17 過去を知る人

17 過去を知る人

料理教室の仲間3人で、菊川先生のご自宅に招待された日、そこに現れたのは蓮だった。

私は、テーブルを整える手を止め、扉の向こうにいる二人の会話が気になりだす。


「垣内さん、どうしたの?」

「あ……ううん、ごめんね」


ほんの2、3分後に先生は戻ってきて、急に恋人が来てくれたのと笑い、私たちを和ませる。

長崎さんは、恋人なら紹介して欲しいと言い返し、茂木さんもご主人に内緒なんですか? と

さらに付け加えた。


「うそよ、うそ。息子みたいなものなの。正確には友達の息子なんだけどね、
私、子供がいないでしょ。だから、小さい頃からかわいがっていて……。だから恋人」

「エ……おいくつなんですか? 先生、その方独身?」

「何言ってるのよ、長崎さん」


テーブルはお茶の用意をしっかり済ませ、先生が最後の飾り付けをするのを、

私たちは興味深く見つめる。


「だってさ、茂木さんはもうじき結婚するし、垣内さんには年下の素敵な彼がいるんでしょ?
私だけ寂しい女だから、話題もないんだもの」

「寂しいって……」

「年齢は25だったかな、まだ独身よ。でも、きっと彼女はいるはず。
私が言うのもなんだけど、結構いい男だもの」

「エ……見たい、いや……会ってみたいです」


私の気持ちとは裏腹に、長崎さんはどんどん興味を示し、茂木さんも手伝って、

乗り気になった菊川先生は、挨拶だけだと、奥の部屋からその男性を連れてきた。


「ねぇ、私の料理教室の生徒さんなのよ」

「……どうも」


その面倒くさそうな挨拶の後、蓮はすぐに私に気づき、顔つきを変え、

一瞬だけ夢を見た長崎さんは、私の演説相手だと知り、がっくりと肩を落とした。


私のささやかな秘密は、その瞬間幕を閉じた。





今日の主役は、結婚前の茂木さんだったはずなのに、蓮の登場から、

二人の興味はすっかりそちらへ移った。女だけでお茶を飲んだものの、世間話よりも、

話題に上っていたのは、奥の部屋にいるはずの蓮だった。


1時間半ほどお茶を楽しんでいると、外は雨模様になった。

茂木さんと長崎さんを、菊川先生は乗り換え駅まで車で送ることになり、私と蓮は家に残り、

ピアノのある部屋でお茶を飲む。

出窓に置かれた写真たてには、制服を着た女子高生と、幼稚園児に見える男の子が、

それぞれ賞状を手に持った、笑顔の写真が収まっている。

その少年の面影は、私の知らない蓮の歴史を、少しだけ見せてくれた。


「とみちゃんの生徒だったとはな、知らなかった。
そうか、どうりで近頃料理の失敗がないと思った……」


蓮はそう言いながら私の方を向き、少し得意げな顔をする。

言い返そうにも返せない状態に困っていると、すぐにウソだよ……と、笑顔を見せた。

でも、どこか勝ち誇られた気がして、私は大きくため息をつくしかない。


「内緒にしておきたかったのよ、27にもなって、料理のレパートリーが少ないんだもの。
蓮は家で食べたいって言うし、どうしようかと思ったの。そうしたら会社の近くにちょうど……」

「あ……そうか、とみちゃん、教室を大きくしたって、そういえば言ってたな。
付き合いは長いんだけど、こうして会うのは、1年ぶりくらいなんだよ」


蓮は湯飲みをテーブルに置くと、ピアノの蓋を開け、いくつかの鍵盤を軽く押す。

その音色は部屋の構造なのか、質の良さなのか、素直に響き心に届いた。


「とみちゃんは、母さんの友達なんだ。社会人になって、最初に出来た友達で、
取引先の会社にいた父さんのことも、よく知っている。とみちゃんのご主人は、
貿易会社の専務をしているから、珍しいお菓子なんかを、僕も姉さんももらっては、
食べた記憶があるんだよね」


