10 忘却 【10-1】

10 忘却


【10-1】


「栞……」

「ただいま」


栞が『ライムライト』に戻ると、朱音がすぐに近付いてきた。

一緒に戻ってきたすみれは役目を終えたと、さりげなくカウンターの中に戻っていく。


「急に飛び出すから、心配したよ」

「うん……」


良牙にも、二人の声が聞こえていた。何本目かのタバコをもみ消したが、

背中を向けたままで、栞のことを見ようとはしない。

すみれは、良牙の態度に気づく。


「良牙……叩いたこと、栞ちゃんに謝らないと」

「……叩かれるようなことをしているからだ」


良牙はそういうと、背を向けたまま、また新しいタバコを取り出そうとする。


「叩かれてもいいことなんて、栞ちゃんはしていません。
ここに来てもらって、話をしようと決めたのは良牙でしょう。
そういう屁理屈を言わないの。何があっても、女性に手をあげる男は、最低」


すみれは、力の差があるのだから、暴力は絶対にいけないと、そう言いきっていく。

栞と朱音は、良牙に対して言いたいことを言う、すみれの顔をじっと見る。


「それに、今、良牙は優しいんだよって話してきたんだから、
ここで優しい雰囲気がないと、成り立たないでしょ」


すみれにそこまで言われ、良牙は初めて栞の方を向いた。

園長先生に贈るプレゼントを決めるから座れと、指で椅子を示す。


「……全く」


すみれは栞の方を向き、ごめんねと口を動かした。

栞は黙ったままで、良牙の前に座る。


「悪かった」


良牙は栞の顔をちらっと見た後、小さな声でそう言った。

仕切り直しをしようと、すみれがカップを全て片付けていく。


「栞……」

「何?」

「お前は、全て納得しているとそう言ったけれど、俺は違うと思う。
二人の時にいくら嬉しい言葉をかけようが、何しようが、その男は必ず帰るんだぞ。
愛なんて冷めたとお前に言っている相手のところに、帰るんだ。
お前の順位は、結局、その下でしかなくて……。向こうの家族は、
お前のことも何も知らない。お前は守られているわけじゃない。
使われているだけだ」


良牙は、手を握りしめながら、冷静にそう語った。

栞も言葉を挟むことなく、ただ聞き続ける。


「本当に、栞を好きだと思っているのなら、大切だと思うのなら、
そんなこと出来ないだろ。自分の都合のいいように、相手のことを動かせるか?」


良牙の思いが、栞の心にしみていった。

しばらくゆっくり話すことが出来なかったけれど、こうして向き合えば、

やはり一番の理解者は、良牙なのではないかという気がしてしまう。


「俺は……出来ない」


良牙は悔しそうに唇を噛みしめる。


「良ちゃん……」


朱音はその場で立ち上がり、自分が栞をヘルプに誘ったからだと、頭を下げた。

栞はそれは違うと朱音の両手をつかむ。


「朱音」

「栞……」


すみれは、3人分のコーヒーを入れると、テーブルの上に置いた。

優しい香りが、崩れそうな輪をつなぎ止めようとする。


「ほら……園長先生に、素晴らしいプレゼント、選んであげないとね」


3人の真ん中に、すみれが雑誌の記事を広げ、話を切り出した。





良牙とすみれが『ライムライト』に色々と出前を取ってくれたため、

栞と朱音は、そこで夕食まで済ませることになった。

自転車で来てしまった栞はライトをつけ、部屋まで走り、

朱音は良牙のバイクの後ろに乗せてもらい、先に戻った。

栞が自転車を止めて、明かりのついた部屋に戻ると、

朱音はリビングに正座をした状態で待っていた。


「朱音」

「ごめん、本当にごめんね、栞」

「どうして謝るの」

「だってさ、お店のヘルプを頼まなければ、多田さんと出会うこともなかったし、
月曜日もね、私、直接聞いてみようと思っていたのに、結局言い出せなくて、
良ちゃんに助けを求めたから」


朱音は、以前からおかしいなと思うことがあり、

多田と会っているのではないかと、考えていたことを話した。

栞はそうだったのかと、椅子に腰掛ける。


「良ちゃんも心配しているんだよ。家庭のある人でしょ。絶対に辛くなるって」


栞は、朱音のセリフに、言い返すことが出来なかった。

今までなら、多田が大人として接してくれることに、自分なりの満足感があること、

先が見えなくても、今という時間を大事にしたいのだと言えたのに、

言葉の表と裏をすみれに語られてしまい、その通りだという気持ちが、

心の中に広がり始める。


「それでも、別れられない?」


朱音は、細い声で、そう言った。

栞はしばらく黙っていたが、一度『ふぅ』と息を吐く。


「……わかっているんだよね、本当は」

「エ……」

「冷え切った家族よりも、私の方が下だってこと」

「栞……」

「こんなこと、していちゃダメなんだって。それもわかっていた。
だから、朱音に勉強しているとか、ウソまでついたんだと思う」


栞は、そういうと、テーブルの上に突っ伏した。

それならすぐに『別れ』を切り出さなければと思うのに、

多田の声を思い出すと、その言葉を出す自信が全くない。


「つっぱって生きてきたつもりはないけれど、でも、多田さんの声がそこにあると、
弱い自分でもいいんだって、そう思えてしまって」

「栞……」

「誰かに頼りたいって思いが、何かにすがりたいって気持ちが、ぬぐえない」


朱音は栞の肩をポンと叩く。


「ごめんね、栞に押し付けるようになってしまって。でも……」

「わかってる……」


朱音は、それ以上何も言うことは出来ないと思い、

お風呂を入れようと言いながら、席を立った。


【10-2】



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