22 私に出来ること

22 私に出来ること


お父さんと話をしてから2日後、蓮はサークルのみんなと、卒論旅行へ出かけた。

私は、この話し合いを心配してくれていた菊川先生に連絡を取り、

お父さんから聞いた事実を、全て隠さずに告げる。


「そうだったの……稔さんと会うって言っていたから、どうしたのかなと思ってたのよ」

「お母さんが父のことを、嫌っていた事実は、確かに辛いものがありますけど、
でも、娘を思う母の気持ちとしては……理解できるんです。
妻子のいる男性を好きになるなんて、許せないと思っただろうし、
その父と出かけることを嬉しそうに語られて、気持ちが乱れたことも、
私には責めようがなくて……」

「うん……、節子も悩んでいたからね。ずっとピアノに打ち込んできて、恋愛らしい恋愛を、
幸がしてこなかったから。余計に、園田先生に対して、気持ちを寄せていくのが
怖かったんだと思う」

「あの……先生」

「何?」

「蓮が、心配なんです。携帯に連絡を取るんですけど、戻ってこなくて……
ちゃんと話し合いをする前に、旅行へ行ってしまって。何か連絡がありましたか?」

「ううん、あの子からは何もないわ。わかってはいただろうにね。
節子が何かを隠しているんじゃないかって言ったときから、
蓮は、こんなことになるって思っていたはずなのに。でも、現実は重かった……。
ねぇ、垣内さんの気持ちは? 今、どこにあるの?」

「エ……」

「稔さんが言うように、蓮とは別れたほうがいいかもしれないって……
心のどこかに感じてない?」

「先生……」


普段と変わらない顔をしているはずなのに、私の気持ちはすっかり見抜かれている。

別れようと決めたわけではないが、このままでいいのだろうかと、

悩みながら揺れる気持ちがあるのは確かなことだった。


「蓮は、そこを心配しているんじゃないかな。この事実を知ったあなたが、
自分から離れていくんじゃないかって」


菊川先生は、積み重なっていた料理器具をきちんと揃え、その上にふきんをかける。

私はその次の言葉を待ちながら、先生の作業を目で追いかけた。


「難しい選択だけど、傷ついた今の蓮を支えられるのは、やっぱり垣内さん、
あなたしかいない気がする。蓮とこれからも付き合っていこうと思うのなら、
『待っているからね』って、それだけ教えてやって。きっと伝わるわよ」

「……はい」


蓮もどこかの空の下で、私たちのこれからを、考えているのだろうか。

鳴らない電話を見つめ、私は一人悩んだままの蓮のことを思い、菊川先生の言うとおり、

『待っているから』と、メールを送った。





それから3日後、私は仕事先の『松井水道』で驚く記事を読んだ。

それは蓮が就職を決めた、飲料メーカー『ふたば』の賞味期限改ざん疑惑の記事で、

同じく驚いた社長がテレビをつけると、本社の前はマスコミに取り囲まれ、

大騒ぎになっていた。


「あらら……老舗が大変なことだよ」

「そうだな……。社内の内部告発だって、新聞には出ているけれど、どうなんだか」


内定をもらった蓮の就職は、どうなるのだろうか。そんな想いを引きずったまま、

仕事を終えた私の電話にかけてきたのは、雪岡教授だった。

すぐに学校へ来られないか言われ、『ふたば』のことかとたずねたら、

受話器越しに聞こえた声は、別のものだった。


「垣内さん、お久しぶりです、滝川です」


滝川さんの声はすでに震え、涙声になっていた。一言、口にするたびに、

涙の割合が多くなるようで、これからどうしても私に会いたいのだという、

彼女の気持ちに応えた雪岡教授が、私に電話をよこしたようだった。


この何日か、サークル活動で、蓮と一緒だった滝川さんの涙が、私の不安を膨らませる。

滝川さんは蓮の何を見てきたのだろう。





「すみません、いきなり呼びつけて」

「いえ……」


電話をかけてきたときよりも、落ち着いている彼女は、相当泣いたのか、目が腫れていた。

この合宿中に、蓮がほとんどみんなと口を聞くことなく、一人だったことが気になり、

今日の記事を見て、慌てて私に連絡をしたのだと言い出した。


土曜日、しかも夜の大学は、普段より人の出入りも少なく、静かな空気の中、

時折、人の足音が聞こえる程度だ。


「蓮に……『クレア』の入社試験があることを伝えてもらえませんか?」

「『クレア』って、あの?」

「はい、芝波の系列会社なんです。ちょうど中途採用の試験があって、
先の見えないような『ふたば』よりも、安定しているんじゃないかって……」

「滝川さん」

「蓮は、旅行でも、ほとんどみんなと行動をしてませんでした。
一人でずっと部屋にこもっていたり。蓮が落ち込んでいたのはこのことなんでしょ。
私からだと言ったらきっと蓮は嫌がるから。だから、垣内さんから……」

