13 『価値』を比べよう 【13-5】


【13-5】


それは数件隣にある『松本住宅設備』の社長。

毎日のようにここへ来て、健康にいいお茶と、

決まった銘柄のタバコを買ってくれる常連客さん。


「おはようございます」

「どうも、どうも」

「社長、お茶とタバコは?」


私よりも知っている藤田さんが、すぐにそう聞いていく。


「いや、今日はこれから商談なんだ。電車まで時間ないし、帰りに買うよ」


社長さんは事務所のコピーが壊れたと言い、数枚の用紙をコピーし始めた。

私はモップを片付け、レジのお客様の会計をする。

社長さんがコピーをしたのはほんの数分で、すぐに言っていた通り店を出て行く。


「ありがとうございました」


私はお客様に頭を下げて、なにげなくコピーの方を見ると、

ライトが点滅した状態だった。



『原稿忘れ』



料金を支払った後、台の上に原稿が残っている場合、忘れ物を防止しようと、

コピー機械のサイドが赤く光ることになっていた。確かめに向かうと、

確かにそこに原稿があって。さらにコピーの横には、小さな袋も置いてあった。


「藤田さん、これ、社長さんのです」


そう、店に入ってきたとき、確かにこの袋を持っていた。


「あら……」

「まだ、駅かもしれません、行ってきます」


私は原稿と袋をつかむとそのまま店を飛び出し、すぐに横断歩道を駆け抜けた。

荷物が濡れないように、ユニフォームの中に挟む。

改札前には社長の姿が見えない。


「すみません」


私の大きな声に、駅員がすぐに『どうしましたか』と聞いてくれた。


「お客様の大切な忘れ物です。ホームにいるかもしれないので、少しだけ、
入ることは出来ませんか」


私は書類を出し、そこの『スコッチーズ』の店員だと説明した。

駅員はすぐに降りてきてくださいねと言ったが、

社長がいるかどうかの確認は許可してもらう。


「すみません、すぐに」


私は階段を駆け上がり、ホームを見渡してみる。

お客さんは結構増えている。となると、電車に乗ってはいないだろう。

ホームを挟んで両方に電車が止まる駅なので、

ここで探して見つからなければ戻るしか……


「あ……」


社長さんは駅のホーム、先頭部分に立っていた。





「何をしていたの」

「すみません……」


ホームで社長を見つけ、驚かれたと同時に、ものすごく感謝をされたのだが、

そのまま駅員に頭を下げ、必死にかけて戻ってくると、店にはひろみさんがいて、

レジに並んだお客様をさばいてくれていた。

入ってすぐに代わりますと言うには言ったが、ひろみさんににらまれただけで、

流れが収まるまで、その場を譲ってもらえることもなく……


「驚いたわよ、顔を出したら、藤田さんが一人でてんてこ舞いしていて。
近所で工事が始まったらしい。それ、聞いていなかったの?」

「すみません……」


工事が始まったことは、涼太郎さんのメモでわかっていた。

休憩時間になり、色々と買い物に来てくれたのだろう。


「コンビニって、早く買えないと意味がないのよ。並ばせているから、
イライラされるし。私が来なかったらどうなっていたか……」


ひろみさんの言葉に、反論など出来ない。

社長さんの忘れ物に気づき、飛び出したのは私。


「あのねぇ……」

「ひろみちゃん、もう……尾田さんだって、お客様のためと思って」

「藤田さんの立場なら言いにくいのわかっています」


ひろみさんは藤田さんの言葉を、シャットアウトする。


「客というのは、店の商品を買う人のこと。コピーに忘れ物があったのなら、
そのお店が近いのだから、そこへ持って行けばいいのよ。他の従業員が、
後から届けるとか、フォロー出来るじゃない。それくらいのこと、
考えられないのかな……」


お店へ持って行く、そうか……

確かにそうだった。

社長さんの店は、このお店の数軒となり。

忘れ物ですよと持って行って、あとは向こうに任せればよかったんだ。

私、そんな考え、全然思いつかなくて。


「バタバタ動いていたら、一生懸命に働けていると思うなんて、
あまりにもレベルが低いわよ、尾田さん」


ひろみさんは、事務所の机の上に書類を置いたから、

涼太郎さんに渡して欲しいと言い残し、お店を出て行ってしまった。

私がお店に戻ってきたときの慌ただしさは、全くなく、静かな店内に戻っている。


「藤田さん、本当にごめんなさい」

「いいのよ、あんなふうにこの時間、一気に人が来ることなんて、普段ないし。
お客様もそれほど怒っていなかったし」


私は黙って首を振る。

どんな雰囲気だったのかは、入ってきたらすぐにわかった。

ひろみさんが対応してくれていなければ、藤田さんは一人で文句を浴びていただろう。


「社長さんの忘れ物、間に合ったのだもの、いいことにしよう」


藤田さんはそういうと、この時間に下げなければならないお弁当や惣菜を見るために

売り場へ出て行く。

私はレジに並んだお客様に頭を下げ、会計をまたスタートさせた。





『バタバタ動いていたら……』

『お店が近いのだから、そこに持って行けばいい』


本当にその通りだった。

お昼のサンドイッチと、コーヒー。

食べながら何度も反省する。

売り場を勝手に離れてしまって、店員としては失格で間違いない。

話を聞けば、その通りだと思えるのに、どうして私は思いつかなかったのだろう。



これが……

今までの人生、かみ合わないだらけだった私と、

きちんと夢を叶えるために、ロンドンから戻ってきたひろみさん、

つまりそうではない人の違いなのか。



たとえ就職の好機を逃しても、決めたことはやり遂げようなんて、

かっこいいことを思っていたけれど、私が意地を張って残るより、

ひろみさんにお願いした方が、間違いないのではと思えてくる。

バタバタしているだけの女より、軸がどこにあるのかをわかって動ける人の方が、

絶対に涼太郎さんの役に立つ。



仕事でも……プライベートでも……



涙が目に浮かび始めたら、鼻が詰まってきた。

なんだかうまく呼吸も出来ていない気がしてくる。

卵の味もツナの味も、なんだかみんな同じで……



大好きになった『スコッチーズ』の商品も、おいしくないなんて。

午前中、なんとか仕事を続けたものの、藤田さんと雑談をするような、

気持ちの余裕はなくなっていた。


【14-1】



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