1 ふつふつの私 【1-3】



「さて、まずは買い物に行きますか」


そんなこんなで、30になる少し前、『初めての一人暮らし』がスタートした。

靴を履き、外に出て一度大きく背伸びをする。

電線に止まるスズメ。花壇の上を歩くカラス。

小学生だろうか、歩道を20人くらいが2列になって先生と進んでいく。


「こんにちは……」

「こんにちは」


元気な声で挨拶をされたので、私も返す。

先生は『ありがとうございます』と笑顔。

知らない道だからかな、歩いてくると駅まで結構ある気がする。

スーパーがあって、ドラッグストアがあって……駐輪場は、どこにあるだろう。



そんなことをあれこれ考えながら買い物をして、

またゆっくり景色を見ながら、部屋に戻った。





『アハハ……』



一人暮らし、初めての夜。

テレビの音はあるけれど、ふと気づくとシーンと静まりかえっていて、

限られた音の中で、本当に一人だなと実感する。

これが実家ならソファーの隣に父がいて、

『結花、このタレントは誰だ』なんて聞いてきたり、

いや、たとえ自分の部屋にいても、朋花の歩く音、母のハミングの声、

自然と耳に入っていたのに。

私は、膝の上にブランケットを乗せる。別に寒いわけではないけれど、

その柔らかい重みが、とにかく落ち着けた。



高校受験の時、暗記しないとならない資料がなかなか頭に入らなくて、

集中出来るかもという思いから、ベッドの毛布を取り頭からかぶってみた。

毛布が身体に触れていることが、少しだけ閉ざされた場所にいるということが、

どこか落ち着く気がして。

年末の大掃除中、親戚の誰かからもらったブランケットを見つけた私は、

それを自分の部屋に持ち込み、そこからは『雪ん子』のように包まれてみたり、

膝にかけてみたり……



じんわりと温かい空気が、私を包む。

一人だけれど、一人っきりではないよと言われたようで、少しだけホッとした。

そう、決まった以上、これから『頑張ろう』と、素直に思うことが出来た。





引っ越ししてから2日後。

『バーズ』の選手達が働く、千葉にある小物家電の工場へ向かう。

野球やサッカーの選手とは違い、バレーボールの選手達はほとんどが一般社員同様、

普通の仕事もこなしている。

その選手達を支える広報の仕事は、本社ビルとこちらと両方に存在するらしい。

新しい『バーズ』の担当は全部で4名だと聞いている。

とりあえず顔合わせをして、仕事をわけるのだろうが、

その人数なら、仕事に素人なのはおそらく私だけだろう。


「ここ?」


小さな小屋、事務所らしき建物。

私は、初めて扉を叩く。


「はい」


中から返事があったので、ガラガラと横に扉を開くと、年齢は50代だろうか、

白髪混じりの男性社員が立ち上がってくれた。


「どうも」

「今日からお世話になります。石橋です」

「はい、待ってましたよ、松尾です」



『松尾修平』さん。

3年前、野球部担当から、千葉のバレー部へ担当が変わった。

広報担当4名のリーダーが、彼。


「石橋結花です」

「営業にいたそうだね」

「はい」

「だとすると、驚いたでしょう、今度の異動」

「そうですね、正直」


よかった、松尾さん話しやすそうな人だ。


「今度、『バーズジュニア』が出来ることになっただろう。
だから、広報担当者を増やすらしくてね」


『バーズジュニア』とは、サッカー部の『バーズ』と同じユニフォームを着る、

小学生チームのこと。将来を有望視される子供達は、

こういった地域のチームにあるジュニアに所属し、有名高校を目指したり、

中にはそのまま海外へ向かうこともあった。

今は他チームも全てこういうジュニアチームを持っているため、

『ブル』もその波に乗るのは、当然と言えば当然。


「相手が子供だし、親も絡むからね、サッカー部もてこ入れがあって」

「はい」


松尾さんの話を聞きながら、あらためて部屋の中を見る。

千葉のこの工場は、営業部勤務期間に数回訪れたことがあったが、

バレー部『バーズ』の本拠地と言っていいのか……この建物には、

足を踏み入れたことはなかった。

一応、一流企業の運動部を取り仕切るところだと思い入ったけれど、

あるのは4つの机と、戸棚と、コピー機。

それに古めのソファーとパーテーション。

後、よくわからないけれど、ダンボールがいくつかあって……


「狭さと古さに驚いた?」

「あ……はい」


いいえとは言えないくらい、驚きました。


「だよな、これじゃ寂れた山にある山小屋だよ」


松尾さんはそう言うと、豪快に笑い出した。

私は、その松尾さんがおかしくて、笑ってしまう。


「成績がよかったら、企業もお金をかけるけれど、成績がともなわないと、
当然だが予算も無くなってくる。でも、そうなれば選手を囲む環境も悪くなるから、
さらにやる気がなくなって……の悪循環、そんなの当然だよな」

「はい」

「バレーを続ける気があるのなら、弱い、ダメだと選手に文句を言う前に、
まずは企業側が真剣に取り組めと上層部に言ってやった。
なんとなくで続けるようなことをするなら、社員のためにもならないから、
いっそ解散だって」

「エ……解散?」

「そう、解散」


松尾さんは、昔、うちの野球部で選手だった。

引退し、広報に入っているから、選手の気持ちも理解出来るのだろう。


「勝負ってさ、勝負出来る気持ちがまず大事だと思うんだよ。
まぁ、大見得切って、バレー部の改革をやらせてもらおうじゃないかと
俺も行った以上、この環境から変えていくつもりだ」


松尾さんの勢いのある話を聞きながら、どんどん気持ちが重くなる。

こんな素人の私が、入ってしまっていいのだろうか。

松尾さんのやる気を、邪魔するような予感が膨らむ。


「松尾さん」

「何」

「私、広報は本当に全く素人です。今も頭が真っ白で……」



そう、真っ白だ。



「いいよ、それはそれで」


松尾さんは缶コーヒーに口をつけ、指を3本出した。


【1-4】



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