「……」

「彼の役に立ちたいんです。あんなふうに辛そうにしている顔を見ているのが……」


滝川さんは、蓮の落ち込みを、就職の問題だと勘違いしているようだった。

それが本当の理由ではないことを知っている私は、彼が悩み、苦しんでいるのだと聞き、

さらに気持ちが重くなる。


「知っていたんです。垣内さんをずっと好きだったこと。それを知っていて、
わざと意地の悪いことをしてきました。でも……あんなふうに辛そうな蓮は、
やっぱり見ていられなくて……。私は芝波に入りますけど、『クレア』とは全く関係のない
部署になります。だから、垣内さんが嫌だと思うなら、もう……」


そこまで話すと滝川さんは、また、少しだけ涙をにじませた。

こんなふうに小さく見える彼女は初めてで、感じたくもない蓮への想いが、

私の心に大きくのしかかる。


「もう、蓮にも会いませんから……だから……」


人はこれだけ変われるのだろうか。私が見ていた滝川さんは、

欲しいものはどんなことをしても手に入れる、そんな強さがあるとそう思えた。

しかし、今、蓮の将来を心配し、涙を流す姿を見ると、女性らしさの裏に、

もっと強い愛情を感じ取れる。

それとも、彼女の本質的なものに、私が気付けなかっただけなのだろうか。


滝川さんの目から流れる涙を見つめ、私は蓮に何をすべきなのだろうかと、

深く考えながら、ただ、わかりましたと返答することしか出来なかった。





滝川さんと別れ、雪岡教授の部屋をたずねると、電気はすでに消え暗くなっていた。

私達がどんな話をしたのか、気にしてくれているのではと思っていたが、その予想は外れ、

想いを語ることなく、私は一人家へ戻る。



『だから、垣内さんが嫌だと思うなら、もう……蓮にも、会いませんから……』



滝川さんにとっては、あの言葉が蓮への気持ちの表れなのだろう。

私だって、蓮のことは誰よりも気にかかる。

真実を知り、動揺を隠せないでいる蓮に対し、どうしたらいいのかわからずに、

暗い部屋の中に一人で座り込んでいると、携帯が急に音を立てた。


「もしもし……」

「敦子か。今、どこだ」

「今、家ですけど……」


電話の相手は、雪岡教授だった。知り合いの経営している居酒屋で飲んでいるのだと、

調子よく笑う。私が、滝川さんと会った後に、訪ねたのだと少し怒った口調で告げると、

急に誘い出されて仕方なかったのだと、言い返された。


「横で倒れてるのがいるぞ。無理に起こすのもなんだから、迎えに来てやってくれ」

「……誰ですか?」

「広橋だよ。あいつが急に訪ねてきて、つきあってくれとここへ来たんだ」





私はすぐに家を出て、雪岡教授が待っている店へ向かった。

そんなに広くない居酒屋の一番奥の座敷で、座布団を枕に蓮が眠っている。

お父さんと話し合ってから、もう1週間顔を見ていなかった。


「敦子、とにかく座れ」

「はい……」


先生はご贔屓にしてくれる大事なお客様なのよと笑いながら、女将さんは私に、

冷たいウーロン茶を出してくれた。先生は私を、親友の残した大事な娘なのだと説明し、

また、大きな声で笑い出す。


「先生、僕はどう見えますか! 正直に言ってください! って、
すでに酔っているのかと聞きたくなるような質問を、ここへ入るなりぶつけてきた」

「先生に……ですか?」

「あぁ。お前は何を急に言い出すんだと言い返したら、園田先生は、
こんな自分に敦子を任せてくれるだろうかと、そう……なぁ、女将」

「えぇ……。真剣な顔で、先生にそう聞いていらっしゃいましたよ」


私が菊川先生に、お父さんと3人で話し合ったことを告げたように、

蓮は雪岡教授に、同じことを話したようだった。

出された焼酎を速いペースで飲み進めた蓮は、合宿からの疲れもあり、

そこでダウンしてしまった。


「園田先生を一番知っているのは、雪岡先生だから、僕をどう思うのかが聞きたいんだ……
そう言って……」


雪岡教授の言葉を聞きながら、私はじっと座敷で眠っている蓮を見た。

あまりにも無防備な表情は、どこか幼さまで見せてくれる。


「広橋から話は聞いた。小さな誤解の積み重ねが、
18年間のいざこざを生むきっかけに、なっていたとはな。
親とケンカしている学生を、なんとかしてやろうとしたなんて、修一らしい」

