21 寂しい背中

21 寂しい背中


蓮のお父さんと初めて会ったのは、小さいけれどよく手入れされた庭を持つ、静かな店だった。

どこか現実の世界から少し外れた空気が流れ、

お父さんは、18年前のあの日をゆっくり振り返る。


幸さんから最初に広橋家へ連絡が入ったのは、事故当日、夕方のことだった。


「節子は幸からの電話に驚き、それでも自分を気にしてくれていたことを、とても喜んだ。
自分も意地を張りすぎたから、戻ってからもう一度話し合おう。
そんな会話をして、そのときはそのまま電話を切った」


出来事のスタートは、幸さんからの電話だった。

ケンカをしたまま家を出て、合宿に入ってしまったことを後悔し、

手術へ向かうお母さんの体調を、娘として気遣ったのだろう。


「姉さんは、自分から母さんのところへ電話をしたってことなんだね」

「あぁ、そうだ。あの日は仕事が休みで、私も珍しく家にいて、
節子の様子を見ていたから鮮明に覚えている。
それから、1時間後くらいにまた幸から電話があった。
実は、幸は節子のために『お守り』を買っていて、それを手術前に渡したかったが、
渡しそびれた。だから、今から家へ持ってきたいと言い出したんだ」

「お守り? 手術のためってこと?」


蓮は、お父さんからの一言、一言を確認するように問いかけた。

幸さんが電話をしてきたその後ろに、父がいたのではないかと、私は言葉が出てくるたびに、

少しずつ辛くなる。


「幸のその言葉に、気持ちだけで十分だ。時間も遅いし、今から電車でこっちへ向かったら、
合宿所へは戻れなくなると……節子はそう言った」


ケンカをしながらも、幸さんはお母さんを思い、お守りを買っていた。

それを知った父が、やはりなんとか手渡しさせようと、思ったのではないだろうか。


「でも……その後の一言が……節子の心を動かしてしまった」

「一言?」

「電車では行かない。この話を聞いてくれた園田先生が車に乗せてくれると言っている。
幸は、うれしそうにそう語ったと……」

「園田先生が?」

「あぁ。それまでこっちへ来るなと言っていた節子は、園田先生の名前を出されて、
気持ちが乱れてしまった。自分を思って電話をくれたんじゃないのか、
先生がそういったから、いや、先生と一緒に来たいから、
そんなことを言い出したんじゃないのかって……」


蓮のお母さんが希望している、『コンクール』へ道。

それとは反対の意見になる、子供たちと楽しむ音楽を幸さんに語る父のことを、

うとましく思っていた事実を知り、わかってはいたものの、私は思わず目を閉じる。

家へ戻るように支持をしたのも父だったのかと、さらに気持ちが重くなった。


「待ってる……」

「……」

「待っているからって……節子はそう言ったんだ。その言葉が耳に入った私は、
節子が受話器を置いた後すぐに聞いた。合宿中に抜け出すなんてことは
してはいけないはずなのに、どうしてそんなことを言ったのかって」

「それで?」

「それは節子もわかっていたんだ。もしこのことが学校にバレたとしたら、
処罰を受けるのは、期待されている生徒の幸ではなく、指導する立場にあった
園田先生じゃないのかと、節子の心の中で一瞬だけ……」


お父さんはそこで言葉を止めた。私が下を向いていた顔をあげ、

ちゃんと真実を知ろうと前を見ると、申し訳なさそうな視線が、一瞬、重なった。


「憎しみの感情が……勝ってしまった」


この出来事から、幸さんのそばにいる父が、消えてくれることを願ったお母さんの後押しで、

二人は誰に告げることなく、合宿所を抜け出した。結局、父と幸さんが乗った車は、

対向車線のトラックの無謀な運転により、谷底へ転落したのだが、

蓮のお母さんはその事実を知り、自分の言葉が原因なのだと、取り乱し大騒ぎになった。


「葬式を終えても、節子は幸の部屋から出てくることがなく、このまま自らを責め続けて、
それこそ命を落とすのではないかと思うくらいだった。その時、蓮は夏休みだったから、
田舎の祖母のところへ行かせたが、3日くらい経って、幸の日記を手に持ち、
部屋から出てきた節子は、『幸は、園田先生と一緒にいたかったから、
こっちへ来ようとしたのだ……』そう言い出した」


