5 最高の褒め言葉 【5-4】


【5-4】


「あの『マルプー』、私より全然かわいいですよ」


尾崎さんはそういうと、パッと明るい笑顔になる。


「私、動物が大好きで、あ、特に犬が。でも、住んでいた場所は飼えなくて。
大人になったら飼おうと決めていたけれど、今はまたアパートなので、
もちろん、飼えなくて……。だから、ここを通るといつもかわいいなと……」

「そうですか」

「はい」


『あなたの方が、あのマルプーより、数倍かわいいですよ』と、さらに言いたくなる。


「おーい……みんないい人に会えるといいね」


尾崎さんは、自分の指を動かしながら、ケージの向こうにいる犬と、ガラス越しに戯れる。

優しい眼差しを犬に向けている彼女を見ていたら、

以前、ビルを見上げて泣いている時のことを思い出してしまった。



いや、辞めておこう。

せっかく楽しそうな顔をしているのに……



「前に、泣いているところを見てしまったことがあって……」

「エ……」




なんで言うかな、俺は。




『なぜ、ビルを見上げて泣いていたのか』

今、『言わない』と頭で決めていなかったか?

どうして勝手に動くんだ……俺の口。




「時々、こうして散歩に出るんです。アイデアに詰まったり、考え事があるとき。
あの日は朝で、おそらく尾崎さんは仕事後だと思いましたが……」



はい、もう無理です、全部口に出してしまった。こうなったら戻れない。



「『ヴォルクスタワー』を見上げて、泣いていた……」


黙ってしまう彼女。

仕事の内容を先に知っていたり、泣いた姿を見たと言ってみたり、

さらにますます『ストーカー』っぽくなってしまった。


「はぁ……そうか。見られちゃいましたか」


村井さんはどういう人なのと、曇った顔をされると思ったが、

尾崎さんは、恥ずかしいですと笑顔を見せてくれる。


「お弁当の仕事を始めたいと、私、『七王子』にいる両親に手紙を出しました。
もちろん、商売自体は自分でやるつもりですが、もし、気持ちが動いたら、
またみんなでという思いも、どこかにあって」

「はい」


洋食屋だった尾崎さんの家。

家族でやりたい。そう思うことは、普通のことだろう。


「でも今、両親は叔母の嫁ぎ先に世話になっている状態なので、
その手紙の内容が、どこからか叔母に伝わって、で、電話がありました。
ふざけたようなことを言うな、親を巻き込むなと……」

「叔母さん」

「はい。父の妹です。『七王子』で昔から農家をしている花角という家に嫁いでいて。
で、その家の仕事を手伝うことで、今は親が暮らしていることもあって。
だから、また商売だのと言い出して、農業を放り出されても困るし、
病気が悪化したらどうするんだと」


『花角』か。どんな家なのか、親父に聞いたらわかるだろうか。


「叔母の言うこともわかりますけれど、父も母も何もかも諦めてしまうには、
まだ人生、これからが長いです。私は、このために10年、頑張ってきたのだからと、
そう、思いながら……」


尾崎さんは視線を犬から、『ヴォルクスタワー』に向ける。


「どうしてそんな思いをわかってくれないのだろうと、
きっと悔しくて泣いていたところを、村井さんに見られてしまったのですね」


そう言った尾崎さんの目は、少し寂しそうだった。



10年間。



彼女の今までの人生は、弁当の商売を始めるために、

10年間を費やさないとならないようなものだった。



そのために……



「10年、ずっとビルの掃除を?」

「いえ、高校を卒業してからは、しばらく『七王子』の市場で働いていました。
でも、そこが移動して閉まることになって。叔母には農業をと言われましたが、
自分で決めた目標をしっかり見ていけるように、
頑張って『赤坂井』が見える場所に引っ越して」


尾崎さんは『赤坂井』の『ヴォルクスタワー』が見えるような場所に、引っ越した。


「家賃は高いですよね、『七王子』よりも」

「はい。でも、掘り出し物を見つけましたから」


尾崎さんは『すぐ近くを電車が走っていて、隣がお墓という好条件です』と、

楽しそうに話す。


「さらに築年数も本当に古くて。歩くとギシギシ言うんです。
なので、色々とあって、安くしてもらいました」


電車の騒音に、墓の隣。


「あ……ごめんなさい、私、ペラペラと」

「いえ、聞いているのは俺なので」


そう言った後、互いに少し途切れたような時間。

何か……言わないと。


「これでも仕事中でした。すぐに帰らないと、寄り道がばれてしまいます。
すみません……これで」


尾崎さんはケージの犬たちに手を振ると、頭を下げてかけだした。

なんだか慌てたように、ここから逃げ出すようになった気がするのは、俺だけだろうか。

彼女の事情を聞いた俺だけが、店の前に残される。



10年かぁ……



俺の10年前、22歳の頃。

瑛士や大吾と、『桜北』で好き放題していたな。

『アチーブ』の前身のようなことをしていたので、収入はそれなりにあったし、

大学入学から今まで、瑛士が言っていたように、告白してくる女の子がいたら、

よっぽど嫌なヤツだと思わない限り、楽しむ選択肢をとっていた。

周りの連中も、そんな生活をしている人ばかりだったから、

疑問に感じたこともなくて。

仕事のきっかけになった森永の家のホームページ直しも、

そんな遊びの延長だったかもしれない。



電車が走る、騒音の大きい場所、さらにお墓が隣にある、人が避ける場所。

そういう場所をあえて選んで、色々なものを我慢して、

『夢』をつかもうとしてきたのか。



それは、反対だと言われたら、泣きたくもなるだろう。



何か……してやれないのだろうか。



少しでも、彼女の苦労が報われるように。


【5-5】



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