20 心が急ぐ場所

20 心が急ぐ場所


「敦子のお父さんが、姉さんを誘ってうちへ戻ろうとしたってこと?」

「うん」


私は、雪岡教授から聞いた祖母と父の話をした。

父の音楽へ向かう気持ちを理解しなかった祖母と、結局は分り合えないまま、

別れることになったこと。幸さんから、お母さんが心臓の手術をすることを聞き、

コンクールへ出ることを望む母親と、子供の音楽へ向かおうとした幸さんのすれ違いを、

父が気にしたのではないかと思ったのだ。


「手術することが亡くなることじゃないけれど、でも、菊川先生が言っていたように、
幸さんとお母さんの間がぎくしゃくしていたことを、きっと父は知っていたんだと思うの。
兄のように、ううん……もしかしたら父親のように、幸さんは父を頼っていたんじゃないかって、
そう思うようになった」

「父親……か」

「あの次の日、父は戻ってこなければならなかったし、
お母さんは入院してしまう予定だった。でも、合宿はまだ続くでしょ。
あの日ならって……父が幸さんを連れ出したんじゃないかって……私……」


父が、幸さんを連れ出すようなことがなければ、二人は事故に遭うこともなく、

今も元気で暮らしていたのかもしれない。そう思うと、時の残酷さに心が震えだす。


「敦子……」


複雑な感情がわかるのか、蓮は大きく腕を広げ、私をしっかりと包み込んだ。

どちらに向かっても、波は避けられそうにない。


「たとえ、君のお父さんが姉さんを誘って、手術前の母さんに会いに来ようとしたんだとしても、
それを恨んだりなんか出来ないよ。君のお父さんがどんな人なのかは、
もう、何人もの人から、聞いてきたんだ」

「でも……」



『そんなに難しいと思わないで。あきらめず一小節ずつ、積み重ねていけば、
最後には必ず自分のものになる』



私たちは大きく揺さぶられる小さな船の中で、互いを支えようと、懸命になっていた。





新生活が始まる4月、私は昼間なのにもかかわらず、『菊川料理教室』へ向かった。

TV局の番組ロケで、教室を貸すことになったから、準備を手伝ってくれないかと

先生に頼まれたからだ。


「……そう、稔さんに?」

「はい、蓮が、お母さんよりお父さんの方が、冷静に話を聞いてくれるはずだって、
そう言って」


菊川先生は、蓮とのことを語れる数少ない理解者だったため、

先日、雪岡教授から聞いた、父の過去も話した。


「手術でお母さんを亡くされたの。だとしたら、そういうこともあり得るのかもね」

「手術で入院することを知った父が、幸さんとお母さんと話し合わせるために、
あの日、外出したのかと考えたんです。それは蓮にも話しました。
蓮は、お母さんが幸さんを呼んだんじゃないかと、思っていたみたいですけれど、
そうじゃないかもしれないって。もし、父が幸さんを誘ったのだとしたら、
そんなことをしなければ、二人が事故に遭う事も、なかったんじゃないかって……」

「垣内さん」

「そう考えるようになってから、自分の存在が、蓮を苦しめているだけな気がして。
もう18年も前の思い出したくないことを、思い出させないとならなくて。
私は、本当にこれでいいのかって、自問自答する日々なんです」


ここまで言うつもりはなかったのに、先生なら話せるという安心感からか、

私の言葉は止まらずに、不安な気持ちをつい語ってしまう。

年上である自分から、身を引いた方がいいのではないかとさえ、近頃は思えてしまうのだ。


「ねぇ、蓮から、ピアノのことを聞いたことある?」

「ピアノのことですか? えっと……中学まで習っていたってことくらいです。
たいした才能もなかったからって……」

「でしょうね。あの子ならそんなふうに言っていると思ってた。でも、それは違うの」


菊川先生は、片付けを終えたテーブルを拭き、時計を見た。

約束の時間より30分ほど早いからと、紅茶を入れてくれる。


「蓮もね、幸と同じとまでは言わないけど、結構優秀だったのよ。
苦しさなんて知らないから、お姉ちゃんと一緒に習うって、ピアノを始めて、
で、幸が亡くなった後も習っていたの。だけど、幸が亡くなる少し前くらいから、
稔さんの勤めていた会社の業績がよくなくて、退社して、自分で事業を始めたのよ。
でも、時代がよくないんだもの。それもうまくいったとは言えない状況だった。
高校進学時に、関西の学校で、蓮の面倒をみたいって言ってくれたところがあったの。
でも、蓮は断った」


