【14-5】
「数値も安定しているし、疲労だろうな」
「そうですよね、ありがとうございます」
『近江クリニック』の最上階、特別室。
去年、人間ドックをする時、この部屋に泊まった。
ここなら『ヴォルクスタワー』からも近いし、騒がしい音も聞こえてこない。
身体をじっくり休めるには、いい場所だろう。
診察した後、『少しここで休んでいて』と言われてから、尾崎さんは安心したのか、
ぐっすりと眠ってしまった。
「今日はたまたま私が外出せずにいたし、この部屋も空いていたけれど、
常に受け入れられるとは限らないぞ、村井君」
近江先生ご夫妻。
タクシーが到着した時間は、すでに受付が終了していた。
本来なら昼休みで、先生は外に行くことが多いのだが、来たのが俺だとわかり、
特別に入れてもらった。
「すみません、でも、ゆっくり休ませるにはここしかないなと……」
大きな病院だからとか、救急だからと言って連れて行かれても、
その後、入る病室は、どんなところになるのかわからない。
8人もいるような大部屋に入れられたら、
隣のいびきや歯ぎしりが気になってしまい、寝ることに集中出来なくなる。
「彼女は、お知り合い?」
「……まぁ」
関係性を聞かれると、それしか言えない。
「とにかく、ぐっすり休んでおけば、大丈夫だろう。
何かあれば看護師から『アチーブ』に連絡を入れるようにするから」
「はい」
近江先生に頭を下げて、眠っている尾崎さんを見る。
秋に仕事を始めてから、風の強い日も、雨が降っても、お弁当作りを続けていた。
その中で、真実など一つも無いビラが貼られる嫌がらせと、商店街からの嫌みが重なる。
どうすればいいのかと必死に一人で考え、奮闘し、なんとか年を越した。
それなのに、また新しい妨害が、彼女を叩こうとしている。
『七王子』に戻る。
彼女が納得して戻るのなら何も言うところではないが、そんなことはありえない。
しかも、花角家の、自分たちの新しい事業が始まるからという理由はなんだ。
どうしてそこに絡めようとする。
少し目を開けかけた時もあったが、よほど疲れているのだろう。
また、すぐに眠ってしまう。彼女を起こすのは悪いので、とりあえず廊下に出ないと。
『ゆきこ』に連絡を入れると、
女将さんが谷本編集長にも連絡を入れておくと、そう言ってくれた。
数冊の雑誌が入った棚と、テレビがここにはある。
まぁ、目覚めた後の時間つぶしは出来るはずだ。
だとすると……
足りないものはなんだ。
いつも業者への手みやげを頼む店に連絡し、
すぐに果物を持ってきてもらう手はずを整える。
メロンでも、イチゴでもなんでもいい。こういう時には『ビタミンC』。
……だと思う。
ん?
『阿部百花』
なんで百花から?
「もしもし……」
『社長! コンビニって言いましたよね。どこまで出かけているんですか!』
そういえばと思って時計を見ると、会社を出てから2時間近くが経っていた。
「『近江クリニック』に運んでもらった。あそこならここからも近いし」
「そうですか……」
百花に話すと、やはりストレスだろうと返された。
何がどうしてなどと聞かなくたってわかる。
尾崎さんの救急車騒ぎで、結局、食べ損なった昼食を食べるために、
俺は『ホテルヴォルビ』に向かい、遅めのランチを頼んだ。
美味しいお弁当を食べる割り箸ではなく、ナイフとフォークを使う。
見える景色は、冬らしく、どこかグレーがかっていた。
午後4時過ぎ『近江クリニック』から連絡が入った。
何が起きたのかと最初は驚いたが、尾崎さんがあれから目覚め、
『帰宅する』と言っているようだった。
確かに疲労だと言われ、病気とは言えない状態だが、
その疲労をしっかりとってもらうため、ゆっくり出来るようにとあの部屋を選んだのに。
どうしよう……
隣を見ると、大吾はいない。
「百花」
「はい」
「大吾はどうした」
「高村さんですか? えっと……あれ? 何も聞いていません」
珍しいな、あいつが行き先も言わずに出て行くなんて。
「ちょっと出てくる」
「またですか?」
また……
そういえばそうだな。
「だからちょっとと言っただろう。用事が済んだら戻る。急ぎなら携帯を鳴らしてくれ」
『近江クリニック』までは、ここから歩いても10分かからない。
百花の『本当でしょうね』という視線をあえて無視したまま、外に出た。
「すみません、村井です」
「あ……お願いします」
最上階まで向かい、部屋をノックする。
『はい』と声が聞こえ、扉を開けると、
立っていたのは、このまま出て行こうとしている尾崎さんだった。
「尾崎さん、まだ寝ていないとダメだろう」
「いえ、もう大丈夫です」
尾崎さんは『ご迷惑をかけました』と俺に頭を下げる。
「いや、迷惑だとかそういうことではなくて、先生は疲労だと言っていた。
とにかく休んでくれ」
そう言って部屋の中を見ると、届けてもらった『ビタミンC』たちは、
まだ、誰一人として、手をつけてもらっていない。
「果物、何も食べていないの?」
「こんな高価なもの、いただけませんから」
「いや、それは違うだろう」
食べて欲しくて、ここに持ってきたもらったものだ。
美術館じゃないんだぞ、見て終わりにしてどうする。
「本当に大丈夫です。たくさん寝かせてもらって、もう、体力も戻りましたから。
すみません、村井さんの前で倒れてしまったのでご心配をおかけしました。
お部屋の代金や治療費……あ、あと、タクシー代金も後からお支払いします。
全部いっぺんには無理かもしれませんが、なんとか……」
「そんなことはいい」
この費用をもらおうだなんて、思っていない。そんなもの必要ない。
「大丈夫ではないのに、大丈夫だと言わないでくれ」
扉に近づき、出て行こうとする彼女を引き寄せた。限界だとそう思った。
これ以上、『やたらにご親切な知り合い』でいられる自信がない。
「君から欲しい言葉は……大丈夫ではないんだ。いい加減、わかってほしい」
人を好きになるってことが、
相手を思うと言うことが、どういうことなのかわからなかったから、
それを、どうやって伝えたらいいのか……
でも、このまま帰してしまうことは、どう考えても間違っている。
「君が……好きだ」
32歳になっての『初恋』だろうが、おかしな表現だろうがどうだっていい。
そばにいて欲しい、そばにいたい。この人ならと、ただ、そう思って欲しい。
それだけで、思いを告げた。
【15-1】
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