確かに蓮の言うとおり、この部屋にも珍しい置物が置かれ、異国の雰囲気が漂っていた。

奥様と言われてもおかしくない立場にいながら、菊川先生は、本当に親しみやすい人だ。


「この家には子供がいないから、姉さんも僕も、本当にかわいがってもらった。
特に姉さんは高校が近くだったから、ピアノの練習で遅くなると、このうちに泊まって、
この部屋で何時間も練習していたらしい」


琥珀色のピアノには、素敵なレースのカバーがかけられていた。

クラシックを好んでかける菊川先生は、幸さんのこともかわいがり、

奏でるメロディーに耳を向けていたのだろう。


「互いに秘密は作るなってことだな……」

「エ……」


そういうと蓮は苦笑いをし、ポケットからたばこを取り出すと、手に持ったまま私の方を向く。


「18年前のことを知っているのは、学校関係者しかいないと、僕はそう思っていたけど、
この間、母さんに会ったと言っていた敦子が、お菓子をもらってきただろ。
あのリボンの結び方を見て、とみちゃんのことを思い出した。母さんの友人であり、
姉さんが頼りにしていたとみちゃんなら、あの時のことも、何か知っているかもしれない……。
それに、母さんや姉さんの本当の気持ちも……」


何を知っているのかと、問いかける必要もなかった。

あの18年前のことを、蓮はまだ追い続けている。


「敦子には、この疑問が解決してから言おうと思ってた。でも、秘密は作るなって……
きっと言われているんだと思う」

「疑問?」

「うん……」


それだけ言うと、蓮は立ち上がり、たばこを手に持ったままじっと庭の方を見た。

どんなことなのか、なぜここに来たのか、問いかけたいのはやまやまだったが、

蓮の気持ちに任せようと、私もその横にぴったりと寄り添った。





菊川先生が戻ったのは、それから10分後のことだった。

思ったよりも道路が渋滞していて、たいした距離じゃないのに、時間がかかったと笑い出す。


「世間は狭いものね。垣内さんがお玉を握って、一生懸命語ってくれた相手が蓮だったとは」

「お玉?」


ほんの少しでいいのに、私があれこれ蓮のことを楽しそうに語ったのだと、

菊川先生は身振りを合わせて説明した。恥ずかしさのあまり下を向いていたが、

そんな私の手を、蓮はしっかりと握る。


「で、何よ。二人の交際を節子にでも反対されてるの? まさか、年上だからダメだなんて、
変なこと言われてるとか?」


その問いかけに、私の視線と蓮の視線がぶつかった。反対をされることはわかっているが、

その理由が違うのだ。


「まだ、母さんには何も話してないんだ。ちょっと事情があって」

「事情? あら……どうしたの?」

「とみちゃん、18年前のこと、覚えてるよね」


明るく笑顔を見せていた菊川先生が、その瞬間、表情を変えた。

蓮はどこかすがりつくような目で、前を見る。


「姉さんの事故のこと、覚えてるだろ」

「蓮……どうしてそんなこと、今ここで……」

「聞きたいんだ。とみちゃんなら、姉さんの本当の気持ちを知っていたんじゃないかって、
そう思うから」

「どういうこと? 蓮」

「彼女は……敦子は、あの日、姉さんと車に乗っていた園田先生の娘なんだ」


今まで、決して見せてくれたことのない複雑な表情で、先生は私を見た。

私は自分が事件を引き起こしたわけではないのに、思わず視線を逸らしてしまう。

あの日の出来事は、今度、私に何を見せてくれるのだろう。


「垣内さんが? だって名前……」

「はい、あの事故の後、母の実家へ戻り、名字を垣内に戻しました。
産まれた時の名前は、園田敦子です」

「……そんな……」


蓮は菊川先生に全てを語り出した。自分が大学の事務局で働く私を好きになったこと。

互いに気持ちを寄せ合い、私は仕事を辞めて、二人で歩く道を選んだこと。

そして、事実を知った後も、想いは変わらないこと。


横で聞いているだけで、涙が出そうになるくらい、蓮は真剣に私を愛しているのだと、

