18 父の面影

18 父の面影


18年前の父と幸さんの外出理由を、知っているのは自分の母親ではないかと、

そう言った蓮の表情は、今までに見たこともないくらい、固く、寂しいものだった。


何を知っても、二人で乗り越えていこうと約束したけれど、進みだしてしまった道が、

本当に正しいものなのか、隣にいる私は何も言えないまま、ただ黙っていることしか出来ない。


もう、そんなことはどうでもいい……。そう言いたくなるところだったが、

蓮の真剣な想いを感じ、余計な言葉は挟めなかった。


「幸が、どこへ行こうとしたのかっていう話は、確かに出たわ。
でも、学校の関係者も、二人がどこへ行くかを聞いた人は、誰一人としていなかった。
たしかになぞのままだったけれど、蓮の言うとおり、幸が園田先生と何かあったのなら、
早く忘れさせたほうがいいんじゃないかって、親戚も友達も、あえてその行き先に、
触れようとしたものはいなかった」

「本当に、母さんから何も聞いていない? とみちゃん」

「蓮……、垣内さんとのことで、当時のことをハッキリさせたい気持ちはわかるけれど、
私としては、掘り返して欲しくないっていうのが、本当の気持ちよ。
節子にとっては、大事な娘が死んでしまったという事実、それだけなの」

「でも……」

「蓮、ちょっと待って。少し気持ちをそこから離そう。
就職も決まって、私たちのことを真剣に考えてくれるのはうれしいけれど、
確信のないことにとらわれて、あなたが疑心暗鬼になってるのは……私……」


私とのことさえなければ、蓮がこんなふうに、お母さんを疑ったりすることなどなかっただろう。

病院で会ったお母さんのあの笑顔を思うと、この恋を走らせてしまったことに、

どこか責任を感じ辛くなる。


「敦子……」

「垣内さんの言うとおり。少し焦りすぎよ、蓮。ねぇ、私にも時間をくれない? 
正直、今あれこれ聞かされて、気持ちが定まらない。もう少し時間をもらえたら、
何か思い出すこともあるかもしれないし……」

「とみちゃん……」


小さな船は、舵取りをなくしてしまったように、行き着く岸が見えないまま、

ゆらゆらと漂い始めた。菊川先生は、コーヒーのカップをお盆に乗せ、

新しく入れなおしてくるからと、席を立つ。


「とみちゃん、僕は……諦めない」


下を向き、唇をかみしめた蓮は、たった一言だけ、そう言った。

お盆を手に持ったまま、私たちに背を向けた菊川先生は、そのまま部屋を出て行った。


「ごめん……敦子」


どうして蓮が謝るのか、私にはハッキリとした理由がわからなかった。

何かを知るたびに、辛くなるのは彼だけな気がして、その想いを封じ込めるために

私は必死で蓮にしがみついた。





季節は3月になり、別れの季節が近づいた。

退職してすでに半年経っていたが、お世話になった上松教授が定年になることを知り、

挨拶をするため、久しぶりに大学へ向かう。

季節外れに降った雪の残りが、日当たりの悪い場所に残り、足元はあまりよくなかった。

一歩ずつ気をつけながら、校内へ進む。


雪岡教授が、私をかわいがってくれたことも知っていただろうに、

上松教授は時々冗談を言いながら、煙たがらず、同じように接してくれた。


懐かしい廊下を一人歩くと、本を両手で抱えた滝川さんがこっちへ向かい歩いてきたが、

私に気付き、すぐに目をそらす。


「こんにちは……」


その挨拶に、全く反応を示さないまま、彼女は私の横を通り過ぎた。

蓮との関係をすでに知っているから、あんな態度しか出来ないのだろう。

同じ人に想いを寄せていることを知っているだけに、申し訳なさもあったが、

絶対に譲れないものだけに、私もそのまま歩き続けた。





「こんにちは、先生」

「お! 敦子、来たか」

「あいかわらず山積みですね、本」


雪岡教授の大好きなジャムパンを、机の隙間を見つけそこに置くと、

教授は嬉しそうに袋を開け、半分にちぎると一口ほおばった。


「あいつに会いに来たのか」

「上松教授です。あいつじゃありません」

「いいんだよ、あいつで!」


私は無言のまま首を振り、男の人はいくつになっても、どこか子供じみているものだと、

正直にそう思う。


「昨日、二人で飲んできた。ここに勤務するようになって、プライベートでは初めてだ」

「エ!」


あまりの私の驚きように、雪岡教授はパンを口に入れるのをやめ、大きな声で笑い出した。

犬猿の仲とも言える二人が、飲みに言ったという事実が、あまりにも信じられなかったのだ。


「だろ、信じられないだろ。でも、私が誘って、実現した本当のことだ」

「二人で飲みに行くなんて……しかも、自分から誘うなんて、大人になったんですね、先生」

「何を生意気なことを言ってるんだ、お前は。
最後だからな、修一に言われた言葉を思い出して、あいつを誘った」

「父の?」


思いがけない父の話題に、雪岡教授は頷きながら、また一口パンを食べる。


「修正できないケンカは、絶対にしてはいけないんだと、あいつがよく言っていた」

「修正できないケンカ?」

「あぁ……、修一が音楽の道に進みたいと言った時、お父さんは賛成してくれたが、
家を取り仕切るお母さんは、長男が何を言ってるんだと、猛反対した。
それでも自分の道をと意地を張る修一は、お母さんとケンカをしたままになった。
聞いたことないのか? あいつから……」

