14 空と木々への誓い

14 空と木々への誓い

私が電車に飛び乗り、待ち合わせの駅に到着すると、蓮は一番端にあるベンチに、

一人だけで座っていた。10日ぶりの再会に、軽く声をかけることが出来ず、

私は無言のまま彼の横に立つ。視線を向けた蓮は、私の腕をしっかりとつかみ、

改札を出ると、反対側の手でタクシーを止めた。


目的地を告げ、タクシーは私達を乗せて、ゆっくりと走り出す。

誰を乗せてもそうなのだろう。運転手はこのあたりの景色の良さを語ったが、

蓮は何も言わずにただまっすぐ前を向き、その問いかけに答えることはなかった。

都会に比べ季節の進みが早いこの場所では、まだ夕方とは言えない時間なのに、

日もかげりはじめ、巣へ向かう鳥たちが、声をあげながら何匹か空を舞った。


駅から30分ほど走り、私達はタクシーを下りる。

その場所はやはり、父と幸さんが事故に遭い命を落としたカーブで、

そばにはスピード注意の看板があり、道路には色がつき、ドライバーへの警告があった。


駅のホームでつかまれた腕を、蓮は一度も離さなかったが、初めて、この場所で私は自由になる。

そのしびれの余韻を感じたまま、吸い込まれそうな自然に目を向けた。


「連絡、遅くなってごめん。あれから色々と考えたんだ。敦子の言葉も、
母さんに言われ続けてきたことも」

「うん」

「姉さんの名簿を引っ張り出して、住所がわかった何人かに、会ってきた」

「うん……」


やはり蓮は、ただ怒って飛び出したのではなかった。

しっかりと前を向き、過去を受け止めようとしていたことがわかり、根拠のなかった自信が、

その瞬間、確信に変わる。


「ピアノ専攻科の同級生だった藤田さん、そして神野さん。
それから当時、声楽科を教えていた山際先生。三人とも同じことを教えてくれた。
姉さんが、園田先生に憧れていたことは間違いない。
でも、二人がそんな関係にあったなんてことは、考えられないって」


汚された名誉など、今さら挽回しようと思っていたわけではないのだが、父の娘として、

そのコメントは、涙が出るほど嬉しかった。


「敦子、ごめん……。それでも僕は、母がずっとウソをついてきたとは思いたくない」

「うん……」


私は素直な気持ちで頷いた。私が亡くなった父を信じたいように、蓮もご両親を信じたい。

それは自然で当たり前のことだ。今となってはどうしようもない18年の歳月が、

重く、大きく立ちはだかる。


「でも、敦子の言葉もウソじゃないとそう思う」


私のことを認めてくれた。

そのセリフを聞き、どこか顔を合わせるのが怖かった蓮と、やっと目を合わせる。

そこには、あの日、怒って部屋を出た蓮の鋭い視線ではなく、いつもの優しい蓮がいた。


「妻がいて、守るべき子供がいるのに、教え子とも言える音大生と不倫をするような男が
父親だとしたら、敦子はこんな女性にならなかったはずだし、そんな教師だったら、
18年経った今、教え子達から、素敵な先生だったとは言ってもらえないと思う」


蓮の一言一言が、心にしみこんだ。誰がウソをついたとか、誰の責任だとか、

そんなことを探りたいわけじゃない。

突然落とされた18年前の闇から、私たちは懸命に這い出ようとしている。


「敦子のお父さんを否定したら、敦子を否定することになる。それは……出来ない。
だから、ここに君を連れてきた。その時の二人の想いを、僕たちが出来る限り、
知るべきだと思った。そのなかで、もし、僕にとって、そして敦子にとって、
目を背けたくなるような真実が見えたとしても……」


知りたくなかった父の顔が、見えることになったとしても……。

私は夕焼けに染まっていく山の木々を見ながら、その言葉を受け止める。


「敦子への想いは……変わらない。それをこの10日間で、しっかりと確信した」


大きく呼吸をする間に、私の体はしっかりと蓮の腕の中にあった。

もう、二度と感じられないかと思っていた感覚を、また体に取り戻す。


「敦子の声を聞いたらきっと、自分の気持ちが定まらないまま、会いに行ってしまう気がして、
連絡を取らなかったんだ。僕が君を選ぶことは、君自身にも辛い思いをさせることになる。
だから、会いたくて、会いたくてたまらない気持ちが、本物なのだと、自分自身、
もう一回、確認したかった」


