リミット 5 【故郷の空】

5 【故郷の空】

「おはようございます」

「おはよう」


深見はその日も、いつもの時間に出社したが、利香がメモを持ち、席の前に立つ。


「何?」

「今朝、お母さんが倒れたって、早瀬から電話がありまして。
しばらくお休みをいただきたいそうです」

「お母さんが?」


つい、何時間か前まで一緒だった咲の突然の知らせに、

深見は利香からメモを受け取るともう一度内容を確認した。

あの後、おそらく連絡が入り、寝不足のまま、出かけたのだろう。


「で、容体は?」

「わかりません。連絡がないんです」

「そうか……」


利香は頭を下げると、自分の席へ戻る。その斜め右は咲のデスクで、

深見は、いつもいる姿がないというのは、なんとなく寂しいものだと思いながら。

机の上の書類に、目を通し始めた。





「お母さん!」

「咲、帰ってきたの?」

「だって……」


倒れたと知らせを受けた母は、布団の中で編み物をしている最中で、

咲は荷物を降ろし、安心したように大きくため息をつく。


「おおげさだね、あの子も」

「そうよもう。心臓止まりそうだったんだから。で、どうしたの?」

「ちょっとね、残暑が厳しくて、疲れてるなとは思ってたのよ。そしたら朝、
クラッときて階段から転げ落ちたの」

「……」

「大丈夫よ、少し打ち身だって。お医者さんにも言われたわ。
ゆっくり休めば元に戻るからって」


母は目一杯の元気を咲に見せていたが、事故の後来てくれた時より、

やせた気がする。


「咲、仕事の方は大丈夫なの?」

「仕事? 大丈夫よ。私がいなくたって、会社は全然困らないし。
このままずっと田舎にいたって……」


咲はそう言いながら、バツの悪い表情を浮かべた。

東京へ進学し、東京で就職したいと言ったのは自分で、

今さら逃げのような言葉を言える立場ではない。





遅めの昼食を取った後、咲は家から15分の道のりを歩いた。

この道をまっすぐ進み、突き当たりを右に曲がれば義成の家である寿司屋で

小さい頃からよく遊んでいたことを思い出す。


「あれ、咲ちゃんじゃないの?」

「あ、里川のおばちゃん」

「どうした? 東京で何かあったの?」


田舎はこんなふうに、誰でも気軽に声をかけてくれる。

咲もこの里川のおばあちゃんから、小さい頃よく褒められ、怒られ育ってきた。
知らない人なんていないくらい、互いに声をかけあう。


具合が悪ければみんなで助け合い、嬉しいことがあるとみんなで喜んできた。


そんな田舎の優しさを感じた瞬間、咲は、体調が悪いのに、

一人で踏ん張らないとならなかった深見のことを思い出した。

熱はあのまま下がり、仕事に復帰したのだろうか。


「こんにちは!」

「お、咲ちゃん! おい、義成!」

「おう!」


義成はいつもと同じ、明るい顔で咲を迎え入れ、

二人は幼い頃からよく遊んだ河原に座る。


「ごめんね、結局よっちゃんに頼ったんだってね。お母さんがそう言ってた」


「仕方ないよ。卓もおばさんが急に倒れて、
どうしていいのかわからなかったんだろ。そんなことはお互い様だ」

「そうかなぁ……。いつも、うちが頼ってばかりだよ」


咲は小さな花を一つ摘み、花びらを一枚ずつ取る。


「いや、うちだっておばさんに助けられたこともあるし、
俺は亡くなったおじさんには相当かわいがってもらったよ。
釣りも、将棋もおじさんが教えてくれた。そんなこと言うなって……」


「そっか……お父さん卓が生まれるまで、
ずっとよっちゃんを息子だって言ってたもんね。お前が男ならって。
キャッチボールするよっちゃんとおじさんを、いつも羨ましそうに見てさ」

