29 僕のママ ① 【29-2】

「さようなら……」

「さようなら」


土曜日、くれよん保育園では親たちが迎えに来る時間が来て、

温も節子が来るのを待ちながら、友達の『陽介君』とふざけ合っていた。


「とぉ!」

「やぁ……」


互いにヒーロー気分でポーズを取っていると、先に陽介君の母親が迎えに来る。


「あ、ママだ」


ヒーローから急に園児に戻った陽介君は、走ってその姿のそばに向かう。

温は知っているおばちゃんが来たと思ったため、

今、こうして遊んでいたのだと言おうと、一緒に母親のところに向かった。


「よう君のママ」

「温君、こんばんは」

「こんばんは」


温が、今何をしていたのか言おうとすると、先に陽介君の母親が口を開く。


「ねぇ、温君。『温君の新しいママ』さ……今日、お迎えに来る?」

「ん?」

「あ……えっと、ほら、よくお迎えに来る……」


陽介君のママは、心の姿を見かけたことがあったので、

このあたりの祖父母が参加する、手話の講習会に出てみる気持ちはないかと聞くため、

温に尋ねていた。


「新しい……ママ?」


温は『頭の中に浮かんだこともない言葉』が出てきたことに驚き、

ただ、自分で繰り返した。





「温……」

「うん……」


陽介君が帰ってから15分後、温のお迎えに来たのは壮太郎だった。

ユキ先生に挨拶をし、『明日の運動会会場は、近所の小学校になること』を確認する。


「プログラムは……」

「はい、いただいています」


壮太郎はユキ先生と話しながら、用意をする温を見た。

いつもなら、保育園の時間がどんなものだったのかなど、

走って話しに来るのだが、今日はどこかおとなしく見える。

そういえば、心から一緒に育ってきた花音ちゃんが引っ越すことを聞いていたため、

それが近づいてきたことに、寂しさもあるのかもしれないと考えた。


「温君、明日は運動会、頑張ろうね」

「うん、さようなら」

「さようなら」


壮太郎は温の手を握り、くれよん保育園を出る。

温は壮太郎を見た後、すぐに前を向いた。


「明日、晴れだって……よかったな、温」

「うん」


壮太郎はすぐに横を向いた。

温の返事は『うん』と晴れを喜ぶものだが、態度や声は、あまり嬉しさを感じられない。


「何かあったのか保育園で……」

「ねぇ、パパ」

「何?」

「明日……ママ、来る?」


温はそういうと、壮太郎を見た。

『ママ』という言葉に、壮太郎は軽く首を振る。


「明日は……ママは来ないよ」


温の6歳の誕生日を迎える前、壮太郎はさやかと会い、

距離を置くことを約束してもらったため、今回、運動会の話も連絡をしなかった。

さやかも理解してくれていて、『いつなのか』という問いも入っていない。

イベントが近くなると、そういう話が出るかもしれないと思っていたが、

心のことをさやかに置き換えるような雰囲気を温が見せていたため、

なにげなく変わっていくのではないかと思っていた壮太郎の気持ちに、

『それは大人の都合』という言葉が、ドンと落ちてくる。


「温……」

「何?」

「ママはさ、これからは温のことを、遠くで見てくれる約束をしたんだ」


壮太郎は、温の目を見ながら話す。


「遠く?」

「うん」


温はしばらく黙っていたが、『ふーん』と声に出す。


「ママの新しいおうちは、別のところにあるから。
そう何度も温のところには来られなくなった。だから……」

「新しいママって……どういうこと?」


温はそういうと、壮太郎を見る。


「心さんが、僕の新しいママなの?」


温の訴えかけるような台詞に、壮太郎は『そうだよ』という一言が押し出せなかった。

迷いが無言の時間を作り、温はバッグを開けると1枚の紙を出す。


「これ、よう君のママがくれたの。新しいママに渡してって……」


壮太郎は温の手から用紙を取り、

それが母親達のサークルに誘う手紙であることに気づいた。

確かに、他の親たちからすると、毎日のように温を迎えに行く心のことを

『新しいママ』と表現するのが普通で、それを余計なことだと責められない。


「温は……嫌かな、心さんがママになってくれるのは」


もっと時と場所を選んで、しっかりと話したいと思っていたが、

こういう時に逃げていては、逆効果だと思い壮太郎は思いきって前に出た。

以前、藍子が『新しいママ』という台詞を持ち出したときには、

温が地団駄を踏み怒りだしたが、あれから時間が経過し、心との時間も増えているため、

気持ちも変わっているだろうと考える。


「僕……」


温はそれだけを言うと、何も言わずに首を振った。

否定でも肯定でもない反応に、壮太郎は次の一手が出ていかない。

『親にも幸せになる権利がある』と考えるものの、温に認められないことは、

心の幸せにならないこともわかっている。


「明日は、おじいちゃんとおばあちゃんと、パパと……心さんが見に行くよ」


壮太郎の声に、温は『うん』と頷き、マンションへの坂道を登りだした。





「そう」

「うん」


温が眠ってから、壮太郎は卓と藍子に話し、心の部屋を訪ねた。

保育園の帰り道に話したことを、そのまま伝えていく。


「確かに、毎日迎えに来ているわけだから、
新しいお母さんだと表現されるのも当然だよな」


壮太郎の言葉に、心も頷いた。

自分と先生、自分と温。その関係を築くことだけしか頭になかったため、

他の父兄にまで気持ちが向かなかった。

心は、温が持ってきた『手話会のお誘い』という用紙を見る。


「温君……どう?」

「前のように怒りはしなかった。ママは来るのかって聞くから、来ないって言って。
その理由に対しても、不満を言わなかったし……」

「うん」

「気持ちはもう認めていると思う。一緒に生活をして、
そばにいてくれるのが母親なわけだから。でも、頭が着いていかない」


壮太郎は、『タイミングがな……』とベッドに寄りかかりながら天井を見た。


【29-3】



コメント、拍手、ランクポチなど、みなさんの参加をお待ちしてます。 (。-_-)ノ☆・゚::゚ヨロシク♪

コメント

非公開コメント