26 君の香り 【26-3】

『今度は心さんも……』



その日の仕事が終わり、心は駅の前を通る。

改札口からは、どこかに行っていたのか、親子連れが出てきて、

父親は『今日は何か食べて帰ろうか』と隣に立つ母親に話している。

子供の手には有名な遊園地の袋が握られていて、

表情を見るだけで楽しかったというのがわかった。

壮太郎と出かけ、祖母の藍子も着いていったのだから、

温は満足しているはずだと思うのだが、そこに参加できない寂しさが、

心の気持ちに覆い被さる。

誰もいない静かな『くれよん保育園』の前を通りながら、

心は一人、曇りがちな気持ちと戦っていた。





夏休みが始まり、卓が計画したキャンプのために、

温が藍子と栃木に戻ることになった。いつものように章斗と温は楽しそうに遊び、

壮太郎の前には、妹の留美が座る。


「悪いな、向こうまで送ってもらって」

「いえいえ、こちらこそ助かります。章斗がキャンプに行くなんて、
まさか言うと思わなかったから」


留美はリビングで麦茶を飲みながら、温とミニカーで遊ぶ章斗を見る。


「章斗さぁ……全然自己主張がないのよ。で、どっちかというと、
部屋でゲームしたりするのが好きで」

「うん」

「外で遊ぶこともあんまりないから、気になっていたの。
地域で野球チームがあるよって言っても、『いい』って言うし。
でも、お父さんがキャンプのことを言い出して、で、
温が参加するって言ったら『行く、行く』って」

「そうか」

「そうよ。男の子らしく、真っ黒になって欲しいでしょう。山形の母は、
章斗を私立に行かせようと思っているみたいだから。来年くらいからはまた勉強で、
外に出なくなるし」

「章斗君、私立中学受験するのか」

「うーん……私はどっちでもいいと思っていたの。でも、まぁ……」


留美は、『まぁ、一人っ子だからね』とつぶやいていく。


「もう一人って、言わないのか。敏治さん」

「まぁ、言うには言うけど、なんだろう。私が面倒になったというか……」

「は?」

「子育てってね、慌ただしいけれど、ある程度年齢をくっつけて、一気の方がいいわ。
あぁ、あれをもう一度か……と思うと、なんとなく?」


留美はそういうと麦茶を飲んだ。

二人の会話を聞いていた藍子は、『昔からあんたは面倒くさがりだよね』と笑う。


「お兄ちゃんも、次の奥さんと子供を持とうと思うのなら、
温とあまり離れない方がいいわよ」


留美は『私と同じ年だってね』と壮太郎を見る。


「いいから、お前は黙ってろ」

「……うわぁ……何その態度」


留美はそう言って笑うと、携帯で時間を確認する。


「よし、そろそろ出ようか」

「そうだね、暗くならないうちに……」


藍子は、それぞれが飲んでいた麦茶のコップを流しに入れる。


「章斗、温君、そろそろ行くよ」


留美の声に、章斗は『わかった』と声を出し、温に片付けようと言い始める。

温も兄のような章斗に言われ、『うん』と頷くと、ミニカーを箱に入れだした。



「パパ、行ってきます」


温は後部座席に章斗と座り、嬉しそうに手を振り始める。


「うん。おじいちゃんやおばあちゃんの言うことをちゃんと聞くんだぞ」

「うん」


留美が運転席に座り、少しバックミラーを動かした。

藍子が助手席に座り、シートベルトをする。


「章斗君、温のことよろしく」

「うん……僕、一緒に遊ぶよ」

「うん……。留美、頼むな」

「了解」

「お袋……親父によろしく」

「わかってます」


車は窓を閉め、エンジン音が響き出す。

見送る壮太郎だけを残し、留美の運転する車は、栃木に向かって出発した。





その頃、その日が土曜日の出勤日になる心は、とある家族を車に乗せ、

3LDKのマンションの内見に向かっていた。


「先ほどお話しした小学校は、今右に見えるところになります」

「あぁ……ここね」

「はい。各学年3クラスずつで、校庭も結構広いようですよ」


後部座席の男の子は、ずっと漫画を見ていて、助手席の父親と、後部座席の母親が、

それぞれ何かを話し始める。


「スーパーは……」

「コンビニはマンションのそばにありますけれど、買い物は駅前になりますね。
どちらかというと住宅街なので、お店は……駅まで」

「そうですか」


心は信号が赤のため、左に曲がるというウインカーを出し、ブレーキをかける。


「健太君、今のが小学校だって、見たかい?」


助手席の男性の言葉に、後部座席の男の子は黙ったままになる。


「健太……聞かれたことに答えなさい」


子供の隣に座った母親はそう子供に声をかけるが、子供は軽く後ろを振り返り、

『うん』という、『一応見ました』というような、力のない返事を戻した。





「この302ですね」

「あら……白なのね、明るいかも」

「うん」


今回は『安西不動産』の物件のため、心は鍵の場所の暗証番号を聞き、

それを使って中に入った。昨年建てられ、最初の借主が出て行った後なので、

案内自体が初めてになる。

空きは今のところこの部屋だけだが、全体の雰囲気を見ておいて損は無いため、

紹介しながらも、戸棚や水回りなども開け、心自身が知識を得ようとしていた。


「健太、ここならあなたの部屋が出来るわよ」


母親は子供にそう声をかけ、扉の一つを開けた。

そこは他の2部屋に比べて小さめだが、窓もあるため、それほど暗い感じはしない。


「こっちの方がいいよ」

「そうね」


大人達の会話を聞きながら、心はこの二人が自分たちの境遇に似ていることに気づく。

子供を連れているのは母親だが、二人は再婚を考えていて、

互いに住んでいる場所を引き払い、一つの部屋を借りようとしていた。

男の子の年齢は小学校の4年生くらいなのか、温よりは大きいことがわかる。


「健太君……どうかな」


心は、父親になる男性に声をかけられ、男の子が何を言うだろうかと思いながら見た。

男の子は読んでいた漫画を閉じると、トイレやお風呂の扉を開けていく。


「健太君、このお風呂、泡が出るんだよ」

「エ……」

「ジャグジーなの」


心は健太君に、浴槽の大きな丸を教え、ここから泡がいきおいよく飛び出し、

マッサージのようなことが出来ると教えた。


【26-4】



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