8 土曜日の雨 【8-2】

「あれ? そう思わないの?」

「思いたいですが、思えなくなりました」

「思えなくなった?」


有森は、どういう意味なのかと首を傾げる。


「一つ、二つ先を意識できているようで、足元が見えていなかったのだと思います。
今まで、別れた妻に言われたことが全然理解出来なかったのに、
『有森不動産』に来て、みなさんと関わるうちに、少しずつ理解……というか、
『あ、そうか、これか』と気づくことが増えてきて」


壮太郎は、不満を言った長谷川や、

わかっていてもあえて黙ることを選択してきたと語った、心の言葉を思い出す。


「ここに1年お世話になることで、自分も少し変われるのかな……と」

「そう」

「はい」


壮太郎は『いただきます』と言った後、食べ始めた。





「あぁ……この清涼感がいいんだよ」


千紘は、壮太郎が買ってくれたアイスを食べながら、携帯ゲームを続ける。

お客様が来るカウンターで食べるわけにはいかないため、心は壮太郎の席に、

節子は有森の席に座り、同じようにアイスを食べた。


「なんで離婚しちゃったのかね、西森さん」


節子は、1ヶ月近く一緒にいて、嫌なところなんて何も無いけれどと口にする。

心は午前中に壮太郎が、ぽろっとこぼした話を聞いてはいたが、

自分が広げる話題でもない気がして、黙ることにする。


「浮気では無いらしいよ。俺が聞いたらそういった」

「何、あんたそんなこと聞いたの」


節子は、『全くもう……』とあきれ顔をする。


「いや、軽く聞いた方が答えやすいかなと思ってさ。
人生の先輩に、色々聞いておこうかと」


千紘は『話し合いをした方がいい』と言われたことも話す。


「わかっているだろうなと思い込むのが、一番まずいって、西森さんそう言ってたよ。
奥さんとは話し合いが足りなかったと思っているみたい。まぁ、ついね、
付き合いが長くなると、いちいち言わなくてもってなるけどさ」


千紘はチョコミントアイスを食べ進め、最後の一口が終了する。


「うちの親は、これだけ長くいるのに、いまだにオブラートに包んだことがない。
言いたいことのオンパレードで……」


千紘の嘆きに、節子は『何か言った?』と聞き返す。

千紘は『いえいえ、何も』と言いながら、空になったカップをゴミ箱に捨てた。

扉のベルが鳴ったため、心は立ち上がる。

自分が出るよと千紘が手を上げたので、軽く頭を下げると、

入ってきたのは外から戻った長谷川だった。

日差しがずいぶんきつくなりましたと、ハンカチで顔の汗を拭いていく。


「お帰り、長谷川さん。ねぇ、アイスあるわよ。西森さんが買ってきたの、もらったら?」


節子は食べながら、そう話す。


「いえ……いいです」


長谷川はそういうと、PCを立ち上げる。


「長谷川さん、麦茶入れますね」


心は立ち上がると、冷蔵庫から麦茶を取り出していく。


「西森憎けりゃ、アイスも憎い……か」


千紘は長谷川に聞こえない程度のボリュームでそういうと、

借りた鍵を返してきますと、店を出て行った。





『親はどんなときにも、子供の楽しそうな顔を想像します』



仕事を終えて部屋に戻った心は、パズル雑誌を広げながら、

壮太郎との会話を思い出していた。言われた瞬間は驚きよりも、

『自分の感情を否定された』という部分が多かった気がしたが、

時間が少しずつ経つと、その感情もまた動く気がしてしまう。

そして、なぜそうなったのかを考えたとき、コンビニからの帰り道、

たった数分間で交わした会話の中に、自分自身が驚くことを2つ見つけてしまう。

まず一つ目は、心、自らが、『自分の母親が料理研究家の桜沢弘美である』ことを

話したことだった。

話題がお弁当だったことと、遠足という幼い頃の思い出がうまく重なって、

口に出したのだとは思うが、あまりにも自然に話せていたことに驚いた。

最初に入社した『MIRAI』でも、その後勤めるようになった派遣会社でも、

自分から母親のことを話したのは、今でも付き合いを続ける直美だけになる。

さらに、母が作るお弁当に対する感情。

これを語ったことも、直美以外では今日が初めてだった。

父が亡くなり、残された知恵と杏の家に出かけていく時も、

弘美のことを話題にすることは滅多に無いし、お弁当の愚痴を話したこともない。

母という本来自分に一番身近であるはずの人が、料理上手で有名人であることに、

嫌な思いを持ったことは何度もあったが、

そうではない感情を揺さぶってくれたのは、今日の壮太郎が初めてだった。

幼い頃から、父親の姿が見えなかった心にとって、

唯一の親である弘美が、仕事や自分の恋に懸命になる姿を見るたび、

『自分はその下』という悔しさの方が、いつも強かった。



『子供なんて……生まなければよかった』



小学生の頃、たった一度、祖母に愚痴をこぼした母の言葉が、

心の記憶から抜けることはなかったため、何をしてもらっても、

いつも母の心が自分に向いていると、思ったことがなかった。



『お弁当が……』

『クルクルって……』



子供のお弁当に悩み、子供の一言に悩み、

自分の時間を削るように生きている壮太郎の声が、

いつも優しく、落ち着いていることに、どこか羨ましささえ感じてしまう。

心はペンを置くとベッドに横になり、目を閉じしばらくそこにいた。





天気のよかった金曜日と違い、次の土曜日は突然の大雨になった。

風もなかなか強く、物件ボードのカバーが、ガタガタ動く音がする。

内見を予定していた人からのキャンセルが入り、

『有森不動産』では、時間の空いてしまった千紘が、恨めしそうに外を見る。


「この季節は、雨が降るといつもこうだな。バケツをひっくり返したみたいな」


腰に手を当て、物件ボードの紙の隙間から、店の前の側溝を見た。

駅からは『有森不動産』側の方が、少し下向きのため、

水は一度こちらに向かってきて、さらに下の方へと流れていく。

花壇に植えた花たちも、雨の強さに身を小さくし頑張って耐えているように思えた。

車が通ると、少しずつしぶきのあがる量が増えていく。


「……はい、『有森不動産』です」


突然に鳴った電話の相手は、管理物件に住んでいる女性からで、

アパートの前の排水溝が詰まっているのかうまく流れていないようで、

水がボコボコ言いだし、その勢いに周りに水が溜まりだしているという話だった。


【8-3】



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