突然の事故により、強いショックを受けた蓮のお母さんは、自らをかばうために、

その想いを、亡くなった父にぶつけ始めた。


「現場の検証などが全て終わり、警察からは事故だとうちに報告があった。
でも、その事故という事実は、園田先生に罪はないのだと周りが認めたことになり、
節子には辛いことだった。罪があるのは、『待っている』と言ってしまった
自分だけなのだと、そう強く思うようになって、その気持ちから逃れるために、
『あれは園田先生が娘を連れ出した』。そう言ってしまった……」


連れ出したと言うと強引に聞こえるが、確かにあの日、

幸さんに、家へ一度戻るように勧めたのは、父だったのだろう。

雪岡先生や母から聞いている父の性格を思うと、娘である私でさえ、そう考える。


「それを聞きつけ、うちへやってきたどこかのマスコミが、
『二人は教師と生徒ではなく不倫だったのか?』と、そう、節子に聞いた。
興味本位の取材に、インターフォン越しに応対した節子は、
いい加減にしてほしいと言い続けたが、当時、勝手に書かれた記事には、
名前は載らなかったものの、母親が娘の不倫相手に、怒りをぶつけたなどと、
いいように書かれたものだった。おそらく、園田家の方にも、
心無いマスコミが向かったんじゃないですか?」

「幼かったので、その辺はわかりません。でも、いろいろと言われたから、
苗字を園田から垣内に戻すことになったのだとは、姉から聞きました」


「そうですか……。事故が事実だとしても、興味本位に書かれた記事の方が、注目されて、
一人歩きをしてしまったんですね。でも、節子はその記事が出たことで、
親戚をはじめとした周りの人間が、あえて、幸のことを語らなくなったことに、
ほっとするようになってしまって……。自分がこっちへ呼んだ事実、
しかも、園田先生が処罰されればいいなどと、考えてしまったことも、
思い出したくなかったのでしょう。幸を思い、うちへ向かおうとしてくれていた園田先生に、
罪をなすりつけてしまっていると、私自身も思いましたが、幸のこと、節子のこと、
仕事のことと、心労が重なってしまって、正しい方向へ気持ちを向けていく、
余裕が持てませんでした。園田家の人たちに会うことなど、もう、二度とないのだろうと……。
その思いに、甘えてしまったんです。だから、『不倫』なんてことが空虚になっても、
蓮だけにはずっと、そう言い続けてきた」


最初は話の先を知ろうと、言葉を挟んでいた蓮から、いつの間にか、何一つ聞こえなくなった。

私が隣を向くと、下を向いたまま、黙っている蓮がいて、切なそうな表情だけが、

事実を受け止める。


「お前に……嫌われたくない……。節子は、ただそれだけを考えてたんだ、蓮。
幸を失って、たった一人、自分のそばにいるお前にとってだけは、
いい母親でありたかった……。自分の言葉が、幸を追い込んだと思っている節子は、
あの子の亡くなった原因は自分じゃないのだと、ついそう言い続けて……」


ガタン……とテーブルに膝をぶつけたまま、立ち上がった蓮は、

何も言わずに部屋を出て行ってしまった。

今まで、常に冷静に、真実を追いかけてきた蓮の咄嗟の行動に、

私はすぐに追いかけようと、慌てて立ち上がる。


「垣内さん」

「はい……」

「18年もご迷惑をかけ続けて、本当に申し訳なかった。蓮とは、これで別れてやってください。
あなたは聞きたくなかった事実でしょう。本当に情けない親の話でみっともないのですが、
でも、ここまで事実を語らなければ、あの子もあなたを諦められなかったと思います。
どうか、もう……」

「……あの」

「私たちは、二度と縁を持ってはいけない者同士なんです。私たちがあなたを認めても、
園田先生のご家族に、今更、お会いできるような立場じゃありません。
たとえ事情はどうであれ、罪をなすり続けてきたことに、間違いはないのですから」