初めて聞くことだった。紅茶の香りが漂うカップに、スプーンで小さな角砂糖を入れ、

何度か回していく。


「そこまでピアノに人生を賭けたくないって、そう言った。
まぁ、本音は、家の事情を考えたんだと思う。高校で引っ張られても、
大学へ行けるかどうかはわからないし、芸術の世界なんてね方向転換するにも、大変でしょ。
結局、蓮が高校2年の時に、稔さんの事業が失敗して、それまで住んでいた家を出たの。
だから、蓮は大学進学も一度は諦めた。私がね、学費なら貸してあげるから、
蓮が社会人になったら返してって言ったけど、あの子は嫌だって突っぱねた。
ずっと、同じ立場で会ってきたからね、お金を借りることで、節子が肩身を狭くする姿は、
見たくなかったんでしょ。僕は自分で大学に行くってそう言って、で、
今の引っ越し業者に就職をして、それから……やっと遅れて入学したの」


そういえば、まだ、つきあう前に行っていた映画館で、就職希望の話を聞いた時、

蓮はつぶれなければいいのだと、笑っていたことがあった。


「自分が諦めさえすればいいんだって……。あの子は何でも諦めてきた。
すぐに別の方向へ気持ちを切り替えて、平気な顔をしていた。ピアノだって、
辞めてから家では弾いたことないはずよ。うちへ来て、よく『革命』を弾いてたもの。
だから頑晴れって言ったのにってふざけて言うと、気楽に弾ける今の方がいいんだって。
進学の時も、そんなふうにとぼけてみせていた。……それがね、この間は違った。
あなたのことを私に語った後、僕は諦めないってそう言ったでしょ。あれは効いたわ……」


菊川先生の家で、部屋を出て行こうとした先生に向かって、そういえば蓮が一言、

『諦めない』と言っていたことを思い出す。

私にとってはただの一言にしか聞こえなかったが、幼い頃からの蓮を知る先生には、

相当重い言葉に聞こえていたようだ。


「あれからもずっと考えてたの。申し訳ないけれど、
垣内さんには教室を辞めてもらった方がいいんじゃないかとか、蓮と話をして、
気持ちを整理させようかとか。でも、あの一言より重いものはなかった。
蓮を追い込んでいる気がして、辛いという垣内さんの気持ちもわかるけれど、
それでも、逃げるようなことはしないでほしい。あの事故は本当にただの事故なんだ、
園田家も広橋家も、憎みあう存在じゃなくて、同じ被害者なんだってそれを理解し合えれば……」


私達は、同じ被害者なのだと、理解し合うことが出来れば……。先生のその言葉を、

何度も、何度も繰り返す。


「道が見えてくる……。私はそう思うようになった。あの子が初めて、
諦めないってそう言ったの。だから、垣内さんも諦めないでやって。
この複雑な状況を乗り越えることが出来るのは、あなたと蓮しかいない……」