蓮の鼻先が私の髪に触れ、呼吸の音が耳に届いた。

その音を聞き、私の目の前の景色が、少しずつぼやけていく。


「会いたくて……おかしくなりそうだった」


何を言われても受け止めるしかないと、そう思っていた。

もう君とはつきあえないと言われても、仕方がないとどこかで自分に言い聞かせていた。

それでも、その反面、それを覆そうともがく自分もいた。


蓮の優しい言葉に、耐えていた涙がポロポロとこぼれ落ちる。

少しこちらをのぞき込むようにしながら、蓮は私にそっとキスをした。

私の呼吸を邪魔しないように、何度も何度も唇を重ね、この10日間の寂しさと、

不安な気持ちを取り去ってくれた。





部屋へ戻れない時間ではなかったが、駅へ戻り、近くの民宿を教えてもらう。

電車に乗って、揺られている時間がもったいないとそう思った。

そして、この場所にいることで、父と幸さんの想いが、どこか伝わってくるような

そんな気持ちもあった。


私たちは、8畳の広さがある部屋を借り、旅館の女将さんは、飛び込みにも関わらず、

温かい食事もきちんと出してくれた。

天然温泉ではないが、清潔にされたお風呂に入り、浴衣を着て、丹前を羽織る。

部屋の窓を開け、山と緑に触れた風を二人で受け、ほてった顔を、少し冷やしてみる。


「敦子のお父さん、いい男だったな」

「エ……」

「藤田さんが写真を見せてくれたんだ。姉さんを含めた7人で撮った写真、
みんないい顔をして笑っていた。園田先生は優しそうで、それでいて頑固そうで……」

「頑固……は頑固だったみたいよ。雪岡先生もよくそう言ってるもの」

「……僕のこと……、生きていたらどんなふうに見てくれただろうな……」


蓮はそうポツリとつぶやくと、静かに光を送り続ける月を見た。

私と蓮が並んで、この場所に立っていることを、父と幸さんはどう思うだろう。

知りたいような、知りたくないような、そんな気持ちになる。


「ねぇ……閉めよう。ちょっと寒い」

「あ、ごめん」


蓮は、ゆっくりと窓を閉め、月からこちらが見えないように、ふすまを閉めた。





部屋の壁に寄りかかり、二人でひとつのお茶を交互に飲んだ。

少しずつ体が温められ、心が動き出す。


「そうだ、蓮、雪岡先生に電話した?」

「うん。敦子がお風呂に入っているときに、連絡した」

「書類提出日に行方不明だなんて、怒られたでしょ」

「あぁ。早口でワーワー叫んでたよ。でも、受けないって言ったのに、菜摘が勝手に騒いだんだ。
特には気にしてない」

「どういうこと?」

「『芝波』は、お父さんが重役を務めている会社なんだ。
まぁ、うちの学部から毎年何人かは受験しているみたいだけど、僕は断った。
それなのに、勝手に受けることにされていた。だからすっぽかした」

「だいじょうぶなの?」

「さぁ……。戻ってから考えればいいよ」


そう言った蓮の視線が、私の顔から少しだけ下にずれる。私はその視線の先へ手を動かし、

襟元を軽く直した。


「いいな……浴衣」

「そう?」

「うん……ここに泊まった価値がある……」


襟元を直した私の手をどけるように、蓮の手が隙間から遠慮なく入り込む。

私を動かす場所を知っている指は、すぐに胸先を捕らえ、小さな円を描いた。

その動きが少しずつ大きくなり、蓮の手は邪魔をする布を取り払い、

私の肩と背中にスーッと冷たい風が触れる。


唇が塞がれている状態に、唯一自由になる脚を動かすと、浴衣は原型をとどめないほど、

乱れ始め、腰に触れる帯が、私を妙に締め付けた。


「ねぇ……蓮、帯外して……」

「どうしようかな」


蓮はちょっとだけ意地悪な顔をして、こっちを見た。その瞳の動きに、心の隅までつかまれる。


「敦子のそんな困った顔が、もう少し見ていたい……」

「エ……ちょっと……」


子供のような蓮に、私は振り回された。逃げれば追いかけられ、動かされて、

一人だけ想いの深さを嘆いてしまう。指を肩にあてて、必死につかんでも、

一度大きく振られると、乱れてしまうのは私の方だった。


時よりわき上がる感覚に、小刻みに震えてしまう体を、蓮は不安にさせないように受け止め、

力強く包み込む。そんな時に目が合うと、恥ずかしさより嬉しさの方を表現したくなり、

声を出し、名前を何度も呼び、自分が愛されているのだと確認したくなった。


一方的に押し寄せる波を受け続け、それでも必死にしがみついていると、

少しずつ蓮との想いが重なり合い、やがて同じ呼吸の音を感じるようになる。

触れあう場所の熱を、吐息で逃がしながら、私達は同じ感覚を受け止めた。


蓮……。私は何度、あなたの名前を呼んだ? こんな私に呆れたりはしない?