「いえ……」

「そうか、敦子が小学生の時に、あいつは亡くなったからな。
結局、その最中にお母さんが盲腸炎になって、手術室に入ったまま亡くなった。
修一は泣いて、泣いて……。理解し合えないまま別れることになったことを、
ずっと後悔していた。だから、どんなに嫌なヤツだと思っても、とことん話し合って、
理解し合わないとならないっていうのが、あいつの口癖だった。上松はこの3月で定年だ。
会いたくなることもないだろうが、でも、わだかまりのあるまま、別れるのも嫌で、
ならば、修一の言うように、とことん話してみようかと思ってな……」



『修正出来ないケンカ……』



その言葉を聞き、私も幼かった頃のことを、少しだけ思い出した。

夏休み前に学校から戻り、クラスの友達とケンカをしたと言うと、

すぐに仲直りをしてこいと、言われたことがある。

父はケンカが長引くのが、本当に嫌いな人だった。そして、私や姉を怒るときも、

たとえ夜中何時になろうとも、眠たくて目をこすっていても、納得するまで話し合った。


「私は大学の時も、嫌いな教授の授業など受けずに過ごすタイプだったけど、
あいつはそれは違うんじゃないかと、どこまでもやりあうタイプだった。
いい言い方をすれば、信念があるやつだけど、言い方を変えれば、頑固の固まりだ」

「はい……」

「まぁ、おかげさまで、上松ともしっかり話し合えた。
誤解していたところもあったし、逆に……」

「……」

「二度と会わなくていいなとも、確認できた」


雪岡教授はそう言うと、大きな声で笑い出した。

それでも、どこか先生の顔が晴れやかに見えて、昨日の飲み会の時間が、

無駄なものではなかったのだと、少しほっとした。





大学を出て、午後から仕事に向かうため、ホームのベンチに腰掛けた。

隣に座った男性は、デジタルオーディオを聴きながら、足でリズムを取っている。

肩にはギターらしき楽器を抱え、手には楽譜を持っていた。


真面目で、頑固な父は、学生にどんな教え方をしていたのだろう。

18年経った今でも、以前、話を聞かせてもらった橋本さんは、

父の授業を鮮明に覚えていると語ってくれた。雪岡先生も、あと3年で定年になる。

父も、生きていれば同じ年だ。まだ、子供たちにピアノの楽しさを教えていただろうか。


そして、父のことを憧れと、恋の狭間で見ていた蓮のお姉さんは、

どんな想いを抱きながら、日々を過ごしていたのだろう。



『お母さんが盲腸炎になって、手術室に入ったまま亡くなった』



『……あの次の日、入院する予定だったわけ?』

『そうよ、心臓の手術日が決まって……』



手術……という言葉が、私の中で大きく響く。


蓮の考えたとおり、もし、あの日、父と幸さんが向かったのが広橋家なのだとしたら、

『家に戻ろう』と提案したのは、父ではないだろうか。

ケンカをしていた幸さんとお母さんの立場を、自分と亡くなった母親に、

結びつけたのだとしたら……



『修正の出来ないケンカ』



私の中で、小さく崩れていた過去のかけらが、少しずつ距離を埋め始める。

その時、携帯の着信が鳴り、画面を見ると、蓮からだった。


「もしもし……」

「敦子! 今日、何時頃部屋に戻る?」

「エ……そうね、今日は教室がないから、7時には」

「よし、わかった!」


蓮は少し興奮した状態で、私にプレゼントがあるのだと言い、慌てて電話を切った。

ホームから見える大学の校舎内にいる蓮を想い、視線を向けていると、

目の前に電車が到着し、その視界を遮った。





19 想いは時を越え へ……




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コメント

非公開コメント

ケンカの理由は?

少しずつ謎が解けてきた。

”修正できないケンカ”をそのままに出来ない、
敦子の父がそれを幸さんに言ったのなら・・・

しかしそれは二人だけが分かっていたこと??

連の母は分かっていた?

それがケンカの理由なのかしら?
幸が先生を慕っていることが・・・

18年前のあの日

yonyonさん、こんばんは!


>”修正できないケンカ”をそのままに出来ない、
 敦子の父がそれを幸さんに言ったのなら・・・
 しかしそれは二人だけが分かっていたこと??

18年前の出来事が、蓮と敦子、それぞれの側の証言から、
少しずつ明らかになっています。

幸さんとお母さんのケンカ理由は、
将来のピアノとの付き合い方ってところかな。
そこらへんの細かいところは、ここから先に出て来ます。

真実への道

yokanさん、こんばんは!


>きっとお父さんが、
 幸さんとお母さんを仲直りさせようとしたんだよね。
 それだと、お父さんの行動に納得がいくわ^^
 でも、蓮のお母さんの異様なまでの心中に拘る訳は・・・

18年前の出来事から、蓮も敦子もまた、それぞれの過去を知る人達から、
かけらを集めてきました。その重なりが、真実の中心へ近づけるのかどうか……

蓮のお母さんが、どうして拘りを見せたのか、
二人の想いも、そこへつながっていきます。

こんばんは!!

蓮君の読みは当たっていたってことですね。

蓮君のお母さんは自分のせいで
そして敦子さんのお父さんが余計な事をしなければ…と思ったのでしょうね。
自分の罪の意識から逃れるため全部、敦子さんの
お父さんのせいにしたのね、きっと。

そして今真実と向き合う時がきた?

2人の前の壁はまだ高いかも……


    では、また・・・。e-463

果たして……

mamanさん、こんばんは!


>蓮君の読みは当たっていたってことですね。

今のところは、そんな感じです。
じゃか、どうして? なぜ? の答えは、これから見つけていこうとしていますが。

真実を向き合えるのか、それとも……
で、もう少しお付き合いくださいね。