15 ささやかな秘密

15 ささやかな秘密

二人で奥多摩へ出かけてから10日後、私は蓮と二人で、幸さんが学生時代一番親しくしていた、

橋本さんの家へ向かうことになった。結婚し母になったその人は、私と蓮のことを見て、

驚いてしまう。


「園田先生の娘さんなの?」

「はい……垣内敦子と言います。今日は、お忙しいところをすみません」

「いえいえ、蓮君から連絡をもらって、それだけでも驚いたのに、
まさか、園田先生のお嬢さんと一緒に来てくれるなんて……なんだか……」


橋本さんは、私たちが来るからと、古いアルバムを探し出してくれた。

それは以前、蓮が話していた写真で、6人の女性の端に、間違いなく父が写っている。

学生の服装と、少し色が落ちかかったフィルム写真に、18年の流れを感じ取る。


「園田先生は、教え方もとっても優しくて、学生にとても人気があったのよ。
その当時、大学にはバイオリンの先生で素敵な人もいて、どっちがいいかなんて、
みんなで言い合ったことを思い出すわ」


蓮は、橋本さんが出してくれた紅茶に口をつけ、渡されたアルバムの写真を、

一枚ずつ確認するように見る。

蓮にはこの写真に写るお姉さんと父の姿が、どう見えてくるのだろう。


「私が知っていること、思っていることしか言えないから、
二人の気持ちを解決させてあげられるかはわからないけど、それでいいかしら」

「もちろんです。知っていることだけで十分ですから」


橋本さんは、少しほっとした表情で、話し始めた。

懐かしい日々を語る口調は、当時の楽しさを思い出すのか、ゆっくりと穏やかだ。


「幸が園田先生を好きだというのは、同級生はみんな知っていたわ。
先生が次にレッスンしに来る日を、幸は手帳にチェックして、
その日にあわせてケーキをつくって来たこともあったもの。
でもね、その気持ちは男女の愛しさというよりも、恩師に対する憧れというか、
同じ演奏者としての尊敬の念だと私は思うの。園田先生も、内気で、
自分を表に出せない幸を気にしていたけれど、決して、えこひいきをしなかったし、
彼女だけが特別に愛されているなんて、感じたことはなかった」


話をしながら、橋本さんは少し減った蓮のカップに、紅茶をつぎ足した。


「ただ、どうして二人があの時間に、車に乗っていたのかは……わからなくて……」


その橋本さんの言葉に、私も蓮も同時に頷いた。そこが解決しなければ、

二人の気持ちの純粋さが証明されない。


「幸はクラスでも一番優秀だったから、音楽大学が主催するコンクールなんかにも、
何度も名前を登録されていて、期待の星だった。
その分、園田先生がレッスンをすることも多かったけど、たしか、園田先生は次の日、
誰か知り合いの方と会うって……そんな話をしていたと思うの。
だから、幸を含めたコンクール組3人が、最後まで残されて……。
その後、幸は部屋に戻って夕食を食べて、で、寝る少し前に、一日気が張っていたから、
ちょっと風に吹かれたいって……出て行って……」


橋本さんは、記憶の中から、懸命にあの日のことを思い出そうと、写真を手に取り、

何度も視線を移動させる。


「……で、戻ってきて……あれ? 戻らなかった?」


次の日、合宿所を離れなければならなかった父が、限られた時間ぎりぎりまで、

学生の指導をしていたことを聞き、頑固で真面目だという、

私の中で少しだけ残っている面影、そのものだったことをあらためて知った。


「あぁ……ダメ。その辺から記憶が……どうしても……」

「わかりました。ありがとうございます」


苦しそうに下を向いた橋本さんに、蓮はもういいですという気持ちを込めて、声をかけた。

思い出の中に浮かんでいた私も、慌てて頭を下げる。


「ごめんなさいね。一番重要な夜の部分が、出てこないのよ……なんせ18年も前のことだから」

「いえ、こちらこそすみません。貴重なお時間を……」

「ううん、いいのよ。あなたたちが知りたいと思うのは当然だもの。
でも、私も藤田さん達と一緒。あの二人が後ろ指をさされるような関係だったとは、
とうてい思えない。それだけは自信を持って言い切るから」


