いかけた。

栞は、どういう意味なのかわからずに、動きを止めてしまう。


「食事、冷めてしまったから、あらためてどこか外で……」


多田の提案に、栞は首を振った。

今日は遅くなると言っていない日なので、このまま帰りますと答えていく。


「そうか、そうだよね」


多田は、ボタンをはめている栞に近づき、両手を首に回した。

栞は、多田が何をするのかわからず、鼓動だけが速くなってしまう。


「ネックレス……普段はしてくれないの?」


多田は、自分が贈ったネックレスを、していなかったのが残念だと、

首筋に親指を這わせた。ゆっくりと動く指先の刺激が、栞の言葉を止めてしまう。


「ごめん、また栞を困らせたな。僕とのことは、言えないんだったよね」

「多田さん」


多田は、ポケットから財布を取り出すと、中から1万円札を出し、

栞のバッグが置いてある場所の下に挟んだ。


【9-2】



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