26 君の香り 【26-1】

温の誕生日から参観日が過ぎ、季節がどんどん夏らしくなる中、

栃木から藍子が東京に戻ってきた。

壮太郎は、仕事から戻ると用意された夕飯を食べ始める。


「親父、一人で平気か」

「大丈夫よ。出てくる前にも特訓したし、怪我のことで予定が狂ったでしょう。
自分の責任だという思いもあるから、早く行け、早く行けって……」


藍子は『あっちでもこっちでも邪魔扱いされて』とぼやき出す。


「邪魔扱い? どこでだよ」


壮太郎は茶碗からご飯をすくうと、口に入れる。


「壮太郎だって思っているでしょう。あぁ、お袋来たから、彼女とは会えないなって」


藍子のぼやきに、壮太郎は味噌汁を飲み、『何を言っているんだ』と言い返す。


「いえいえ、わかっていますわよ。留美にも言われたもの。
お母さん、こうなったのなら、東京はしばらく放っておけばって……」

「は? 留美に何を言った」


壮太郎はテレビを見ている温を見た後、『温にもまだ話していないんだから』と、

小さな声で言う。


「わかってますよ。留美には壮太郎がちょっと前向きになっていると言っただけ。
あの子だって気にしているし……あ、そうそう」


藍子は持ってきたバッグの中から、1枚のちらしを取りだした。

壮太郎は煮魚を箸で切り、そのちらしを見る。



『夏休み、思い出キャンプ』



「これ、お父さんが章斗と温を連れて行きたいって」

「キャンプ……」


藍子が出したのは、栃木にあるキャンプ場で、2泊3日の日程を組み、

親子キャンプを行うというものだった。


「ほら、章斗もさ、お父さんがホテル関係だから、夏休みは忙しくて、
どこにも行かないっていうでしょう。
それに、なんだか中学の私立受験も考えているみたいで、
来年以降は塾じゃないかって言うから、お父さんがそれなら温も一緒に3人でって」


藍子は1週間くらい栃木で孫2人を預かり、

その間に連れて行こうと思っている話をしてくれる。


「へぇ……」


壮太郎はちらしを見ながら、テレビの前にいる温を見た。

さやかと暮らしていた頃の温は、自分と親との関係ばかりを重要視していたが、

去年、そして今年と過ごしながら、

壮太郎も、温が子供なりに世界を広げていると思っていた。

留美の息子、章斗は温よりも少し年上で、今年3年生のため、

一緒に参加したら楽しいかもしれないなと考え出す。


「そうか、章斗君が行くなら……でも、親父足は」

「足はもう平気よ。お父さん、そのために毎日散歩を日課にしているの。
ずっと定年になってから、運動なんてしてこなかったから、で、骨折でしょう。
医者にも言われたって、歩かないとダメですよって……。ねぇ、温、
ちょっとこっちにおいで」


藍子は温を呼び、キャンプの紙を見せた。


「ねぇ、温。夏休みになったら、栃木のおじいちゃんと章斗と3人で、
こういうキャンプに参加してみない?」


藍子はそう温に声をかける。


「キャンプ? キャンプって何?」

「外でテントを張って寝たり、バーベキューをしたり、楽しいぞ」


壮太郎はチラシに書いてある通り、ログハウスに泊まることも説明する。


「章斗君行くの?」


温は、藍子を見る。


「うん……行くって、温も行くでしょう」

「うん、僕も行く!」


温はそういうと、嬉しそうに『ヤッター』と飛び跳ねる。


「大丈夫か、温。パパは行かないぞ」

「平気だよ、おじいちゃんと章斗君が行くから」

「そうだよね……温は大丈夫だよね。おばあちゃんちにだってお泊まり出来るよね」

「うん」


温はそういうと、ちらしをテーブルに置く。

藍子は『ならおじいちゃんに申し込んでもらおう』と話し、

壮太郎にお茶を入れようとする。

温はまたテレビの前に戻り、番組に集中し始める。


「私が温を連れて帰るから、あんたも少しゆっくりしなさい」


藍子はそういうと、湯飲みを壮太郎の前に置く。


「ありがとうございます」


壮太郎はそういうと、温に『そろそろ寝なさい』と声をかけた。





「夏休みに……」

「あぁ、キャンプだって。まぁ、1泊目がキャンプでテント張って、
もう1泊はログハウスだけどね」


藍子が栃木から来てくれたため、壮太郎はまた仕事の帰りに、

心の部屋へ立ち寄り話をすることが増えた。


「この前の、ほら、マット運動の史弥君? あの話じゃないけれど、
保育園も年長くらいになると、自分は何を習っているとか、どこに行ったとか、
話す友達が多いみたいで。温も近頃よく、『水族館に行きたい』とか、
『動物園に行きたい』とか口にするよ」

「それはそうよね。自分で認識出来るようになっているし……」


幼い頃には、親が決めてどこかに連れて行くが、本人はほぼ受け入れているだけなので、

それほど意思はない。しかし、今の温はしっかり考え、

どこに行きたいと壮太郎に要求していた。


「葛西だったかな、マグロが泳ぐ。日曜にそこに連れて行くよ」

「……うん」


心は壮太郎の話を聞きながら、あらためて不動産の店に勤めている自分の休みと、

壮太郎や温の休みが重ならないことに気づかされた。

本来なら、一緒に出かけたいと思うが、日曜日は内見したいというお客様も多いし、

長谷川や千紘が打ち合わせに出て行くこともあるため、店番も必要になる。


「何にも考えていなかったな」

「ん?」


壮太郎は心が途中まで進めているパズル雑誌をめくりながら、『何を』と聞き返す。


「仕事。『有森不動産』に入ろうとした時には、自分のこんな未来なんて
全然想像していなかった……。仕事はしないと食べていかれないからするけれど、
このまま毎日、自分なりの時間を過ごしていくとしか、考えていなかったから。
土曜や日曜が休みでなくても関係ないと思っていたし」


心は、藍子が来ている今、温との距離は離れたままになるため、

どこか寂しさを感じてしまう。


「私も、温君と一緒に出かけられたら……」


心は水族館に出かけようとする壮太郎や、

キャンプに出かけようとする卓を羨ましく思ってしまう。


「そんなに焦らなくていいよ。一緒に出かけることが全てじゃない。
温にはちゃんと伝わっているから。食事の支度や買い物でも、
距離はちゃんと近づいている」


壮太郎の言葉に、心は『そうだよね』とつぶやき、笑顔を見せようとする。


「温が向こうに行っている時は……二人で一緒にいようよ」


壮太郎の言葉に、心は『エ……』と聞き返す。


「そういう時間も……必要だと思う」


壮太郎の言葉に、心は素直に頷いていく。

温とは別の意味で、夏休みを待ち遠しく思う二人だった。


【26-2】



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