9 揺れる心 【9-2】


【9-2】


「何をしているのですか」

「いや……今日は、無理に来させてしまったし、食事もさせてあげていないから」


栞は、そんなものは受け取れないと、1万円札を返そうとする。

多田は、栞の頬に手を当て、そっと唇に触れていく。


「栞……君を大切に思う気持ちからしていることだ。受け取ってくれ」

「でも……」


栞は、お金を受け取ることは出来ないと、多田に訴えた。

それまで優しい微笑みを浮かべていた多田は、ここで顔つきを変える。


「どうしてそんなふうに拒絶するんだ。呼ぶなと言うこと?」

「エ……」

「こんなふうに気持ちのまま、君を求めていくのは迷惑だと言うことなのか」


栞は、多田の表情が変わったことに気づき、どう話していいのかがわからなくなる。


「僕は、君を、精一杯幸せにしてあげたい、ただそれだけだ」


自信を持ったままの多田の言葉に、栞は自分が正しいのか、間違っているのか、

わからなくなってしまう。多田は、栞が手に持ったままの1万円札を丁寧に折ると、

もう一度バックの下に挟み込んだ。



栞と多田は、ホテルを出た後、駅の前で別れることになった。

多田は、もう一度栞の手を握り、今日は無理をさせて悪かったと謝罪する。

栞は、何度も首を振ると精一杯の笑顔を作る。


「気をつけて」

「はい」


階段を降りていく栞を見ていた多田は、少しずつ顔を変えていく。

両方の頬を、交互に膨らませて、思わず笑いそうになるのをこらえた。

携帯を取り出し、メールの中に『新堂陽人』の名前を見つけていく。

カーソルを動かし、内容を確認した。



『仙台先輩が相手方を納得させてくれたので、とてもスムーズに行きました。
今回は残念だったが、次回はぜひと、鈴木部長も気分よく、言ってくれました』



「はい……駒の方々、ごくろうさん」


多田は報告を見た後、

『お疲れ様、あらためて聞きます』という言葉を呼び出し、すぐに返信した。

バッグから手帳を取り出し、『会津栞』のページを開く。

ボールペンで今日の日付を書くと、初めての日付から、指で数を数え出す。


「でも……か。金を出されて、遠慮なんてしたってしょうがないだろう。
現状を変えようともがいたって、どうせ、先の見えている人生なんだからさ、
疑問なんて持たずに、俺の要求に従って、幸せを感じておけばいいんだよ」


多田は、栞が降りていった階段を見ながら、そう言うと、

タクシー乗り場の方へ、足を動かした。





栞は、車内で吊り輪につかまりながら、いつもとは違う余韻の中にいた。

これまでの多田との時間は、いつも栞が中心にあり、

多田に包まれているという感覚があった。

しかし、今日の多田は栞を押さえつけ、心の自由を与えてはくれなかった。

出された1万円札に対しても、強引に納得させられた気がして、

いまだに、気持ちが収まらずに、漂っている気がしてしまう。

それでも、それだけ辛いことがあっただろうと自分自身に言い聞かせ、

車内の週刊誌広告を見ながら、あまり考えすぎないようにした。





『今日、仕事が終わったら、『ライムライト』だからね。
良ちゃんが毎年恒例のことだから、3人で決めるって、そういうからさ』



週末の日曜日、栞は店へ向かう川沿いの道を走りながら、

今朝、突然言われた朱音の言葉を思い出していた。

園長先生のプレゼントを買うのだから、それを3人で決めるというのは、

当たり前なのかもしれないが、良牙に会うことが、少し怖い気もしていた。

多田とのことは何も知られていないし、焦る必要もない。

もし、会っているのかと聞かれたら、『会っていません』と言えばいいのだと、

べダルを漕ぎながら、自問自答する。

エンジン音がしたので、自転車を止めてその機体を見上げると、

以前、陽人が持っていた黄色い機体と、似たようなものに見えた。

視線の先に飛び込んできた機体は、くるりと円を描くようになる。

そのまま元に戻っていくのかと見ていたら、また栞の上まで近付き、

そして、旋回した。


「何?」


ラジコン飛行機は、栞の視線の先で、飛んで回って戻るの形を繰り返していく。


「ん?」


すると黄色の飛行機は一気に上昇し、そして今度は下へと動いていく。

その動きに視線を合わせていると、手を振っている人が視界に入った。

栞に気付き、わざと注目するような動きをさせたのは、

下でリモコンを動かす、陽人だった。

陽人は、自転車を止めたままの栞が、こっちを見ていると気付き、

片手で手を振ってみせる。


「新堂さん」

「あれ? 気付かないかな」

「危ないですよ、片手」

「あ……はい」


陽人にもらった飛行機を持ち、自分も飛ばす予定でやってきた恵利は、

その先にいる女性が、以前、陽人と話していた人だとわかり、また機嫌を悪くする。


「会津さん、日曜日休めないのか……」


栞は手を振ったのが陽人だとわかり、一応頭をさげた。

かといって、このまま止まっているわけにはいかないと、また自転車をこぎ始める。

陽人の視界に入っていたのは、ほんの数分で、

栞はあっという間に堤防の向こうへ消えていった。


「ここだと、日曜しか飛ばせないしな、ラジコン。
やっぱりインテリアになってしまうか」


陽人の飛行機は、飛行を終了し、目の前に着陸した。

陽人は機体を取りに行き、抱えながら戻ってくる。


「インテリアって……」


恵利は、胸騒ぎがして、そう問いかけた。


「会津さんにも、玉田さんが持っているのと同じものをプレゼントしたんですよ」

「エ?」

「前に、あの土手のところでラジコン飛行機を飛ばすのは楽しいですよと話したら、
自分が飛ぶわけでもないのに楽しいのかと言われてしまって」


恵利は、会社の同僚という接点がある自分だけではなく、

あの女性にも飛行機を贈っていたのだとわかり、ショックを受けた。


「やってみたら、世界が変わるんだけどな……」


恵利の表情に気付かない陽人は、そう言いながら栞が走っていった道の方を、

眺め続ける。


「……変わるんだけどな」


陽人の優しい表情が、自分ではない女性に向けられているのだとわかり、

恵利は、ラジコン飛行機を抱きしめながら、グッと唇をかみ締めた。


【9-3】



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