【21-5】
とりあえず、着替えを何か貸さないと。
トレーナーとか、そういうものの方がいいのかな。
「なぁ、こんなものでいい?」
スウェットやトレーナー、シャツなども出してみる。
サイズは大きいだろうが、今日は我慢してもらわないと。
「すみません、お借りします。どれにしようかな」
尾崎さんはクロのトレーナーとグレーのスウェットを取り、風呂場へ向かう。
数分後に首だけが、扉から現れた。
「笑わないでね」
「ん?」
出てきた彼女の裾や袖は、何度も折り返されている。
身長の差があるのだから、当然と言えば当然で……
「笑えるくらい、ブカブカです」
首筋や肩のあたり。
気にしながら整えようとする彼女。
笑える? いやいや、笑えないぞ。
なんだこの、『かわいらしさ』は。
ジャンプアップして、どこまでも連れて行きたい気持ちに歯止めをかける、
彼女の右手の包帯。
ここで怪我など気にせず、本能のままに飛びついたら、それはもう人間じゃない。
そう、人間じゃなくなるからな……
そう、ここは理性にしっかりガードさせる。
いいか湊。お前は32歳の独身男性だけれど、企業の社長だ。
「何がいい? 何でもよければ勝手に決めるけど」
「あ……この姿を、笑いたいから逃げるでしょう」
そんなことではありません。
むしろ、冷静でいられる自信がないから、本能の暴走をさけるために消えるわけで。
「手でも食べられるから、寿司でも買ってくる」
「すみません、ベルとおとなしく待ってます」
扉がパタンとしまり、『ふぅ』と息を吐く。
『男の少し大きめ』を着る女性か。
よく噂には聞いていたが、予想外の攻撃力だった。
洋服がないのなら、毎日、あの格好でいてくれていいのだけれど。
エレベーターのボタンを押すと、他に貸せる大きめの洋服はなかったかと、
あれこれ考え続けた。
『しばらくお休みします』
頑張ろうと決めた矢先に、こんな事故。
右手を怪我したため、商店街の気持ちを動かせたのに、
『なちゅあ』は、しばらく休業せざるを得ない。
今日は病院に行き、消毒をしてもらった後、それなりに着ることが出来る服を、
買ってくると宣言して出て行ったが。
炊飯器にポット。
いくつかの鍋や、それなりの調理器具。
せめて、ここでは好きなように過ごして欲しいから準備したいけれど。
自分で食事を作ったことがないから、何が必要なのか、全くわからない。
ここは彼女に全て任せた方がよさそうだ。
「うん、ここまではこれでいいと思う」
「ありがとうございます。でも、相手の要求とは少しずれている気がして」
「どこだ」
『かりん堂』の仕事で、岸川がポイントだと示した箇所。
確かに、要求は通してあるが、文字数を考えるとスペースが少ない。
商品が前面に出ないとならないので、削るのはどうしても文字になる。
「日本語だけとか、せめて英語がプラスくらいなら乗り切れますが、今回は数が多くて」
「そうだな」
情報量が多ければ、見た目よりも負荷がかかる。
俺が依頼主なら知識があるので、これでOKを出すが、
向こうはどう思うのか、先に進む前に、一度確認をした方がよさそうだ。
「大吾、『かりん堂』に連絡を取ってくれ」
大吾が岸川に連絡をすると、向こうから『わかりました』とすぐに返事が戻った。
携帯の店にも行き、事情を説明して新しいものも買ってくるとは言っていたが、
今日1日で全てが整ったのかどうか、わからないため、
その日は仕事を終えて、すぐに部屋へ戻る。
無言で鍵を開けて中に入ると、『美味しい』とわかる匂いが、すぐに届いた。
「お帰りなさい」
「あ……ただいま」
『おかえりとただいま』か。
一人暮らしばかりしていたので、『声』を出して入ることなんてなかった。
「料理したの?」
「しました。今日1日、私、すごく精力的に動けて。病院でしょ、それから服を買って。
で、それをリュックに入れたまま、携帯ショップ、一度荷物を置きに戻ってから、
さらに電気店」
尾崎さんの立つ横には、『炊飯器』
「これ、前から買ってみたかったから。思い切って買いました」
彼女の言う、炊飯器の良さがあるのだろうが、正直俺にはよくわからなくて。
でも……
「そんなに動いて、怪我は大丈夫なのか」
「大丈夫です。傷みも昨日より少なくなってますし」
とはいえ、まだしっかりと巻かれている包帯。
「もっと色々と作りたかったけれど、左手がメインだと時間がかかって。
今日は丼になりました」
「うん」
「お着替え、どうぞ」
「あ……うん」
自分の部屋なのに、イニシアチブを取られていて。
でも……
「ベル、ほら、キッチンでは足下に来ないでって言ったでしょう」
嬉しさの方が、数倍も勝っている。
部屋に入り着替えを出しながら、視線は自然とベッドに向かう。
昔から狭い場所が好きではないから、一人なのにダブルベッドだ。
瑛士や大吾から、色々と言われてきたけれど、この部屋に女性を入れたことは、
そういえば一度もない。
すぐ上に『ホテルヴォルビ』があるし、この部屋だけは自分のものだという、
意識が強かったのかもしれないが。
その場所に、来て欲しいと願う人がいるというのは、
やはり、それだけ彼女は特別だと言うことで。
作ってくれた食事が冷めないように、そこからは少し忙しく着替えをこなした。
【22-1】
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