橋本さんは、そうしっかりとした言葉で、私たちに告げてくれた。

私は知らなかった父をたくさん知ることが出来、嬉しい時間だったが、

蓮はどう感じたのだろう。並んで駅まで歩きながら、口数の少ない蓮が気になった。


「敦子の言うとおりだったな」


言葉は出せなかった。蓮は私の無言の返事を、頑張って作ってくれた笑顔で受け止める。


「お父さんは真面目な人だ。二人が不倫の関係だったなんていうのは、勘違いだと思う」


蓮が父のことをそう言ってくれるのは嬉しかったが、信じてきた18年が、

覆されてしまうのがかわいそうだった。


「何が……あったのかな」


そんな言葉をつぶやき、少しだけ前を歩く蓮の背中が寂しそうで、私は右腕を掴み、

駅までしっかりと寄り添った。





それから蓮は、就職活動に本腰を入れなければならず、スーツ姿で大学と企業を、

あちこちまわる日々が続き、私も就職した『松井水道』の事務仕事に、

懸命に慣れようとする日々が始まった。


蓮は外で食事をするより、私の作ったものが食べたいとデートは部屋に来ることが多く、

たいしたレパートリーのないことが、私の近頃の悩みになる。


仕事を終えた帰り道、駅前のビルを見上げると、そんな悩みを知った神様からの、

贈り物だと思える看板が目に入った。



『菊川料理教室』



エレベーターで3階まで向かい、玄関の前に置かれているチラシを取ると、

火曜と木曜の7時過ぎから開いているコースを、見つけることが出来た。

ここなら、仕事の帰りに寄ることが出来、戻る時間が遅いことも、蓮に残業だからと言って、

誤魔化すことが出来る。


いや、別に悪いことをしているわけではないのだから、知られてもいいのかもしれないが、

27にもなって、料理教室へ行かなければならない自分の現実を、

話すことがどこか気恥ずかしく、私は初めて蓮に秘密を持った。


授業料もそれほど高くなく、家に戻った私が、一緒についていた入会申込書に記入していると、

インターフォンを鳴らす音がしたため、慌てて棚の中に隠す。


「はい……」


部屋へ入ると蓮はコートを脱ぎ、そして、上着を脱いだ。私はそれをハンガーにかけ、

壁にあるフックにかける。


「あぁ……疲れた」

「大変なんだ、就職活動」

「うん、それもそうなんだけどさ。母さんが来週から、
東城総合病院に入院することになったんだ」

「エ……」


昔から蓮のお母さんは体が弱く、心臓に持病も持っていた。

年に一度は検査のために入院しているが、今回はその季節を待たずに、

少し数値が悪くなったので、大事を取ることになった。


「就職を決めて、両方の親につきあっていることを話さないとと思っているのに、
ちょっと時間をずらさないとまずいかもしれないな」

「蓮、無理しないで。私が園田の娘だって知ったら、それこそお母さん、
ますます具合が悪くなりそうだもの。焦ったりしないで、ゆっくりでいいから……」

「うん……」



『垣内と園田を捨てなさい……』



両方の親に話すのだと言った蓮の言葉を聞いた時、少しだけ私は心が痛んだ。

母の冷たい態度と、あれから一度も顔を合わせてくれなかった深い傷が蘇る。

そんな悲しみを、私達はどれくらい耐えていけば、認めてもらえるのだろうか。


「敦子……ごめんな」

「何? どうして謝るの?」


突然の蓮からの謝罪の意味がわからず、食事の支度をしている私の手が止まった。

振り向き蓮を見ると、手がネクタイに触れたまま、どこか辛そうな顔をしている。


「大学の仕事も辞めさせたのに、僕の方はまだ何も動けなくて、不安のひとつさえ、
取り除いてやれない」

「……蓮」

「今更ながら、なんで年下なんだろうなと思うよ、こっちが!」


蓮は思い切りソファーに飛び込むようにして寝転がると、無言のまま天井をにらんだ。

気にしていないようで、気にしている。男としては頼って欲しいところだろうが、

就職も収入もない状態で、年下になる蓮としては、ジリジリとする気持ちも強いだろう。

私はゆっくりと近づき、表情を確認すると、蓮の胸の上に頭を乗せる。


「頼りないよな……いざとなったら甘えるだけで」

「そんなこというなんて、蓮らしくない。何も心配してないし、不安もないわ。
誰に何を言われても、私は堂々とあなたのことを話せるし、
頼りないなんて思ったこともないんだから」