「敦子は何をしてた? この10日」

「父の楽譜を取りに、園田の家へ行った」

「そうか……、蓮、蓮って泣いていたのかと思ってた」


少し得意げにそう言った蓮の顔を見て、違うわよと言ってやろうとしたが、

頭と心はうらはらに素直に頷く私がいた。食卓を挟み向かい合うと、

私がそれなりの説教を蓮にすることが多いのに、こうして部屋の真ん中で、

ひとつの布団に入ったままでいると、導くのはいつも蓮で、私は寄り添うことしかできなくなる。


「何か……話したの?」

「母にね、父の事故のことを知っている人と連絡が取れないかって聞いたんだけど、嫌がられた。
私たちのことも……」

「反対された……だろ」

「うん」


あの楽譜は間違いなく父のもので、他に残された楽譜にも、すべてADAの文字が残されていた。

そんな小さな事実も、私は隠さず蓮に告げる。


「反対されるのは仕方がないよ。僕たちだって、
やっと気持ちの整理をつけ始めているんだからさ。とにかく就職決めて、それから……」

「あ……決まったのよ。小さな水道工事の会社なんだけど、事務で採用してもらった」

「ん? いや、敦子じゃないよ、僕のこと。就職も決めてない男じゃ、
さらに反対されるだけだと思ったんだけど……」

「あ……」


自分中心になってしまい、慌てて口元に手を当てると、蓮は笑いながら、

中指でおでこをパチンとはねた。


「痛い」

「おめでとう! ってことだよ。よし、僕も頑張らないと」

「……うん」

「敦子が待ってるから」


色々な意味に取れるその言葉を、私は一番自分が嬉しい言葉に置き換えて、

蓮の胸に顔を埋め、しっかりと受けとった。

外の寒さとは違い、私の心はあたたかく満たされたまま、そこにある幸せに、ただ身を置いた。





15 ささやかな秘密 へ……




いつもおつきあいありがとうございます……

ランキング参加中です。よかったら1ポチ……ご協力ください。

コメント

非公開コメント

これからですね

こんにちは!!

二人がまた手を取り合えてよかった。
でも、これからがまた大変ですね。
両家に二人の仲を認めさせられるでしょうか?

互いに離れられないことがわかったのだから
どんな困難にも負けない、かな?

心の澱をきれいに流すことは無理でも
二人の強い気持ちがわかれば大丈夫・・・かも?


まずは蓮君の就職だね。
そういえば蓮君て何気にお坊ちゃま?
お父さんからの就職の世話を断って
(余計な御世話だったようだけど)
2人の事にまた問題増やしてない・・・?

    
     では、また・・・。e-463 

誰か謎を解いて!

蓮も敦子も兎に角本当のことが知りたい。

仮に不倫であったにしても、何故死ななければならなかったか。
そうでなく事故と処理されたものがどうして不倫のはての心中になったのか?

蓮の両親だって娘が不倫して心中なんて噂は気分が良くない筈なのに、何故蓮にはそう言い続けてきたのか?

全てが何故?何故?

誰かが何かを知っている?それは誰?
あーー気になる!!!!!眠れん。

ひとつ越えても

mamanさん、こんばんは!


>でも、これからがまた大変ですね。
 両家に二人の仲を認めさせられるでしょうか?

認めさせないとね。
しかし、それにはそれだけの理由もないと……
うーん……


>そういえば蓮君て何気にお坊ちゃま?
 お父さんからの就職の世話を断って

蓮はおぼっちゃまじゃないよ。就職の世話は、菜摘がやったことだからね、自分の父親を使って。

では……また!

謎はとけるのか

yonyonさん、こんばんは!


>蓮の両親だって娘が不倫して心中なんて
 噂は気分が良くない筈なのに、
 何故蓮にはそう言い続けてきたのか?
 全てが何故?何故?
 誰かが何かを知っている?それは誰?

そうなんですよ、そうなのよ。
二人の結びつきは強くなっても、謎は謎のまま

それが晴れる日は来るのだろうか。
そして……

……続く。

蓮、ポイントUP!

yokanさん、こんばんは!


>蓮君、カッコいい~、男だね~^^

ありがとう! 伝えておきます!


>とにかく、二人の絆は強く結ばれていることを確認!
 良かった^^あとは二人の母親だよね(ーー;)

そうなんだけどね。
これがまた、簡単にはいかないよね。