10 シングルファーザー 【10-3】

そして、壮太郎はその日の午後、別仕事を終えてから、

さやかと温が暮らした団地に向かい、集合ポストの中を覗いた。

結婚していた時、さやかが壮太郎と暮らしていたのは、別の場所だったため、

この団地自体には来たこともなければ入ったこともない。

離婚を決めた後、さやかはすぐに自分の生活を整えようと役所に相談し、

この団地を紹介してもらった。

集合ポストには鍵もかかっていないので、扉を前に引くと、

どうでもいいようなちらしがあれこれ入っているのがわかる。

押し込まれ潰れている封筒を取るため、ちらしを動かすと、

その動きにちらしが雪崩れてきそうな雰囲気さえあった。

引っ越して1日や2日でこれだけの量が溜まることはありえない。

さやかの引っ越しは数日前ではないのだとわかる。

温と二人で頑張ると相談し、与えてもらっていた場所で、

さやかは新しい相手との生活を、実際には組み立てながら暮らしていたのかと思うと、

行き場のないまま押しつぶされているチラシをつかんで、

思い切り下にたたきつけたいくらいだった。

しかし、そんなことをしても意味が無いこともわかっているため、

壮太郎は扉を静かに閉める。



『ママに……』



温がさやかを思い、懸命に書いた絵。

とも先生に封筒を作ってもらい、壮太郎が住所を書いて切手も貼った。

閉じられた封筒の中にある温の気持ちを思うと、

このまま持ち帰ろうかとさえ思ってしまう。

それでも、『ママ』との接点を持ち続けたいと考えた温のことを思い、

壮太郎は、駅前にある郵便局から、さやかの新しい住所にあらためてその絵を送った。





心が渡した『おもちゃ券』に喜んだ温が、

週末には、壮太郎とおもちゃ店さんに行くことを楽しみにしていた土曜日、

壮太郎は仕事のファイルを片付け、カバンを持つ。


「それでは、お先に」

「お疲れ様です」


千紘が声をかけ、カウンター周りを片付ける心も『お疲れ様です』と一言声に出す。


「桜沢さん、明日、温と一緒におもちゃ屋へ行ってきます」

「あ……そうですか」

「なんだか、欲しいものがあるらしくて」

「ぜひ買ってあげてくださいね。お役に立ててよかったです」


壮太郎は『失礼します』と言い、扉を開けて出て行き、

心は渡したおもちゃ券で、温は何を買うのだろうと考える。

あとは外にある立て看板を入れるだけだと思い、心が外に出ると、

一人の女性が申し訳なさそうに立っていた。


「どうされました?」


心は、店の前に立っていた女性に声をかける。

白髪交じりの年配女性は、『部屋を探しています』と小さな声を出した。





壮太郎がいつものように『くれよん保育園』に着くと、

とも先生の助手をしている保育士が、すぐに駆け寄ってきた。


「西森さん、すみません先にお話がありまして。
今、とも先生が来ますので、職員室の前にお願いできますか」

「はい」


壮太郎は教室の方ではなく、職員室の方に足を向ける。

それから数分後に、温の担任、とも先生がやってきた。



「すみません、もうお店は終わりの時間なのに……」

「いえ、物件の情報だけでよろしいですか」

「……はい、とりあえずいただいていいですか?」


心は、店の前に立っていた年配女性を中に入れ、

コピーをする間、座っていてくださいと椅子を出した。

女性は椅子に座ると、『はぁ……』と疲れていると思えるため息を吐く。

心は一度その女性を見た後、コピー機のボタンを押した。



「エ……温が?」

「はい。今日の午前中は、楽しそうに数人で外遊びをしていて。
お砂場で、急に光君が泣き出したのでどうしたのかと聞いたら、
『温君が頭をグーで叩いた』と」

「グー……ですか」


壮太郎が聞かされたのは、温が友達とケンカをし、

げんこつで頭を殴ってしまったという内容だった。


「あの、理由は……」

「それが、光君の泣き声に、温君も大泣きになってしまって。
で、とりあえず落ち着かせてから、
温君と話すために私が別の場所に連れて行ったのですが、口を結んでしまって、
何も話してくれなくて」


温が殴ってしまったという『猿橋光』君は、以前、さやかと温が住んでいた、

市営住宅に住んでいるという。


「転んで泣き出した子がいたので、そばにいた先生も、
瞬間的にそちらを見てしまったそうです。気づいた時には、
光君が頭を押さえて泣いていたと」

「大丈夫でしょうか、光君は」

「はい」


とも先生は、『お昼くらいにはすっかり元気になっていました』と、

叩かれた光君の話をする。


「もちろん、何かきっかけがあったのだと思います。
温君は、何もしていない友達をいきなり殴るような、そういう荒っぽいことはしません。
むしろ、泣いている子がいたり、ケンカが起きると止めに入ろうとしたり、
私たちにちゃんと知らせてくれる子です」

「はい」


壮太郎も、その言葉にはしっかりと頷いた。

さやかと暮らしている頃から、温に会うときにはなるべく話を聞くようにしていたし、

お迎えに行くときも様子を見ていたが、温はいつも友達が周りにいて、

ケンカをしているところなど、見たことがなかった。


「どうしてたたいちゃったの? と聞いても、全く言葉を出さなくて。
その後、『トイレに行く』というので、送りだしたのですが、
今度は、そこから30分くらい出てこなくて」


保育園のトイレは、安全面を考えて、大人は上からのぞけるような構造になっていた。

とも先生は何度か温に声をかけて、外に出るように話したという。


「今日はもう聞かないよと言ったら、やっと出てきてくれて……」

「そうですか……」


壮太郎は、教室の隅で積み木を片付けている温を見る。


「相手の光君は……」

「光君も、そのときは『僕は悪くない』って、興奮していましたが、
立ち直ってからあらためて聞いたら、温君の方を見たり、気にして首を振るだけで、
ハッキリと理由は教えてくれずに」


壮太郎は、『猿橋さんに電話をかけた方がいいでしょうか』と、とも先生に尋ねる。


「いえ、猿橋さんにもお話はしましたので。怪我をしたわけでもないし、
子供同士ですからと、そう言われて」

「すみません……」


壮太郎は教室の奥で、本を広げている温を見る。


「ただ……」


とも先生は『別の子の言うことですが……』と前置きをし、話を続けた。


【10-4】



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