そう、私は誰に聞かれても、あなたが大切な人なのだと、胸を張って言うことが出来る。

どこか冷静になってしまった過去の恋ではなく、心の底から蓮を求めていると、

今は、自分に素直になれる。


「そうか、敦子がそう言うなら、それでいい」

「うわぁ……単純……」


ほんの一瞬で立ち直った蓮の返事に、私はおかしくなり、笑いながら言い返した。

寝転んでいた蓮は体を起こし、こっちを見る。


「なんだよ、励ましておいて、落ち込ませるのか」


ちょっとしたところで顔を出す、子供のような蓮がおかしくて、小さな怒りのうちに、

芽は取っておこうと、私はなだめるつもりで軽くキスをした。


「ご飯、食べよう。蓮が来るの、待ってたんだもの」


その瞬間、蓮の手が腕に伸び、一瞬で私の体は彼の膝の上に乗ってしまう。

その体を横に向け、しっかりと抱きかかえると、蓮は立ち上がった。


「ちょっと蓮、食事だってば……」


私の言葉を無視したまま、蓮は私の体をベッドにおろしたので、

そのままいいようにされてはたまらないと、体を起こそうとしたが、ネクタイを緩め、

はずした蓮の顔が近づき、その迫力に半分浮き上がった体は力を無くし、そのまま下へ戻る。


互いの唇が何度か触れ、その回数を重ねていく。

頭と心が別の方向へ向きそうになるのを抑えながら、私は言葉で気持ちを制御する。


「蓮、ねぇ……食事でしょ。せっかく温めたのに……冷めちゃう……」


そう言ってみたものの、蓮の唇は、私の首筋からさらに下へ落ちていく。

そんな誘いに気持ちだけはすぐ、蓮へ向かって動き始め、私の抵抗する動きが弱くなる。

いつの間にか、私の頭は蓮の腕の上にあり、互いに横を向いたままもう一度キスをした。


「敦子……はずして……」


蓮は私の顔を見た後、スッと視線を下へずらした。もう一度戻ってきた蓮の目から、

私は動けなくなる。


「……はずして」


私の視線が下へ向かい、手がベルトへ動きかけた時、蓮の腕がその手の動きを止めた。

見つめ合った彼の頬が、にやりと動く。


「違うよ敦子……食事をするんだろ。ワイシャツのボタンが固いんだ。
一番上をはずして欲しいんだけど……」

「エ……」


蓮は、私の反応を始めから予想していて、わざとこんなふうに仕向けたのだ。

まんまとだまされた私は、真っ赤になり慌ててボタンに手を伸ばす。

焦りと恥ずかしさで、何度か指を滑らすと、蓮は得意げな笑顔を見せた。


「敦子は、何をはずすと思ったのかな。食事もまだなのに……」

「……もう、黙って!」


そう大きな声で、騙された怒りをぶつけてみたが、

考えたらあまりにもおかしいのは自分の行動で、私は蓮のボタンをはずし終え、

そのまま彼の胸に顔を埋め、笑い始める。

蓮はそんな私に腕を伸ばし、そっと包み込むように、しばらく黙って抱きしめてくれた。





私は『菊川料理教室』に入室し、週に1度、彼女修業をすることになった。

先生を務める菊川登美子さんは、少し白髪の交じった女性で、楽しい話をしながら、

生徒を引っ張ってくれる。何よりもこの教室を私が気に入ったのは、

先生がバックミュージックとして、クラシックを好んでかけることだった。


「次、みりんと砂糖の分量ですが、ご主人や彼と甘い時間を過ごしたいからといって、
やたらに甘くしたらダメでですよ!」

「はい!」


どちらかというと、味がしっかりと安定しないため、不得意だった煮物料理も、

先生の簡単なコツを聞いただけで、自分なりにつかんだような気になってしまう。

まぁ、聞いているのと、やるのでは、実際違うのだけれど、今度蓮が来た時には、

ぜひチャレンジしてみようとメモを取りながら思った。


「垣内さん、上手に包丁使えてますよ。彼への愛情をたっぷり入れたら、美味しくなるからね」

「……はい」


この時間に料理教室へ来ている人たちとの夕食は、楽しいものだった。

それぞれ、その日作ったものを食べながら、先生がもう1品、必ず提供してくれる。


「コホン……それでは今月から入室してくれた垣内さんに、
愛情たっぷりの料理を食べさせる、予定の方のことを聞きましょう」

「エ……」


私より少し前に入った女性が、入室すると恒例なのだと言いながら笑い、

綺麗に洗い終えたお玉を差し出した。それをマイク代わりに、入会した理由と、