私はそう言ったお父さんの言葉を、振り切るように部屋を出た。

父を憎み、追い込もうとした蓮のお母さんの行動を、確かに娘として聞いているのは辛かったが、

事実をひとつずつ整理していけば、それをただ、間違っているとは、言い切れなかった。



『私は彼が好き。私は蓮を嫌いになんてなれない』



私がそう叫んだ時、母はとても辛そうな顔をした。

それだって、娘には誰よりも幸せな恋愛をし、結婚をして欲しいという、親の想いだ。

妻子のいる父に、気持ちを揺らす幸さんを心配し、父を遠ざけようとした母心を、

私は否定できない。それよりも辛いのは、結果的に、自分の親が、

罪を父になすりつけたことを知った蓮なのだ。


「蓮!」


店を飛び出し道路の方を見ても、蓮らしき人影は見えなかった。

どこかへ走って行ってしまったのだろうかと思いながら、

玉砂利の玄関から右へ続く石の上を歩くと、裏庭へ出られる細い道があった。

ゆっくりと音を立てて歩き、進んでいくと、蓮が、竹で出来た小さな柵のそばに

立っているのが見えた。


後ろから近づく、私の気配に気づくだろうに、こちらを向こうとしない蓮の気持ちを思うと、

どうしようもなく辛い。


「蓮……」


どんなに辛い感情が心の中にあったとしても、私の前では、蓮は必ず笑ってくれた。

私の辛い気持ちに気づくと、わざとごまかすように笑顔を見せ、

自分がいるのだから大丈夫だと、抱きしめてくれた。


「蓮……」


名前を呼んでも振り向いてくれない、寂しいその背中に、

どうしたら蓮の心を、少しでも暖めてやることが出来るのだろうかと想いながら、

私はただ、寄り添うことしか出来なかった。





22 私に出来ること へ……




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コメント

非公開コメント

“頼れる背中”に戻るかなぁ

こんにちは!!e-441

蓮君、薄々は気付いていただろうけど
実際、お父さんから話を聞き進むにつれて、衝撃はすごかっただろうな・・・

今、蓮君の気持はどうなってるんだろう
荒れ狂ってるのは確かだよね

蓮君のお父さんが言ったように
一緒にいられないと思ってるのか…
敦子さんと同じ気持ちなのか…

これも簡単に登れそうな山じゃないみたい。

両家の話し合いが必要?かも
お互いに顔合わせたくないだろうなぁ。
けど、それもまた親たちの都合で・・・

求めあい、惹かれあってる2人の幸せを考えたら
やっぱり、その事は清算しなくちゃね。

申し訳なくって、心が折れちゃった?蓮君。
そんなことはないと信じたいです。

切ない! 

気になる、続き…。


      では、また・・・e-463      

親子だから・・・

結果的に自分を守ろうとした行為を責められない蓮。
でもそのせいで敦子の家族を苦しめてしまったことも又事実で・・・

縁を持てない二家族。
父の言葉は辛いな。

蓮はきっと何かを考えてる。
いつもそうであるように・・

母の心

yokanさん、こんばんは!

>お母さんに気持ちもわからないではないけれど、
 でも罪を他人のせいにするのはダメだよね。

ねぇ、自分の身を守ろうとしてしまった気持ちも、
理解できなくはないけれど、それでも、
蓮は信じてきたわけだから……

さて、全てを知った二人です。
これからどう乗り越えていくのかは、
もう少しお付き合いお願いします。

蓮の心

mamanさん、こんばんは!

>今、蓮君の気持はどうなってるんだろう
 荒れ狂ってるのは確かだよね

わかっていたけれど、事実は重かった。
敦子に対しての申し訳なさと、
両親に対しての怒りや情けなさや、
それでもそうせざるをえなかったむなしさとか、
おそらくあれこれ、荒れているでしょう。

>両家の話し合いが必要?かも
 お互いに顔合わせたくないだろうなぁ。

話し合いが必要なんですけど、
二人がそのままぶつかるのか、助け船が出てくるのか……
もう少しお付き合いくださいね。

助け船は?

yonyonさん、こんばんは!

>結果的に自分を守ろうとした行為を責められない蓮。
 でもそのせいで敦子の家族を苦しめてしまったことも
 又事実で・・・

事実を知りたかったけれど、知ったことは重かった。
蓮は敦子への気持ちと、両親への想いで、
気持ちを乱しているところでしょう。

さて、二人はどう前へ進むのか、
誰か助けてくれる人は出てくるのか……
続きを……って、きっと、来てくれているはず(笑)