19 想いは時を越え

19 想いは時を越え


右手と左手の力をコントロールしながら、コロコロと形を作り、

パチパチと音を立てる油の中に入れる。浮き上がる頃にはパン粉が色をつけ、

美味しそうな匂いを漂わせた。


「ねぇ蓮、もういいわよ、座っていて。あとは私がやるから」

「だいじょうぶだよ」

「でも……」

「任せてって……」


私にプレゼントがあると嬉しそうに電話をくれた蓮は、7時少し過ぎに訪れ、

コロッケを揚げる作業を手伝うと、菜ばしを動かしながら、油の前に立っている。


「油、はねるから、気をつけてね」

「うん……」


サラダや取り皿を運びながら、蓮の方へ目をやると、思ったより慣れた手つきで、

ひとつずつコロッケをあげていた。その動きに安心して、箸を並べる。


「アツッ……」

「やけどしたの?」


慌てて油のところへ戻り、だから、私がやるからと言ったのにと、文句を言いながら、

蓮がくわえていた右手の人差し指を水につける。

心配そうに蓮を見ると、その表情がどこか笑っているように見え、

とりあえずたいしたことがなかったのだと、ほっとする。


「敦子、すごいよ、2秒で来た。愛されていることを確信した。
やけどなんてたいしたことないって……ちょっとパチッと来ただけだから」


蓮はそう言うと笑いながら、水を止めた。自分の人差し指を見つめ、私の目の前に出す。


「少し赤くなっているだけだって、だいじょうぶだろ」

「ダメよ、今はちょっと赤くなっているだけだと思っても、後から痛くなるんだから。
よく冷やして。あ、そうだ。触ると痛いから、絆創膏貼っておく?」


引き出しから絆創膏を取り出し、蓮の指をつかむ。

私の作業を邪魔するように、蓮はわざと関節を動かすため、シートをはずした絆創膏は、

きれいに貼り付けられずに、曲がってしまった。


「ちょっと、動かさないで」

「敦子は看護士にはなれないな。そんなにカリカリして……」

「もう!」


寄り道だらけの夕食作りは、なんとか終了した。

二人で向かい合い箸を動かしながら、私は蓮に問いかける。


「ねぇ、プレゼントって何くれるの?」

「今は食事中です」

「……何よ、もったいぶって」


そんなに期待させて、ガッカリさせないでよと、私は嫌みにもとれることをわざと言ってみせる。

蓮はそれでも余裕の顔で、揚がったコロッケを、一口食べた。


「あひぃ……」

「ほら……バチが当たった!」


蓮は悔しそうな顔をして、私の方を憎めない顔で睨み返した。





「今日、雪岡教授のところに来たんだってね」

「うん……上松教授が定年だって聞いていたから、ご挨拶して。その帰りに寄ったの」


蓮が雪岡教授のことを話し出した瞬間、私の脳裏に今日の出来事が蘇った。

『修正出来ないケンカ』を気にした父が、自分と幸さんを重ね合わせたのではないかと、

語ろうとして唇が止まる。


今、余計なことを言ってしまったら、また、蓮の気持ちが乱れるのではないだろうか。

別々の想いが、私の中で、言ったり来たりを繰り返す。


「昨日、二人で飲みに行った話は聞いた?」

「……うん、聞いた」

「そうか、学生の間でも、二人が昨日一緒に帰るのを見かけたって、大騒ぎだった」


学生達の間でも、二人の仲の悪さは評判だったらしく、私は蓮の話すエピソードを聞きながら、

確信のない想いは、とりあえず胸に納めた。





「終了!」

「ありがとう、いいのに、お皿洗いなんてしなくても」

「いえいえ、食べさせてもらってばかりだと、敦子の不満が溜まりそうだからね。
やれることはやっておかないと」

「不満なんて言ったことあった?」

「いや……ないけど」


蓮は手慣れた手つきで二人分の食器を洗い、かけてあったタオルで素早く手を拭いた。


「あ、ねぇ、まさかこの手伝いがプレゼントだよっていうオチ?」

「違うよ、そんな小学生みたいなこと、するわけないだろう」

「そうよね……ねぇ、蓮、家でもお皿洗ったりするの?」


蓮はソファーに座る私の横を通りすぎ、ベッドの下に入れてあるデッキを取り出した。

電源を入れ、動くことを確認すると、テーブルの上に置く。


「いや、普段はやらないけど、母さんが入院した時くらいはやるかな。
父さんは台所に立つなんて、考えられない人だから」

「……そう」


蓮のお父さんのことは、初めて聞いた。あの事故で父親を亡くした私と違い、

彼にはご両親が揃っている。肩にかかる期待も、責任も二倍あるのだと、あらためて実感した。