菊川先生に訴えた。先生は蓮と私の顔を交互に見ながら、何度か頷き返す。


「蓮が垣内さんを真剣に想っていることは、理解した。でも、私はあの日のことを、
何か知っているわけじゃないのよ」

「とみちゃんの知っていることだけでいいんだ。18年も前のことなんだ。
細い糸をつなげていくしかないと思っているから」

「うん……」

「あの日のことは、ずっと母さんの言うとおりなんだと、信じていた。
だから、最初に敦子から違った見解を聞かされたときは、
正直、冗談じゃないと反発する気持ちの方が強かった。だから姉さんの友達に会って、
自分が信じていたことを証明してもらおうと思ったけど、誰かに何かを聞くたび、
間違っているのはあなたの方だと、そう言われている気分になった」


もし私が、茂木さんの誘いを断り、菊川先生のところにこなかったら、

蓮はこの話を聞かせるつもりはなかったのだろうか。

そんなことを考えながら視線を向けると、私の表情が固く見えたのか、蓮は、軽く微笑んだ。


菊川先生は、しばらく考えていたが、紅茶を一口だけ飲むと、覚悟を決めたように話し始めた。


「私が知っていて、蓮が知らないことがあるとすれば……
それは幸が、ピアノを辞めたいって言ったことがあるくらいだと思う。
まだ、私は自宅で小さな料理教室をしていた時で、大学の帰りに、
うちへ寄って愚痴を言ったことがある。コンクールなんかには興味がない、
私はもっと音楽の楽しさを、子供達に教えたい……って」


幸さんの友人から聞いていたように、専攻の学生の中でも一番優秀な生徒だったゆえに、

学校側も家族もコンクールへの期待ばかりが高まり、そのプレッシャーで、

日々大変だったのだと、菊川先生は教えてくれた。

しかし、その子供達への音楽を教えたのは、その当時臨時講師として

大学に出入りしていた私の父で、蓮のお母さんからすれば、そんな部分も、

気に入らないところだったらしい。


「幸の日記を見たって、節子が夜に電話してきたことがあった。
先生への女の気持ちが出ていて、怖くなったって……。
そんなものを見たなんて知ったら、幸が怒るって言ったけど、よくケンカしていたわ」

「あんまり覚えてないけど」

「蓮は小さかったし、幸は黙ってしまうタイプだから、口で言い合ったりはしないのよ。
どっちかというとしまいこむの。でも、私は覚えている。幸が亡くなった次の日は、
節子が入院しないとならない日だったの。幼い蓮でも、入院の意味はわかるみたいで、
幸の事故で取り乱している節子を見ながら、ママが死んじゃうって、
私にすがりついて泣いたじゃない」

「……あの次の日、入院する予定だったわけ?」

「そうよ、心臓の手術日が決まって、でも、あの事故で、節子が精神的に耐えられないからって、
稔さんが、手術を1ヶ月くらい遅らせた」


そこから何分かの静かな時間が過ぎた。私も蓮も、当時の幼かった頃の記憶を

頭の中で探し続け、菊川先生も、遠い18年前の箱を開け、何かを整理しているように見える。


「おかしいと思うんだ……」


蓮はそうつぶやくと、目を閉じた。何を疑問に思っているのか、私も知りたくなり、

言葉をしぼり出そうとする蓮の方を向く。


「あの日、あの二人がどこへ行こうとしたのか……母さんが言ったように、
不倫の清算なら、それだけで何も言えなくなるんだけど、事実を確かめていくうちに、
あれはただの事故だったと、僕もそう思うようになった。でも、そうすると……
あの二人がどこへ行こうとしたのか、それがどうしても気になって仕方がない」


不倫ではないのだということを、確かめただけで私はよかったと思っていたが、

蓮の気持ちはもっと深いところにあり、そんな心の奥を初めて知った。


「荷物も持っていなかった、だとしたら、二人は戻ってくるつもりだった……そう思うんだ。
あの時間から、姉さんが不安に思うことなく、車に乗るのだとしたら……行く場所は……」