作った物を食べさせたい、恋人やご主人のことを語るのだという。


「どんな方なのか、それだけでいいのよ。堅苦しく考えないで……」

「はい……」


私は蓮の色々な表情を思い浮かべながら、彼のことを話した。歳は2つ年下だけれど、

とても頼りがいがあって、わがままですぐに怒るけれど、本当はすごく優しいところもあり、

毎日が発見出来る人なのだと。ほんのひと言告げるだけでよかったのかもしれないが、

蓮への想いは、ひと言じゃ終われない。


「あらあら……そこまで言う人は初めてよ、垣内さん」

「エ……」


みんな職業や、年齢くらいしか言わないのだと後から気付き、みなさんの笑顔の拍手の中、

その日の私は真っ赤になったまま、料理教室を終えた。





16 ひとり歩き へ……




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コメント

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いい方向へ・・・^^

16話の前に、もう一度復習~^^

敦子のお父さんの人柄…
蓮と二人で確認できたから…^^
さらに同じベクトルで、一緒に進んでいけるようになったのね。良かった!

蓮も自分が年下で、まだ就職が決まってないことを
気にしてるんだね…。
頑張れ!蓮~~

『菊川料理教室』
この看板は、「神様からの贈り物」…なのね^^
料理のレパートリーが増えるってことだけじゃない…他の意味もありそうな予感~^^

かわいいな敦子さん

こんにちは!!

敦子さんのお父さんと蓮君のおねえさんのこと
18年も前の事だから真実を探り当てるのは難しいよね。
あたしゃ、昨日のことでも怪しいってのに・・・
すでにボケ始めてる・・・かな。

蓮君の悪戯に敦子さん年上の余裕まったくなしだね・・・
でも、ああ来られたらベルトに行くでしょう、手は。
彼の為に料理教室に行ってる敦子さんをからかうなんてお仕置きじゃ、蓮!(-_-)/~~~ピシー!ピシー!

料理教室で蓮君のことを熱く語る敦子さんて、乙女でかわいい。
それを知ったら蓮君はなんて言うかな。
て言うか、料理教室通いはばれない・・・?

久々に敦子さんのほのぼのした感じがみれたな。



    では、また・・・。e-463

男は胃袋

からかわれた敦子が可愛い。

年下を気にしてる風にみせて甘えて、でもちゃんと男として
彼女を守りたい。と思ってる蓮が素敵だな。

男は胃袋を抑えられると逃げないらしい・・(ほんとか?)

料理が驚異的に美味くなってビックリする蓮を早く見たい。

年下の男の子

eikoちゃん、こんばんは!


>16話の前に、もう一度復習~^^

復習まで……ありがとうございます。


>蓮も自分が年下で、まだ就職が決まってないことを
 気にしてるんだね…。

気にしている振りをしたと思えば……の蓮ですが(笑)
まぁ、男は、女より上にいたいという気持ちがあるのかな……と。

菊川先生の意味? うふふ、それは16話へ!

ほっとする……

mamanさん、こんばんは!


>敦子さんのお父さんと蓮君のおねえさんのこと
18年も前の事だから真実を探り当てるのは難しいよね。

難しいはずなんですよね。でも、知りたいと思う二人。
さて、何かが出てくるでしょうか。


>久々に敦子さんのほのぼのした感じがみれたな。

ちょっとシリアスなところが多いから、そういった、ほっとするところもないとね、詰まっちゃうので(笑)

では、また来てね!

蓮と料理と敦子さん

yonyonさん、こんばんは!


>年下を気にしてる風にみせて甘えて、
 でもちゃんと男として 彼女を守りたい。と思ってる
 蓮が素敵だな。

ありがとう……。年下だけれど、しっかりしていると、
敦子も言っちゃってますからね(笑)

料理で蓮が驚く前に、別のことで驚きそうなのです。

溝の深さ

yokanさん、こんばんは!
ごめんなさい、お返事遅れちゃって……。


>本当の事故の原因がわかっても、
 それぞれの家族の溝は深いでしょうね。

はい、深いと思います。ただ、明らかになって、何かがわかることもあるので……と、言いつつも、そりゃ簡単にはいかないと思いますよ。

二人のために、頑張りますので、これからも応援よろしくお願いします。