「ねぇ……蓮、何してるの? 音楽でも聴くの?」

「プレゼントがあるって、そう言っただろ。子供だましじゃないことを、
ちゃんと証明しないと……」


蓮は、持ってきたカバンを開け、中から1枚のCDを取りだしたが、ラベルには何もなく、

売られているものではないように見えた。


「何?」

「敦子は待っていればいいんだよ」


ケースからCDを取り出しセットすると、蓮はスタートのボタンに軽く触れた。

今度は二人並んでソファーに座り、少し雑音のある中身に耳を澄ます。


「古いテープからおこしたものだからさ、ちょっと音が悪くなっているけど、ごめん」


蓮のひと言に、私が横を向いた時、ピアノの演奏が流れ出した。

その曲は、私と蓮をつなぐことになったショパンの『革命』で、力強く、

そして広がるような音を響かせる。父と蓮以外のこの曲を聴きながら、私は以前、

蓮が亡くなったお姉さんのテープを聴き、この曲を練習する気になったと言ったことを思い出す。


「蓮……これ、幸さんの?」


蓮は私の問いに、人差し指を口の前に置き、黙っていてと合図した。

もう18年も経つ時を越え、本当に幸さんがこの世の中に生きていたんだと、

演奏を聴きながら感じ取る。


3分ほどの演奏が終了し、ガタガタと椅子を動かす音などが聞こえはじめ、やがて静かになった。

蓮が一時停止のボタンに触れ、私の方を向く。


「そう、これが以前、敦子に話した姉さんのテープなんだ。何度も何度も繰り返し聞いたから、
ちょっと音が悪くなったけど、今回CDにして、残せるようにした」

「うん……」


父を尊敬し、憧れの眼差しを送っていた幸さんの演奏は、私が幼い頃、

父のそばで聴いていた音によく似ていた。


「幸さん、本当に父の生徒だったのね、目を閉じて聞いていたら、
父の演奏を聴いているみたいだった……」

「そうだろ……」

「エ……」

「敦子、僕はこのテープがここで終わるんだと思っていた。
テープには『レッスン』とタイトルが残されていて、てっきり、姉さんが弾いているんだと……
でも、違ったんだ」


私の心臓が一気に動き始め、心をせかす。もしかしたら、この音は……。

18年の時を越えた、もうひとりのものなのだろうか。


「よく、聴いていて」


そう言うと蓮は『一時停止』のボタンに触れた。1、2分の無音状態が続き、

聞き覚えのある声が、私に届く。



『いい? 今の僕の演奏を聴いて、感じたままの『革命』を弾いてごらん』



「蓮……これ……」


蓮は問いかけの返事代わりに、私の手を強く握った。

頭の中の隅に押し込まれている記憶だけれど、間違えたりするはずはない。



これは、父の声だ……。




『この間のことはこだわらなくていい。誰だって失敗することはあるし、
その中から新しいものが見つかることもある。大事なことは囚われすぎないこと。
気持ちを次へ向けることだよ……。いいかい、広橋さん、君のピアノには言葉がある。
でも、想いを全てを押し込んだら、詰め込みすぎて身動きが取れなくなるから。
……まぁ、いいよ。とにかく、そんなに難しいと思わないで。
あきらめず一小節ずつ、積み重ねていけば、最後には必ず自分のものになる』



その言葉を最後に、プツンという音をさせ、CDは動きを止めた。

私はすぐにボタンに手を伸ばし、また再生を押すと、蓮は早送りを押し、

5分過ぎのところで手を離した。


ほんの何秒かだけれど、私や姉に、いつも語りかけてくれたような優しい口調で、

父は幸さんに『革命』をレッスンする。最後のセリフをもう一度聴きたくて、

私は一人でデッキをいじりだし、何度も繰り返し父の声を聴いた。

他の言葉を言うはずもないし、私の名前を呼んでくれるわけでもないのだが、

もう、会えるはずもない人が、目の前にいるような、そんな錯覚がそこにある。


何度目だろうか、蓮が黙って座っていることに気付き、私は慌ててCDを止めた。


「ごめん。私……ひとりで」

「いや、いいんだ。気が済むまで聴いて欲しいと思って、ここへ持ってきたんだから」

「こんな父の声が残っていたなんて、思ってもみなかったから。まだ、心臓がドキドキしてるの」

「うん、僕もこのテープに園田先生の声が残っていたとは18年気付かなかった。
ずっとテープはしまい込んであったんだけど、でも、動かせなくなる前に
CDに残しておこうとしたら、いつも再生していた時間より、CDにした時間の方が長くてさ。
それで気がついた」


