32 思いやり 【32-4】


【32-4】


「あなたの言うとおり、浪岡さんの力が強いことは僕にもよくわかります。
みなさん、スーパーや幼稚園などにも顔を出すそうですし。
浪岡さんの経営するお店や会社が、この街の大きな力になっていることも、
それもわかります」

「だったら……」

「でも、浪岡さんが全てを握っているような言い方は、おかしいですよ」

「おかしい?」

「はい。生き方、感じ方まで、浪岡さんに仕切られることはないはずです」


陽人は栞がくれたお弁当を見つめ、そう言った。

陽人は、多田の理不尽なものの言い方に、黙っていたものの、

最終的に、問題を起こしてしまった流れを思い出した。

大変だという気持ちはあるけれど、行動に対しての後悔は何もない。


「僕の思いも、あなたの思いも……それぞれ自分のものだ。
他人に操られるものではないでしょう」


多田に逆らい、追いやられても、諦めずに立ち向かうことを決めたのは、

栞という存在があったからだと、陽人は一点を見つめ続ける。


「僕は、貴重な時間を、愚痴って流して終わるようなことはしたくありません。
変えたいのなら、変える努力を最大限すべきです」


麻希は、そう言った陽人の顔を見る。


「麻希さん。今の自分が嫌なら、それは自分で壊せばいい。
その勇気がないことを、人のせい……いや、
おじいさんである竜吉さんの責任にするのは、間違っています」

「間違っている?」

「はい」


麻希は、何かを言い返そうとしたが、そのまま黙って顔をそらすと、

何も言わずに事務所を出て行った。

陽人は誰もいない事務所の中で、左胸にそっと手を当てる。

自分の押し出した言葉を、一人じっくりと受け入れ続けた。





「まさかお弁当を持っていくとは……」

「おかしい?」

「いや、おかしくはない。朝早く起きて、よくやるなと思って」


部屋に戻った栞は、仕事に向かう準備をする朱音を見ながら、コーヒーを飲んだ。


「だって……何か出来ることはないかなと考えたけれど、それしか浮かばなくて」

「うん」

「半年って長いよね」

「栞……」


通勤時間が増えてしまい、さらに現場の人間ともなかなかうまくいかない陽人が、

疲れてしまうのではないかと、栞は心配になっていた。

朱音は、栞のカップを持ち、コーヒーを飲む。


「栞、新堂さんの部屋に居候する気持ちにでもなったら、いつでも言ってね」

「……どういうこと?」

「ん? そういう気持ちがあるのかなって、考えたりするし」


栞は、そんなことはないと言おうとしたが、そのまま口を閉じてしまう。


「気持ちはあるけれど……陽人さんがそれを望むのかどうかわからないでしょ。
一緒にいることで、また、気をつかわせる気もするし」

「うん」

「本当に半年で、戻れるのかな。それまでこんなふうに、
ただ毎日、心配とか不安とかを繰り返すのかなって……」


栞の嘆きにあわせるように、時計がボーンと音をさせる。

朱音は、仕事に行ってくるねと手を振り、部屋を出て行った。





昼休みになり、陽人は栞のくれたお弁当を広げた。

野菜と肉とバランスの取れたおかずがあり、

ご飯は小さめのおにぎりが、少しずつ味を変えて入っている。

陽人は栞の気持ちを感じながら、箸を動かしていたが、そこに扉を叩く音がした。


「はい」

「すみません、桜木です」

「あぁ……はい」


陽人が扉を開けると、立っていたのは、今朝バスで一緒になった富美子だった。

富美子は、すぐに中に入ると、陽人の机の上にある、弁当のそばに立つ。


「うふふ……これが今朝の」

「あぁ、はい」

「かわいらしいお弁当ですね」

「まぁ」


陽人は照れくささから弁当の蓋を乗せると、用件はなんでしょうかと富美子に尋ねた。

富美子は今朝、矢野から取り上げたメモを出す。


「ねぇ、新堂さん。ほら、今朝、話したでしょ、マラソン大会。
あれに出てくれないですか?」


富美子は、本当はみんな年齢の若い陽人にお願いしたいのだけれど、

『しなくら』本社の人に、どんなことでも頼るのは気が引けると、

意地を張っているとそう言った。

陽人は紙に書かれたメンバーの名前を見る。

矢野を始めとした顔ぶれは、製造のラインを取り仕切る男性や、

下請企業の中でも、中心で動く人が多かった。

確かに、若い人たちかというと、そうでもない。

それでも、このメンバーたちと共通点を見出せれば、また違った展開が、

工場内に生まれる気はした。


「走ればいいだけだから。元々、強豪チームは決まっているし、
順位なんてどうでもいいの。ただ、浪岡家が張り切る大会で、棄権はよくないでしょ。
だから……」


20代後半の陽人は、何も知らない人からみると、大会出場選手として、

最適の年齢だった。富美子は、こういうところで会話を交わしていると、

自然に気持ちが通じてくるものだと、そう話し続ける。


「私たちもさ、最初はまた本社から人が来た……くらいにしか思っていなかったのに、
ほら、あなたが花壇をいじってくれたでしょ。
花の話とか、そんなたわいもないところで、気持ち、変えてきたのよ」


人のつながりは、こういったところが原点だと、富美子は陽人に話す。


「新堂さんもさ、学生時代、運動やったことくらいあるでしょ」


走り終えた時の満足感、一緒に苦労をともにした仲間と、笑いあえる瞬間、

陽人の脳裏に、押し込んでいた感情や思い出が、蘇り始める。


「はい。メンバー最終登録は1週間後だから。メモ置いていきますね。
これ、矢野さんに戻してください。まぁ、どうしてもイヤだって言うのなら、
仕方ないけどさ」


富美子はそういうと、残さず食べてあげなねと言い残し、

事務所を出て行った。1枚のメモが陽人の前に残る。



『新堂! 新堂……どうしたんだ。おい、誰か……』



大学2年の夏が、陽人の心の奥から、顔をのぞかせる。

陽人は、富美子から渡されたメモを見つめたまま、しばらく動かなかった。


【32-5】



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