15 距離の取り方 【15-1】

どんな会社にも、癖のある社員はいる。

しかし、心にとって作田は、そういった感情で片付けられる人物ではなかった。


「思い込みの激しい上司が、前の派遣先にいてね。仕事の付き合いがあるから、
話しかけられたりすればそっぽは向けないでしょう。たまには仲間と飲みに行ったり。
席が隣になれば、それなりに話はするわけで」

「うん」

「でも、どこかで個人的な感情があると、勘違いされたみたい。
で、番号を知られているのが嫌で、今の職場に入ることをきっかけにして、
変えてしまったから」

「思い込み……か……」

「そう……32くらいの君は、40過ぎた自分くらいがいいんじゃないかとか、
なんだろう、そういう言い方をしてきて」


心は、『女性の独身は、不幸せだと思われるのかな』と首を傾げる。


「言い方の問題だよ。その人も、妙なプライドで固まった人だと思う。
もっと素直に言えばいいのにな、『あなたが好きになりました』って」


直哉はそう言うと、少し笑みを見せる。


「まぁ、言いにくいかな、上司だと……」

「うん」


二人の話がそこで止まり、静かな時が1秒、1分と刻まれていく。

互いに『時間』を重ねたことで、尖っていた気持ちはもう無くなっている。

家族を助けることも人生では大切なことで、また、自分を大切にすることも、

必要なことだと、この数年間で気づいてきた。


「心に謝りたいと思っていたから、少し気持ちが楽になったよ」

「謝るだなんて……私の方こそ、会えて良かった」


心は、最初に直哉を店で見た時には、思わず避けるようにしてしまったが、

こうして今を語れたことで、確かにつかえていたものが、少し取れた気がしてくる。

二人は静かに食事を終えると、店を出た。

最寄り駅に向かって、ゆっくり歩き続ける。

隣同士に歩くものの、その距離は保たれていて……


「心……」


あと数メートルで改札という時、直哉の手が、心の腕をつかんだ。

心は直哉を見る。

そのあとに続く言葉を、想像してしまいそうになるような、

真剣な顔を見せる直哉から、心は思わず視線をそらす。


「……ごめん、うん……」


心の腕を放し、出そうとした言葉を胸の奥に押し込むように、直哉は下を向く。


「ごめん……」


心は黙ったまま首を振る。


「今日はありがとう……」

「うん……」


心は、直哉の顔を見る。


「さようなら……」


心は、直哉に何を言おうとしたのか聞くことはなかった。

『ありがとう』や『ごちそうさま』ではなく、あえてこの言葉を出す。

少し遅れたタイミングで、直哉が頷く。

心は先に改札に入ると、そのまま駅のホームに上がる階段を進んだ。



『心……』



あの頃と同じように名前を呼び、同じように優しい口調で話し、

変わらない素敵な笑顔を持つ人。

心にとって直哉は、『懐かしさ』を感じる人になっていた。

部屋に残っている忘れ物を見るときにはわからなかった感情が、

本人を目の前にして確信に変わる。

腕をつかまれた時に、心は思わずその先を避けていた。

当時と変わった心の気持ちを見抜いた直哉は、『思い』を前に出すことはなく……


心は、停車した電車に乗り、空いていた席に座る。

そんな動きが何度かあり、駅まで戻ってきた。

改札を出た後、足を家の方に向け歩いて行くと、その歩みが遅くなる。



『くれよん保育園』



すでに園児達は姿を消していたが、職員室と思える場所には、まだ灯りがついていた。

園の砂場に残っている子供の足跡に、心はこの場所に数時間前までいたはずの、

温の姿を考えてしまう。

その場所で心が目を閉じ、ふと思い浮かべたのは、温を優しい目で見つめる、

壮太郎の顔だった。





「パパ、バイバイ」

「うん……頑張れよ」


週末の金曜日、壮太郎は温を保育園に預けると、少し早足で『有森不動産』に入った。

挨拶を交わし、自分の席にカバンを置くと、心の後ろにあるファイルを見始める。


「どうしました、西森さん」


心は、壮太郎が何かを探している気がして問いかける。


「いや、あの……この間千紘君が印刷していたマンションが……」


壮太郎はページをめくり、情報を探しながら答えていく。


「マンション? あぁ……」


心は『昨日、仮予約が入りましたよ』と声に出す。


「エ……昨日?」


壮太郎は驚きで、動きが止まる。


「はい。西森さんが寺井さんのところに出かけてましたよね、その間に」


心はカウンターの前にある『仮押さえ』のファイルを出すと、壮太郎の前で開いた。


「今の入居者の方が出たら、内見をして……と」


心は、そういう約束が出来ていることを話す。


「本当に?」

「はい」


壮太郎は『そうか……』と言いながら、軽く首を傾げる。

出したファイルを閉じ棚にしまうと、心の横を通った。


「西森さん、引っ越し決めたのですか」


心はそう尋ねてみる。


「あ……実は昨日の夜、実家の母親から電話があって。
1年間だけ、東京で暮らしてくれるってことになりまして」

「エ……」


心は『そうなのですか』と、明るい声で返事をした。


【15-2】



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