確かに、『革命』の演奏が終了して、ガタガタと椅子を動かす音などした後、

プツンと切れるところがある。そこが終了だと思っても、仕方がないだろう。


「初めてここで僕が『革命』を弾いた時、敦子が泣いたのを見て、
何か思い出があるんだろうなとは思ったけど、それだけじゃなかったんだな」

「エ……」

「姉さんの演奏だと思って、僕はずっとこの『革命』を手本に、練習してきたんだ。
知らないうちに、敦子のお父さんのテンポや強弱を身につけていたことになる」


そうだった。ほんの20秒ほどの蓮の演奏から、私の頭の中には、父の想い出が大きく広がった。


「だからあの日、蓮の演奏を聴いて、涙が出たのね、私……」


蓮はCDを取り出すと、透明のケースに入れ、私の手に握らせた。

もう姿を見ることも出来ない父だけれど、小さなかけらが、戻ってきてくれたのだと、

時の重みが腕にかかる。


「あきらめずに、一つずつ頑張っていけば……最後には、必ず自分のものになる」


蓮は、父の言葉をかみしめるようにつぶやき、私の肩を引き寄せた。

その腕の力に、私は菊川先生の家で、手を握られた時のことを思い出す。


私の前では明るくふるまう蓮が、ずっと何を考えていたのか、それはわかっていた。

私は黙ったまま、蓮へ想いを伝えようと、しっかりと頷き返す。


「敦子との出会いは偶然じゃない。初めて見たときから、気持ちが全く動かなくなった。
もっと知りたい、近づきたい……。そんな想いだけが膨らんだ。
あの日、『革命』を弾いたことも……きっと……」


いきなり奏でられた曲のインパクトがなければ、確かに、私たちの間も、

また違ったものになっていたかもしれない。蓮への想いは、確かにあの瞬間から始まった。


「姉さんと、敦子のお父さんが、僕らを引き寄せた……僕はそう思っている」

「蓮……」

「一歩、前に進もうと思う。だから、父さんに話をしてみようかと……」

「お父さんに?」

「あぁ、とみちゃんのところで話した後、あれからもいろいろと考えたんだけど、
でも、どうしても納得がいかない。あの日、姉さんがうちに戻ってこようと
したんじゃないかってことも聞きたいし、それに……」


蓮は、真実を知ろうとしていた。その上で、私たちの未来への道を、

なんとか切り開こうとしている。たとえ、どんな結果が目の前に現れても、

逃げないことを約束した以上、私も自分の想いを、隠さずに語らなければ、蓮に失礼な気がした。


「蓮……あのね、そのことなんだけど、聞いて欲しいことがあるの」



『そんなに難しいと思わないで。あきらめず一小節ずつ、積み重ねていけば、
最後には必ず自分のものになる』



確かなことではない。それでも、私もこの想いを無視しては通れない。

父は私を助けてくれるだろうか、そう想いながら蓮の方を向くと、

その不安な気持ちを悟った彼の、心配そうな顔がそこにある。


「幸さんを誘ったのは……父じゃないかと思うの」

「エ……」


驚く蓮の表情を、自分の視線に捕らえながら、私は父の声が入ったCDを固く握った。





20 心が急ぐ場所 へ……




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コメント

非公開コメント

こんにちは!!e-451

二人でお料理&お片付け仲が良くてほほえましい
けど、抱えてる問題はでっかいよね

敦子さんのお父さんのピアノの音と声
すごくいいプレゼントにもなったし
2人の決意も新たになったって感じですね。

前進あるのみ!たまにちょっと後ろを振り返ってみたり?ね。

敦子さんとの告白と蓮君のお父さんへの話が、2人の前にある問題の解決に繋がるといいな。

      では、また・・・。e-463


真実を知ることから

真実が必ずしも正しいとは限らない。
でも知らなければ前へ進めない。

お父さんの存在忘れてたi-282

何か知っている、隠してきたのかも知れない。
二人のことを知ったとき、どんな態度に出るのだろう?

火傷したかも?すっ飛んでくる敦子、2秒で来た
と喜ぶ連、でもね~~今だけよ
夫婦になって長い時間が過ぎると『アチッ』なんて言っても、『水で冷やしておけば・・』と返すだけヾ(≧▽≦)ノギャハハ
夢壊してごめんね。

声のパワー

mamanさん、こんばんは!


>二人でお料理&お片付け仲が良くてほほえましい
 けど、抱えてる問題はでっかいよね

ねぇ……ちょっと、茶目っ気のある蓮ですから、
こんなところもあるんですよ。
問題が重いからこそ、はしゃいで見せたりしちゃうのかも。

18年前から蘇った声が、二人に大きな力を与えてくれた……はず。
次回も、お付き合いお願いします。

エール

yokanさん、こちらにも……、こんばんは!


>お父さんの声を聞くことが出来たなんて、
 一番のプレゼントだよね。

はい、1話の伏線が、やっとここでつながりました。
敦子にも、蓮にも、修一の言葉は、エールに聞こえたことと
思います。

さて、蓮の父がどう出てくるのかは、次回、その次まで
お待ちください。

夢と現実?

yonyonさん、こんばんは!


>真実が必ずしも正しいとは限らない。
 でも知らなければ前へ進めない。

蓮が聞いていたことと、事実はあまりにもかけ離れていて、
そのために、真実を知りたい気持ちが芽生えたのでしょう。


>お父さんの存在忘れてた
 何か知っている、隠してきたのかも知れない。

ねぇ……そこらへんは次回、その次でわかります。


>夫婦になって長い時間が過ぎると『アチッ』なんて言っても、
 『水で冷やしておけば・・』と返すだけ

あはは……こちらも同じく!