21 優しい香り 【21-4】

「おいしい!」

「ありがとう」


温と一緒に『有森不動産』を出た心は、スーパーに向かい、

何を食べるのか決め、材料を買って帰り、料理を作ると一緒に食べ出した。

温は、有森のおうちでは節子が『茶碗蒸し』を作ってくれたことを話し出す。


「茶碗蒸しか……美味しいよね」

「うん、プリンみたいだよ」


温は赤いかまぼこと、鶏肉が美味しかったと感想を語る。

それからも温は保育園のこと、最高学年になったため、小さい子達と手をつなぎ、

公園に行ったことなど話してくれる。


「そうか、温君、一番大きい学年さんだからね」

「うん……ユキ先生が、小さい子を助けてあげようねって言う」

「ユキ先生? あれ? とも先生は?」

「とも先生は今度、一番小さい『もも組』。大きい『あお組』はユキ先生」

「へぇ……そう。温君は今年『あお組』なのね」

「うん」


温は箸を上手に使って、ご飯を口に入れた。





駅の改札を出た時、見えた時計は午後9時半になっていた。

壮太郎は左に曲がり、『くれよん保育園』の前を通り過ぎる。

コンビニの明るさを右側から感じ、そのままなだらかな上り坂を歩く。

ジョギング姿の学生が一人横を通ったが、他には誰に会うこともなく、

マンション前まで着いた。

見上げた心の部屋にはしっかり灯りが着いている。

プロジェクトの仲間と向かった居酒屋は、立ち飲みが出来るラフなものだったので、

本当に1杯だけと最初は小さな机を囲んだ。

話題として出てくる、他のメンバーの仕事への意欲が、

語りたくても語りきれない壮太郎には、羨ましくも妬ましくもあり、

気づくと自分で勝手におかわりを注文し、2杯飲んでいた。

店を出て電車に乗り、ここまで戻ってきたが、現実が押し寄せてきて、

今度は申し訳なさから足が重くなる。階段を1段ずつあがり、

『201』の表示を確認すると、壮太郎はインターフォンを鳴らした。


『はい』

「すみません、西森です」

『今、出ます』


心の声がきこえてから、カチャカチャと鍵が外れる音がする。

壮太郎は下を向いたまま、扉が開くのを待った。


「こんばんは……」

「すみません……」


壮太郎は、まともに心の顔を見られないまま、ただ謝罪した。

仕事を終えた心に温を任せ、仕事の仲間との時間とはいえ、

酒の匂いをさせて迎えにくるなど、最低の行為だと考えてしまう。


「温君が……」

「本当にすみません、情けない限りです」

「西森さん……」


心は、壮太郎の様子がいつもと違うと思いながら、その場に立っていた。

寒いので中にと進めても、壮太郎の足は動かない。


「自分で育てるって大きなこと言って。でも結局、こうしてみなさんにお願いしなければ、
何も出来ていない。今日だってさっさと帰ればいいのに、酒の匂いしているでしょう。
子供を預けてどういうことだって、思いますよね普通」


壮太郎はこうなってしまったのは、自分だけが悪いわけではなくて、

自分に文句を言い、身勝手に別れたさやかだと、

さらに約束したのにそれを守れない両親だと、言いそうになる口を閉じ、

一度冷静になろうと上を向き大きく息を吐く。

目の前にいる心は、少し顔の赤い壮太郎を見ながら、

確かにお酒を飲んでいるのかもしれないとそう思う。


「そんなふうに、自分を責めたらダメですよ、西森さん。いいじゃないですか、
たまにはお酒に逃げたって……。何でもうまく出来るわけないですし、
出来ない協力など、みんなしませんから」


心は、壮太郎を見ながら声をかけるが、視線は合わないままになる。


「うちの母がよく言ってました。大変な時はお酒くらい飲まないと、
気が滅入るのよって……」


心にしてみると、壮太郎を励ますような気持ちで出た台詞だったが、

壮太郎は首を横に振る。


「西森さん、とにかく……」

「こんなことなら……」


心は、立ったままの壮太郎の腕を引っ張り、玄関の中に入れた。

そして、『聞きたくない言葉を遮る』ように、その体に腕を回す。

自分を責めるのも、温との生活を後悔するような台詞も、両方聞きたくない。

心はそう思い『いいんです』と繰り返す。


「いいんです、こんな日があったって……」


壮太郎に、心の香りが届く。

しばらく触れたことがないような、女性の甘い香りに自然と手が動いた。

壮太郎を抱きしめようとした心と、心を抱きしめようとする壮太郎。


「私は西森さんを……」


カタンと音がして、二人が体を離す。

心が奥を見ると、寝ている温の手に当たったのか、

プラスチックで作られたティッシュボックスが、床に落ちていた。



「すみません、本当に」

「いえ……」


心の言葉は途中になったまま、あらためて壮太郎に部屋へ入ってくださいと話した。

壮太郎も、温を連れて帰らないとならないことはわかっていたので、素直に頷く。

温が眠っている横で、壮太郎は心と向かい合った。

心はお茶を入れた湯飲みを、壮太郎の前に置く。


「西森さん。これからは、有森家と私と両方で温君を見てもいいですか?」


心の提案に、壮太郎は黙ったままになる。


「西森さんが何を考えているのか、なんとなくわかります。
こんなに忙しくてみなさんに迷惑をかけるのなら、仕事など選ばず、
自分が『ワークシフト』を使い、配置転換をしてもらえばよかったと、
おそらくそんなことですよね」


心は人に迷惑をかけたくないと頑張る、壮太郎のことを理解してそう言った。


「はい……」


壮太郎は、『自分の欲でこうなってしまった』とまた下を向く。


「欲を出して何が悪いのですか。望まれて入ったポジションですよね。
それに、頑張っているのは西森さんだけではありません。
温君のたくさんの頑張りを、無駄にしてはダメですよ」


心は、どんどん世界を広げる温のことを語っていく。


「最初は、私の顔を見ただけで逃げだそうとしていたような温君が、
有森不動産のみなさんを覚えて、この人達は大丈夫だと信頼して、
お父さんが仕事を終えてくるまで、ちゃんと待てるようになっているんです。
有森家でも西森さんが遅いことで怒ったり、泣いたりなど、
一度もしたことがないそうですし、今日だって、夕食もきちんと食べました」


心は、温は成長していると壮太郎に話す。

壮太郎は眠っている温の顔を見た。

毎日見ている寝顔は、とても穏やかに見える。


「まだ、西森さんが『有森不動産』にいた頃、寺井さんのことで本社に向かって、
温君のお迎えを忘れてしまった日……ありましたよね。
温君、『パパは立派なトロフィーを持っているよ』と、私に教えてくれました」

「トロフィー?」


壮太郎は、そういえばと思い頷く。


「あれは、社内でアイデアを出すイベントのようなものがあって。
それでもらったものです。トロフィーというような、たいしたものでは……」

「別に何でもいいんですよ。温君は、西森さんが自慢なのですから」


心は、『仕事を頑張る父親』は、子供にとって眩しいものだと話した。


【21-5】



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