私は蓮から視線を外せないまま、ただ黙っている。

菊川先生もそんな蓮を見つめ、言葉の続きを待っていた。


「向かったのは……うちだと思う」

「家に? わざわざ家に戻ろうとしたってこと?」

「うん、今、とみちゃん言ったよね。次の日に母さんが入院する予定だったって。
だから、その前に戻ろうとした……そうじゃないのかな」

「でも……」

「この間、姉さんの友達の橋本さんに会った時、園田先生は次の日、誰かと会うために、
合宿所を出て行く予定だったと聞いたんだ。だとすると……二人で行くのは、
あの日しかなかった」


幸さんの同級生だった橋本さんから、確かに父が合宿所から出て行く予定だったと

聞いたことを思い出す。あの日の帰り、口数も少なく、辛そうな背中を見せて、

歩いていた蓮に、私は寄り添ったのだ。


「そうだとして? そこから何の疑問が生まれるの?」


菊川先生は、蓮の言うとおり二人が広橋家へ向かおうとしたのが正論だとして、

何が疑問になるのかと蓮に問いかける。


「娘が不倫をして死んだなんて、母親としたら辛くて、信じたくないことだと思うんだ。
うちに行くところだったのなら、ただの事故で済ませればいいのに、それを母さんは、
親しい人間にはずっと、二人が不倫だったのではないかと、そういい続けてきた。
あれは園田先生が姉さんとのことを悲観して、連れ出してあんな目にあったのだと……。
でも、少し離れたところからあの事故を見ていた人は、誰一人として、
そんな理由を信じてはいない」


ピアノ専攻科の藤田さん、神野さん、当時の講師だった山際先生、

そして、幸さんと一番仲のよかった橋本さん、そして……雪岡先生。


「僕も、姉さんの話を聞いた時、辛そうに目を閉じた母さんを見て、理由が理由だけに、
二度と触れちゃいけないことなんだと、そう思ってきた。
誰も、姉さんのことを口にしなくなって、誰も、本当のことを知ろうとしなくなって……」


何か大きな波に飲み込まれそうになる自分の呼吸を、私は必死に確保した。

何もしていないのに、脈が波打ち、心臓が大きく音を立てる。


「そう信じ込ませたかった理由が……母さんにあるんじゃないかと」

「蓮……」

「二人が外出した理由を、母さんは知っている……そう思うんだ」


予想もしていなかった話の展開に、私は震える自分の手を、押さえるだけで精一杯だった。

私と蓮が乗った小さな、小さな船は、見えない闇の中に、引っ張り込まれているような、

そんな気持ちになった。





18 父の面影 へ……




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コメント

非公開コメント

こんにちは!!

敦子さんの秘密あっさりばれちゃいましたね。

蓮君は事故のもっと奥深くを探ってたのか。

よ~く考えると、不倫だってばれたくないよね、対外的には。

蓮君(ももんたさん)すごい。

おばちゃんは、思いもしなかった。底が浅いのね、きっと・・・

また、ちょっと暗~くなってきたけど、それもお楽しみ。e-440 フフッ

   
      では、また・・・。e-463

蓮の気持ち

mamanさん、こっちでもこんばんは!


>敦子さんの秘密あっさりばれちゃいましたね。
 蓮君は事故のもっと奥深くを探ってたのか。

敦子にとっては、父が不倫をしていたわけではないということがわかれば、気分は晴れるのでしょうが、
別のことを言われ続けてきた蓮にとっては、逆に、疑問が膨らんだようです。

なぜ、ウソをつかれていたのか……

そこを探ろうとしているんです。


>また、ちょっと暗~くなってきたけど、それもお楽しみ。

あはは……mamanさんが、なんて言ってくれるのか、
毎回、私も楽しみです。

心配かけました(笑)

yokanさん、こんばんは!


>えええ~、お母さんが何か真実を隠してるの?なんだろう

うーん、隠されているのかどうか、それもなんとも言えないところです。


>蓮君がとみちゃんなって呼ぶから、
 いらぬ心配をしたじゃないの(笑)

いらぬ心配させちゃいましたか……
それはないですよ、yokanさん(笑)