21 優しい香り 【21-2】

数秒前に言った台詞を、消してしまいたいという気持ちで、

温を強く抱きしめる。


「パパ……」


壮太郎は、瞬間的に『自分の都合』で温に栃木行きを提案していたことに気付き、

その考えが、あまりにも身勝手だと後悔した。

まだ幼い温にとって、『くれよん保育園』で友達と過ごす時間が、

どれほど大事なものなのか、わかっていたはずだった。

栃木の両親が助かるなんて言うのは、ただ付け加えただけの話で、

温を預けて身軽になろうとした、自分のわがままだと何度も首を振る。


「パパ……」


温が『保育園を休みたくない』と言えば、すぐに目が覚めたことだったが、

自分がいることで、壮太郎が慌ただしい生活になることに気づいた温の、

精一杯の態度だと気づく。

小さいなりの成長に、壮太郎は嬉しさよりも切なさが増していく。


「温……ごめん、ごめんな。保育園を休まなくていい、毎日行けばいいよ」


壮太郎は温の呼吸を感じながら、何度も何度も謝った。





そして、仕事が休みの土曜日、

壮太郎はあらかじめ『有森不動産』に連絡を入れ、お店に顔を出した。


「あら、そんなことが……お父さん、大丈夫?」

「はい。怪我の方は……」


壮太郎は、『食欲もしっかりあるようです』と話す。


「こんなことをお願いしに来て、本当にずうずうしいとは思うのですが……」


壮太郎は、話を聞いてくれることになった有森と節子に、

自分が栃木に預けようと提案した時の、温の言葉を話す。

心は、3人にお茶を入れ、カウンターに戻ったため、自然と話が耳に入った。

『パパを助けようと思い、栃木に行くことを了承した』温の気持ちを考えると、

胸が締め付けられる気がしてしまう。


「この間、急に熱を出して、その日、僕が仕事を休んだことを覚えていて。
病院に着いていったり、色々と動き回っているのを見て、
『自分がいない方が』と温が考えたのかと思うと……。
自分の仕事に対してのわがままから、両親にも子供にも迷惑をかけてしまって」


壮太郎と温。

互いの気持ちのやりとりに、心は切なさで苦しくなった。

壮太郎は自分のわがままだと言ったが、心にはそう思えなかった。

男性が、自分の能力に合う仕事を、精一杯したいと思うのも当然のことで、

『私が手伝います』とこの場で言えたら……と考えてしまう。


「西森さん。迷惑だなんて考えたらダメよ。ご両親だってそう思っている。
元々、一人で子供を育てていくことが大変なのだもの。うちは全然大丈夫だから」


節子は、おばあちゃんがいるから相手にもなるし、

その方が栃木のご両親も安心すると、以前話したような協力を申し出る。


「すみません、結局、こんなふうに甘えてしまって」

「西森さん、節子の言うとおりだ。そんなに申し訳なく思わなくていいから。
あなたがここで仕事を諦めてしまったら、
違った意味でまた温君は寂しい思いをする。大丈夫だから、うちを利用しなさい」


有森もそういうと、『毎日行けばいいのか』と問いかける。


「いえ、金曜日に定期的な会議があるので、その日はどう終わりが来るのか、
予想出来なくて」


今回の仕事が役所関係のため、予想できない部分があることを説明する。


「なら金曜日は必ずなのね」


節子はカレンダーの金曜日に丸をつける。

『何かがあれば電話をしてね』と壮太郎に話した。





そして壮太郎の『高倉再開発』の仕事がスタートし、初めての金曜日を迎える。

お迎えを引き受けた節子は、午後6時になるため、楽しそうに店を出て行った。

千紘はその姿を見る。


「なんだ、あの楽しそうな姿は」


そういうと、お店は閉める時間になったため、片付けに入り始めた。

心は、有森ご夫婦なら大丈夫だと思いながら、外の看板を片付けに向かう。

外から見た物件情報の紙が1枚、斜めになってしまったので、

それを店内から直すことにした。


「すみません、お先に」

「はい、お疲れ様です」


防音の2部屋の入居者が決まり、安堵した長谷川は、珍しくニッコリ笑うと、

店を出て行った。心はケースの鍵を開け、貼り付けがおかしくなった箇所を直す。

それから最終的なメールなどを確認し、PC画面を閉じ、カバンを持った。


「お先に失礼します」

「あ、お疲れです」


千紘の声に見送られ、心は店を出た。

横断歩道の方を見ると、手をつなぎ戻ってきた温と節子が見える。


「あ……心さん」


温は嬉しそうに手を上げて、心に向かって振り出した。

心もそれに合わせて手を振り返す。

すぐに左に折れてスーパーに行こうと思っていたが、こっちに渡ってくる温に、

一言声をかけてから行こうと思い、信号が青になるのを待った。


「おかえり、温君」

「うん……」

「お疲れ様」

「はい」


心は節子に頭を下げて、スーパーの方に向かう。


「心さん、バイバイ!」


温の声に振り返り、心はもう一度手を振った。





週に1度、会議の日だけ節子にお迎えを頼む気持ちになっていた壮太郎だが、

いざ、仕事がスタートすると、予想よりもはるかに大変だった。

やりがいはあるし、考えることは苦しくも楽しくもあるのだが、

気づくとすぐに時計に目をやっている。

初めの週は金曜日だけだったのに、次の週には水曜日もそうなってしまい、

『有森不動産』が休みであるのにも関わらず、節子が迎えに行ってくれた。

そして3週目に入り、また火曜と金曜、両方節子にお迎えを頼むことになる。


「西森」

「はい」


壮太郎に声をかけたのは、プロジェクトのリーダーを勤める延岡だった。

延岡は、壮太郎を連れて休憩室に向かう。


「西森、何か気になることがあるのか。お前がいつも時計を見ている気がして……」


延岡は梅本と違い、壮太郎の細かい事情は知らなかった。

壮太郎は、自分が離婚をし、去年からシングルファーザーになっていることを話す。


「シングルファーザーか」

「はい。ですので、子供のことがありまして……」


壮太郎は、父親の怪我など、予想外の出来事が重なってしまったことも延岡に話す。

延岡は真剣な顔で壮太郎の話を聞き、最後に両手を組んだ。


「理由はわかった、確かに大変だとは思う。でもな西森、それは全て自己都合だ。
仕事が動き出したこの段階で、俺はお前を特別に扱うことは出来ないぞ」


延岡から出てきたのは、『甘えは許さない』というような厳しいものだった。

どこか、同情してもらえるような気がしていた壮太郎は、予想外の言葉に、

『すみません』としか言えなくなる。


「謝ることではないが、どんな事情を抱えていようが、何があろうが、
作る段階でやれると判断し、加わったのはお前だ。これはうちにとって大事な仕事だし、
やってみたいと思う社員は他にもいる。選ばれたということをしっかり考えて、
今のうちに不安要素にはきちんと対応してくれ」

「……はい」


延岡の言葉に、壮太郎は頭を下げその場を離れた。

自分の抱えた事情に、どこか好意的な人達に囲まれていたからなのか、

延岡には、突き放されたような気がしてしまう。

自分でも、この仕事が厳しいことはわかっていたし、

甘えたり特別にしてもらおうなどとは思っていないが、

休憩室から戻りながら、情けなさと悔しさとが入り交じっていく。

壮太郎は、気持ちの冷静さを保とうと言い聞かせ、首や肩を回しながら歩いた。


【21-3】



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