「先生の話から、すぐにそう思いました。父は、幸さんとお母さんとのすれ違いを、
なんとかしようと思ったんです。そんなことをしなければ、
二人とも亡くなることはなかったのにと……思ってみたり」


父さえ幸さんを連れだそうとしなければと、言っても仕方のないことが、

頭に浮かびそして消える。


「過ぎたことは、後悔しても仕方がない。時間の無駄だぞ、敦子」

「はい……」


雪岡教授は、また、お酒をつぎ足すと、嬉しそうにのどを動かす。

気持ちを切り替えようと、私も目の前のウーロン茶を手に取った。


「滝川は、『クレア』を受験するように、言ってきたんだろ」

「はい。蓮の就職のこと、気になっているみたいです。正直、彼女があんなふうに、
言ってくるなんて思わなかったから、驚きました」

「滝川は、挫折を知らないんだろうな。思い通りにならなかったことなど、
小さい頃からなかったんじゃないか。自分を抑えてまで広橋のためになろうだなんて、
恋愛からあいつも成長したってことだ」


その言葉に、私は頷きながら、ウーロン茶に軽く口をつけた。

透明な氷がカランと音を立て、少しだけ小さくなる。


「先生……私は蓮のそばにいていいんでしょうか。滝川さんが自分を抑えてまで、
蓮のためにと涙を流した姿を見たら、辛くしている私自身が、
彼のそばにいていいのだろうかと、考えてしまって……」


雪岡先生には、心の底にある小さな想いを見せることが出来た。

蓮のためにどうしたらいいのか、悩んでいることは事実で、ウソはない。


「うーん……でもなぁ、別れたとして、広橋は幸せになれるのか? 
知らなくても済んだ事実を全て知り尽くして、それでもお前を諦めきれなくて、
俺を修一の代わりにしてまで、許しをもらおうとしたあいつを、放り出せるのか……敦子」

「……先生」


「なぁ、敦子。修一が生きていたら、きっと、私のところにやってきて……。
おい! 耕史! 敦子のつきあっている男は、お前のところの学生だって聞いたけど、
どんなヤツだ! って、言ってくるだろうなと、ここに座りながら考えてた」

「……はい」


雪岡教授の言うとおり、もし、父が生きていたら、私の相手がどんな男性なのかを心配し、

学校まで様子を見に来るか、それとも先生をこうして呼び出して、

あれこれ聞き出すのではないかと、そう思う。


「広橋は、いい男だぞ……と、言ってやって、あとから酒でもおごらせたかもしれないな」

「……先生」


雪岡教授の目の動きに合わせ、一緒に視線を向けると、

自分のことを言われているのがわかったのか、蓮はごそごそと動き出し、

顔を反対側に向けた。私の隣に眠る蓮も、ああやって必ず顔を右に向ける。


「愛子さんにぶつかりなさい。長い年月をかけてしまったことだから、
そう簡単に動くとは思えないが、それでも、お前たちが後ろ向きになる必要はない。
いいか、これ以上のマイナス材料がどこにある。最低のところから始めれば、
あとは上がるだけだ。そう考えて見ろ。それでもし……」


雪岡教授は徳利に残ったお酒を、全ておちょこに入れると、それを飲み干し、

一度大きく息を吐く。


「私の助けが必要なら、いつでも声をかけてくるといい。
修一の代わりなんて大きなことは言えないが、お前たちが真剣に互いを思っていることくらい、
愛子さんに説明してやることは出来るはずだ」