18年前のことを、ねじ曲がった状態から、修正させることが出来るのは、

ここにいる私達なのだと、菊川先生は教えてくれた。弱音を吐きながらも、実は、

先生に『頑張りなさい』と言って欲しかったのだと、あらためて思う。


「はい……すみません、つい、弱音を吐いてしまって」

「ううん、いいのよ。私も、微力だろうけど、力になれるように、
なんとか頑張ってみるつもりだから」

「先生……」

「だって、あなたがとってもいい人だって、十分すぎるくらい知ってしまったんだもの」


そういうと、菊川先生は私の肩に、軽く触れた。状況が変わったわけではないが、

未来への道を感じさせてくれるだけで、ただ、変わらずここにいてくれる先生の存在が、

私達には大きいものだった。





それから2週間経った日曜日、私は待ち合わせの駅に、時間より15分早く到着した。

蓮のお父さんと3人で、ある店へ行くことになり、ここで蓮を待つ。

化粧室にある鏡に自分の顔を映し、化粧が濃すぎることはないか、

服装で不快感を持たれることはないだろうかと、時間がある限り、チェックした。


「父さんの会社へ行って、敦子のことを話してきたんだ。園田先生の娘さんだってことも、
僕らはそれを知った上で、付き合いを続けているってことも……」

「うん……」

「もっと驚かれると思っていたけど、冷静に話を聞いてくれた。
僕たちなりに当時のことを色々と聞いて、僕が感じている疑問についても聞いた」


店への道を進みながら、私は蓮の手を強く握る。

思ったよりも冷静に言葉を受け止めたという、蓮の話を聞きながら、私の心の中には、

不安ばかりが浮き上がった。誠意を込めて話をすればどうにかなるのではないかと思い、

私も母に全てを語ったつもりだったが、その反応は冷たく、

とても先が見えるようなものではなかったからだ。


「ねぇ……蓮。お父さん、本当に私と会ってくれるって言ったの?」

「エ……あぁ、言ったよ。店だって父さんが決めてくれたし……」

「そうなんだ」


誰にぶつけたらいいのかわからない気持ちは、そのまま形となって現れるまで、

そう時間はかからなかった。





「垣内敦子さん……そうか、園田さんではないんだね」

「はい……」


蓮のお父さんが用意してた店は、オフィス街から少し外れたところにある、

静かな店だった。真新しい畳の香りが鼻に届き、動揺する気持ちを、少し落ち着かせてくれる。


「園田先生のご家族と、また、こうして会うことになるとは、思っても見なかった。
いや、あなたたちのことを考える、余裕すらなかったと言ってもいいかもしれない。
それだけ、私たち夫婦にとっても、幸の死は大きかった」


期待をかけて来た娘の事故死。確かにお父さんの言われる通りだった。

私の顔など、見たくなかったというのが、本音だろう。


「幸がうちへ戻ろうとしたんじゃないのか、そう誘ったのは、
ご自分の母親を手術で亡くした園田先生ではないのか……。そんな疑問符を並べ、
必死になる蓮を見て、私も覚悟を決めた。幸も大事な娘だが、蓮……、お前も私の大切な息子だ。
いや、敦子さん、あなたも、ご両親にとっては、大切なお嬢さんなはずだ」

「父さん……」

「この話は、封印したままでいようと、そう思っていた。でも、お前たちが何も知らないまま、
節子を責めるのだけはどうしても避けたい。この原因は……私自身にあるのだと、そう思ってる」


ほんの小さなかけらを、また埋めてくれると思っていた蓮のお父さんは、

18年前の真実を、全て知っているのだと語りだす。


あの時から、二度と戻ることのなかった二人の話が、時を越え、

今、私たちの目の前で、よみがえろうとしていた。





21 寂しい背中 へ……




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コメント

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鍵を握る父?

同じように不安を抱える敦子と蓮。

そんな二人を理解できる菊川先生。

蓮の抱えている過去、若いのにかなり苦労してきたのね。
両親は蓮の思いに気付いていたのだろうか?
分かっていてもどうしようも無かった事なのだろうか?
姉幸のことばかりに囚われていすぎたのでは?

次々疑問が沸いてくる。

果たして父は何を語るのだろう・・・

幸せになる為の道標は示されるのか。気になる!

父の告白

yonyonさん、こんばんは!

>両親は蓮の思いに気付いていたのだろうか?
 分かっていてもどうしようも無かった事なのだろうか?
 姉幸のことばかりに囚われていすぎたのでは?

そうそう、次々と疑問がわくでしょ。
その辺も、お父さんの告白を次に読んでもらえると、
わかる気がするんですけど……どうだろうか(笑)

幸せに近づくと、ふっと逃げてしまっているような気がする二人です。

絡まる糸と絆

yokanさん、こんばんは

>蓮君のお父さんは何を知っているのか、
 何を語ろうとしているのか・・
 解けようとした糸が、まだまだ絡まっているんだと実感です。

はい、この作品は、3幕になっていると思っているんですが、
二人の恋愛模様と、18年前の事故、そして……
この後、蓮の父が事実を明らかにして、
そこから更なる展開が始まります。

菊川先生も活躍しますので、どうか最後までおつきあいくださいね。

こんばんは!!

蓮君の「諦めない」には深~い意味があったのですね。

敦子さんの知らない蓮君の過去
菊川先生の話はちょっと衝撃的だったかもね。

蓮君のお父さんの話は2人にどんな影響を与えるんだろう・・・。

      
      では、また・・・

来週、全て明らかに……

mamanさん、こんばんは


>蓮君の「諦めない」には深~い意味があったのですね。

はい、意味がありました。
出会う前のことは、わからないですからね。
互いを知る人達に出会いながら、さらに絆を深める二人です。

さて、父の語る真実は……
来週までお待ちください!