「そうだったな」


義成は視線をまっすぐ前に向けたままそう言って笑い、

咲はその横顔を久し振りにじっくりと見た。会う度に大人になり、

会う度にたくましくなっているよっちゃん。

その顔つきに、思わず弱音を吐きたくなる。



『ねぇ、よっちゃん。私、篤志に裏切られたんだよ……』



もし、そんな言葉を言ったなら、義成は間違いなく自分に荷担するだろう。

咲の話しを真剣に聞き、こっちへ戻ってこいと言うに決まっている。


その言葉を聞いてしまったら、咲は自分が東京に戻れないような気がした。

義成の優しさに甘えながら、ただのんびりと田舎暮らしをすることが、

自分に出来るのだろうか。



『半年以内に好きな男に、幸せにしてもらうこと』



老婆からもらった契約書に書かれた言葉を思い出す。

このまま、気の知れた仲間達と、優しい田舎で、

暮らすことも悪くないかもしれない。ここに座っている義成と一緒に……。


咲は立ち上がり大きく背伸びをし、頭に浮かぶ邪念を振り払った。

大学に入学し、東京で就職を決めた時、義成は田舎に戻ってこないのかと

提案してくれた。


自分のそばにいられないのか……と。


その義成を男として見られないと言ったのは自分の方だで、優しさに甘えて、

今さら自分の都合だけですり寄る事なんて絶対にしてはいけない。


私にとってよっちゃんは一人の男ではない。


いっそ、男として好きになれたら……こんなに幸せで楽なことはないのに。


「彼氏とケンカでもしたのか?」

「エ……」


いきなり咲は、現実に引き引き戻された。


「昔からお前は変わってないんだよ。気分のいい時には、
うるさいくらいしゃべるのに、何かがあると急に黙っている」

「……」



『今、そんな言葉をかけないでよ……。それでなくても、気持ちが揺れてるのに』



咲は義成から視線を外し、立ち上がる。


「ケンカなんてしてないわよ。ちょっと忙しくてなかなか会えないけど、
ちゃんと愛は育んでます!」


強がりのセリフを言い切る。でも、顔は見られない。


「そうか、咲が幸せならそれでいいよ」


義成に甘えて、自分を押し殺しても、結局は二人とも不幸になる。

咲はそう考える。


少しずつ暮れていく空を見ながら、互いに目を合わせず、

二人は本音を探り合っていた。





久し振りに実家の食卓で取る夕食だった。篤志とつきあい始めて、

休みが取れても、いつも彼といた。何日か休みが取れれば、篤志と一緒に過ごし、

正月やお盆でもない限り、実家へ泊まることもなくなっていた。


「美味しい、お母さんの煮物はさすがだね」

「そんなこと言ってないで。少しは自炊してるの? あんた、
料理もやらないと篤志さんに嫌われるよ」


篤志とのことを知らない母は、嫁入り前の娘を当然のように心配していたが、

咲は何も言わずに食事を続けた。


「咲、本当に東京へ行っちゃったんだね」

「どういうこと?」


弟はご飯のおかわりを母に頼み、母はしゃもじでご飯をすくいながら話し続けた。


「東京の大学に行って、就職して、篤志さんに会って、結婚するのよね……」

「……」

「義成君には、もう別の人を好きになりなって、母さんこっそり言ったんだよ。
小さい頃は、よくみんなで二人が結婚すればいいなんて言っていたけど、
咲にはちゃんと好きな人が出来て。
そんな上手くはいかないもんだねって笑った……」

「お母さん……」


親たちは、二人のことを望んでいた。東京へ出ることもなく、

就職も地元でしていたなら、それもあったかもしれない。


「咲が幸せなら、母さん言うことないよ」

「……」


幸せなら……今の咲には、その言葉が痛かった。





3日の休みを取った最終日、3両しかない田舎の列車に乗り込み東京へ向かう。

ボックス席へ腰掛け、荷物を棚に乗せた。

小さな駅がどんどん見えなくなる。


篤志とのことを、結局誰に話すことも出来なかった。東京を選び、

故郷から離れたのは自分自身なのだ。辛い時だけ、すり寄ることは出来ない。


それが咲の答えだった。


「あの、ここいいですか?」

「あ、どうぞ……」


開いている前の席に、老夫婦が座る。手にはパンフレットを持ち、

旅行用のカバンを持っている。


「ここに行って、それからここだって……」

「そうか……」


夫婦は、パンフレットを指さしながら、これから始まる旅のことを話す。

咲が気付いたそのパンフレットは、

自分たちの会社のシルバーツアーのものだ。


「ご旅行なんですか?」


咲に声をかけられ、ニッコリと微笑む夫婦。


「初めて京都へ……」

「初めてなんですか?」

「商売をやってましてね。なかなかゆっくり旅行なんて出来なくて。
息子がプレゼントしてくれたので、思い切って二人で行くことになったんです。
今年、金婚式だから」

「そうなんですか。おめでとうございます」


咲のその言葉に、二人は顔を合わせ、嬉しそうに微笑む。



『お客様はみんなくつろぐために旅行へ来ているんだ』



今日も深見の大きな声が、社内に響いているのだろうかと、

咲は営業部のことを考える。


その瞬間、ガツーンという大きな音を立て、列車が急ブレーキをかけた。


「キャー!」


あちこちで悲鳴が聞こえ、一瞬大きな揺れが車内を襲った。

一番後ろの車両だった咲達には、たいした被害には見えなかったのだが。


「お客様にお知らせします……」


車掌の話では、いたずらで置かれていた廃棄自転車らしきものが

列車の車輪に挟まったらしく、復旧までには相当な時間がかかるらしい。


「……どうしましょう……」


前に座っていた老夫婦が、急に、落ち着きのない様子を見せる。


「どうかしましたか?」

「集合時間が……」

「集合時間?」

「東京駅に、行かないといけないのに」

「ダメかもしれないね」


華やかだった夫婦の表情が、落胆の方向へ変わる。

咲はカバンから名刺を取り出し、二人に手渡した。


「あの、私、その旅行会社の者なんです。ちょっと待ってください。
会社に連絡を取ってみます。何かお役にたてるかもしれません」


咲はカバンから携帯電話を取り出し、営業部の番号を押す。


「もしもし、早瀬です。深見主任をお願いします!」
                                    神のタイムリミットまで、あと131日





うん、うん、いいよ、この先どうなるの? という方……

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コメント

非公開コメント

義成くん、いい男だなぁ。。。何だか顔まで見えてくるような気がするわぁ。。。って、ヨンググ?(笑)

ヨンググって……

あはは……。そういう例えをされたのは、初めてですよ。
確かに、義成はいい人なんだよね。本編が終了した後、
別のキャラで番外編を! というリクエストをいただいて、
1番が里塚、2番がこの義成だったな……と、今、ふと思い出しました。