22 迷いと決断と 【22-4】

その日、仕事を終えた壮太郎は、駅の改札を出ると、マンションがある左に曲がった。

戸田に話をしたように、自分の気持ちは動き始めたのだから、

それをなんとか心に伝えようと考える。


「こんばんは」


壮太郎がかけられた声に振り返ると、杏がすぐに頭を下げた。


「『有森不動産』の西森さん……ですよね」

「あ、はい、西森です。あれ? 桜沢さんの……」

「はい、妹の杏です」


杏は壮太郎と同じ電車に乗っていて、先に壮太郎に気づいたが、

声をかけるまでの自信がなかったと、歩きながら話し出す。


「あ、そうでしたか」

「すみません、たぶんそう、きっとそうと思いながら……」


壮太郎は、杏が心を訪ねて『有森不動産』に来た日。

会話らしきものもしていないので、それほど印象に残ることも無かっただろうと、

歩きながら考える。


「今日は……お姉さんのところに?」

「はい」


杏は、今年『国家試験』があるため、バイトを辞めたことなど報告に来たと話す。


「国家試験か、それは大変だ」

「はい。でも、なんとか合格しないと……」


杏は『とにかくこれから必死に勉強します』と、

参考書が入っているバッグを軽く叩く。


「私が一人前にならないと……姉がいつまでも気にしてしまって。
早く、姉を自由にしたいんです」


杏は『幸せになってもらいたいから』と心に対する気持ちを話す。

杏の台詞に、壮太郎は頷きながら、そういえば前回『有森不動産』で会った時にも、

同じようなことを話していたなと思い出す。


「これからは……自分のことだけを考えて欲しくて……」


杏にとってみたら、『自分というお荷物がなくなる』という意味で言った台詞だったが、

壮太郎には、それが強く気持ちの隅に残された。

自分と温との未来を考えて欲しいと願うことは、

やっと妹を送りだした心に、また、『他人の人生』を背負わせることになる。


「あの……私はここで……」


並びながら歩いていると、マンションの前に着くのはすぐだった。

杏は、壮太郎が同じマンションに住んでいることは知らなかったため、

『僕は1階なので』と説明をする。


「あ、そうだったのですか、すみません、私。西森さんはどこに行くのかななんて、
ボーッと考えていました」


杏は、明るく笑う。

壮太郎は『それではまた』と挨拶をして、階段の前で別れる。

杏は階段を昇っていき、壮太郎は廊下を進む。



『自分のことだけを……』



改札を出るまで頭の中にあった思いは、壮太郎の中で複雑に絡み始めた。

栃木の両親が自分の幸せを願ってくれるように、心にもその幸せを願う家族がいる。

壮太郎は、扉に鍵を入れドアノブを回す。


「ただいま……」

「あ、お帰り」


藍子の声に迎えられ、壮太郎は靴を脱いだ。





「へぇ……なかなか順調なのね」

「今のところはね」

「でも、先生が試験も自信を持っていけと言ってくれているのでしょう」

「うん……まぁ」


心のところに向かった杏は、実習なども終わり、

これからは『国家試験』に向けて、とにかく勉強することを話す。


「試験に通ったら、登録できるようになるから、そうしたら就職活動出来る」

「うん」


心は、目標を持ち、一歩ずつ進んできた杏の姿を、誇らしげな気持ちを持って見た。

杏は、『そんなに笑顔で人の顔を見ないでよ』と笑う。


「だってさ……あの杏がここまでって思うから」


心は、父、保之の葬式で、知恵の横に座り泣いていた杏の姿を思い出した。

同じ娘として式に出たものの、心は距離が離れていたこともあり、

その場では涙が出なかった。

火葬場の煙を見ながら、初めて涙が出たことを思い出す。


「あ……そう、西森さんに会ったの、駅の前で」

「エ……」


心は『そう……』と答え、すぐに時計を見た。

今日はそれほど遅くなっていないのだとわかり、ほっとする。


「電車もね、同じだったのよ。私、多分西森さんだなと思ったけど、
間違えたら悪いから、なかなか声がかけられなくて。でも、見れば見るほど、
絶対にそうだって……で、『こんばんは』って」

「うん」

「あ……ってすぐに気づいてくれた。ちょっとかっこいいよね、西森さんって」


杏はそういうと、笑い出す。


「ねぇ、西森さん。お姉ちゃんと同じマンションに住んでいるのね、
私、どこまで一緒に歩くのかなと、話ながら考えちゃった」

「2月に引っ越してきたの。息子さんの保育園のこともあるし」

「ふーん……」


杏はパンフレットをカバンにしまい始める。


「お姉ちゃん、タイプでしょう」


杏はそういうと、心を見る。


「ん?」

「西森さんだよ。だって、ほら、あの人に似てない? なんだっけ……、
お姉ちゃん、よく見ていたでしょう」

「エ……誰?」

「ほら、えっと……」


杏は『俳優の名前が出てこない』とこめかみあたりをグルグル動かしていく。

心は今頃、壮太郎は夕食を食べているだろうと思いながら、

『お茶を入れるね』と立ち上がった。





「パパ、パパ……ほら、見て」

「うん……よく出来たな」


心の想像通り、壮太郎は夕食の最中だったが、箸の進みはあまりよくなかった。

温は保育園で作った牛乳パックの飛行機を食卓に乗せ、壮太郎の顔をのぞき込む。


「パパ……お腹痛いの?」


温はそういうと、心配そうな顔をする。


「いや、お腹は痛くないよ」


壮太郎は、そういうと茶碗からご飯をすくい、少し食べるスピードをあげる。

温は『ふーん』と言った後、牛乳パックの飛行機を持ち、和室へ入った。


「忙しいのね、今度の仕事は。温じゃないけれど思うわよ。どこかボーッとして」


壮太郎にお茶を出した藍子は、椅子に座るとそう言った。

和室でテレビを見ている卓は、『仕事なのだから忙しいのは当たり前だろう』と、

壮太郎の立場をフォローする。


「前はさ、なるべく会社を早く離れて、とにかく温を迎えようと思っていたから、
正直、持ち帰ることもあったけれど、今は終わらせてから帰ろうという気持ちになれて。
それが逆に、そう見えるのかも」


壮太郎は、食べながら現状を語り、お茶を飲む。


「もういいの?」

「うん……風呂、入るわ」


壮太郎は食器を流しに片付け、洋服を取り出すと浴室に向かった。

2LDKの広さがあるとはいえ、大人が3人いると、狭く感じることも事実だった。

壮太郎は、どこからか必ず声がかけられるような状態から逃げるように、

洗面所の扉を閉める。


「ふぅ……」


壮太郎はタオルを置き、その場にじっと立つ。

『今まで頑張り続けてきた心』に、果たして自分がふさわしいのかと、

鏡に映る姿を見ながら、しばらく考え続けた。


【22-5】



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