「……先生」

「亡くなった人間は、戻ってくることはないが、生きている人間は、
新しいものを生み出すことが出来る。お前たちが、両家の新しい架け橋になれたら……」


18年間の事故で、こじれてしまった関係を、元に戻すことが出来るのなら……。


「それを一番喜ぶのは、亡くなった二人じゃないかと、そう思うぞ」


お酒を飲んだわけでもないのに、私は目頭が熱くなり、ただ無言の涙を流した。

雪岡教授がそばにいてくれること、菊川先生がそばにいてくれること、

それが私と蓮の財産なのだと、そう思った。





23 新たな道へ へ……




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コメント

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雪岡教授の名言

雪岡教授の言葉に解決の勇気が~出た~o(* ̄○ ̄)~かな~と思います。

>別れたとして、広橋は幸せになれるのか? 
 知らなくても済んだ事実を全て知り尽くして・・・

今2人はどん底だよ。愛し合って気持ちが一致してるなら、もう後は上昇するしかないでしょう。

>「愛子さんにぶつかりなさい」・・・
>最低のところから始めれば、
 あとは上がるだけだ。そう考えて見ろ。」

きゃぁ~ココと同じ事考えてた雪岡教授
2人を応援する、こういう意見になるのね
多数決=2人しかいないのに・・ガッツだぜ! ヽ(~-~(・_・ )ゝ

>「亡くなった人間は、戻ってくることはないが、生きている人間は、
 新しいものを生み出すことが出来る。お前たちが、両家の新しい架け橋になれたら……」

雪岡教授の愛ある言葉そのまま母親に問いかけたいね。

やはり年の功と言うべきか、視点が座っていてぶれてないから、心にすーっと染み渡るような助言ですね
もうやるっきゃないです。蓮君 アッパー O( ` _ ' )ノノノ☆/(。-。)))ドテッ
~おぉ~母親殴ってはいけませんよ。×( ̄^  ̄ )ダメー ×( ̄-  ̄ )ダメーーーーー

あくまでも気持ち、居合いが・・・アタック&パンチじゃ~ですよ


母親も、もう一度考える時間が必要だと思います。 時間がかかるかな?
それでも、ごにゃごにゃ言う母親なら、
一度距離を置いたら~~とシビアなココです。×( ̄^  ̄ )ダメー ×( ̄-  ̄ )×ーーーーー離れっこ

母親の反応によってまた考えようね。

これから・・・

こんにちは!!e-454

敦子さん、結構揺れてたんですね。

自分の父が言いださなかったら・・・と思ったら
心乱れるよなあ。

そこへ、蓮君の就職内定先の不祥事ときた日にゃあ
不安や戸惑い、心配もなお一層・・・

滝川さんの変化にも驚きだったな。

たら・ればは言ってもしょうがない。(でも、思っちゃうんです!)
過去は変えられないもん。これからですよね。

雪岡先生と菊川先生がいてよかった。

蓮君母の凍りついた心を敦子さんと蓮君は、溶かす事が出来るのでしょうか?


     では、また・・・e-463

揺れない気持ち

滝川さん、まだ「ふたば」がどうなるのかも分からない時にちょっと先走り?蓮だって半端な気持ちで試験受けてないと思う。気持ち分からないでもないけど。

色々複雑に絡みあってしまったけれど、要は二人の気持ちしだいってこと。 お互いが揺れないで素直に向き合えば自ずと道は開ける。

子供が可愛くない親は居ないし、幸せを願う気持ちは溢れるほど持っている。

時間がかかっても構わない。まだ若いんだから!

緩衝材

ナタデココさん、こんばんは!

雪岡教授、いい味を出してますか?

このお話を進めて行くには、強い思い込みがない人達が必要だと思ったので、
雪岡教授と、菊川先生の意味は、これからますます大きくなります。

>きゃぁ~ココと同じ事考えてた雪岡教授
 2人を応援する、こういう意見になるのね

はい、最低の場所からは、上がるだけですからね。
そう言ってもらえて、敦子も気持ちが固まったと思います。

いよいよ、母親達との対決(笑)になりますが、
どんな反応を示すのか、もう少しおつきあいください。

過去より未来を

mamanさん、こんばんは!

>敦子さん、結構揺れてたんですね。
 自分の父が言いださなかったら・・・と思ったら
 心乱れるよなあ。

ですよね。互いに悪の想いはなくても、
結果的にこうしなければ……のオンパレードなわけで。

でも、蓮の酔った姿を見て、逆に想いは固まったのではないかと。

過去は変えられない……その通りです。
二人の想いが、両方の親に届くのかどうか、
もうしばらくお付き合いください。

お嬢様の勉強

yonyonさん、こんばんは!

>滝川さん、まだ「ふたば」がどうなるのかも
 分からない時にちょっと先走り?
 蓮だって半端な気持ちで試験受けてないと思う。
 気持ち分からないでもないけど。

あはは……。雪岡教授の言っている通り、
菜摘は挫折を知らないお嬢様なんでしょうね。
想いをそのまま示していかないと、気が済まない。

こんな経験で、彼女も少し大人になることでしょう。

雪岡教授、菊川先生の協力をもらい、
いよいよ親との対決へ!

もうしばらく、お付き合いくださいね。

二人の意味

yokanさん、こんばんは!

>蓮君が飲みつぶれて寝ている姿を想像して、
 ウルウルしてしまった(TT)

いやぁ……そんな姿を見せられちゃったら、
私、絶対にドキンと来ちゃいます(笑)
敦子もきっと、そう思ったはず。

このお話は、当人だけでは絶対に前へ進まないと思ったので、
冷静にことを進められる人を作りたかったんです。それが雪岡教授であり、菊川先生であり……

これからもこの二人の活躍を、見てください。

腰の方はだいぶよくなりました。仕事も再会しましたし、
でも、おっしゃる通り、油断は大敵ですので、気をつけます!