リミット 7 【山の星】

7 【山の星】


それから、2週間が流れた。


あの雨の日、手をつなぎ走ってから、咲の心の中で小さな変化が起きる。

ふと気がつくと、深見の姿を目で追っていた。


「よし、秋山。これ、名古屋へ送ってくれ!」

「はい……」


すっかり深見はこの場所にも慣れ、他の社員からも信頼されるようになる。

この日々が、永遠に続くような錯覚さえ起こすほど、

チームワークはよくなっていた。


「咲、ハガキだよ!」

「ハガキ?」


利香から受け取ったのは、先日、初めての京都旅行を手伝った

御夫婦の息子さんからだった。両親がとても旅行を楽しめたこと、

旅行と同じくらい咲のことを話してくれたこと。そんなお礼が書いてある。


「家族旅行の時には、そちらで必ず申し込みます……か。よかったね、咲」

「うん」


隣から覗いていた利香が、咲の肩をポンと叩く。咲はハガキを持ち、

深見の前に立ち、差し出した。


「主任、お礼のハガキをいただきました。先日の御夫婦の息子さんです」


深見はハガキを受け取り目を通すと、少し微笑みながら、何度か小さく頷いた。


「よかったな……」


そう言いながら、ハガキを咲の方へ戻す。


「主任のフォローがなければ、こんなふうに喜んでいただくことは
出来ませんでした。なんだか私のおかげなんて書かれると……」

「一緒に行きましょうと声をかけたのは早瀬だろ」

「そうですけど、一人じゃ出来なかったんじゃないかと、後から反省しました。勝手に引き受けて……」


帰りの新幹線の中で、咲はずいぶん身勝手な行動したと、

考えていたことを深見に語る。


「まぁ、それも経験だな。もっと積極的にツアーにも参加してみるといい。
そうすれば、色々なトラブルの対処法も、自然に身につくぞ」


ツアーに参加する……。今のところ、半年限りの命を持つ咲は、

そうですねと頷くことしか出来なかった。


さらに、そこからまた2週間が経ち、

西支店がメインを務めるツアー担当が知らされた。


「じゃぁ、今度のメンバーは俺と秋山と早瀬だな」

「……はい」

「大丈夫か? 事故からまだ日も浅いのに……」


名前を呼ばれた咲は、嬉しそうに返事をしたが、

少し先輩の秋山は心配そうに声をかける。


「大丈夫です。ずっとデスクばかりだと体がなまりますから。
外へ行かせてくださいって私が主任に頼んだんです」

「そうか……」


篤志との復縁はもうあり得ない。咲はそう思っていた。

毎日つけていたカレンダーの印も、いつのまにか忘れるようになり、

時間が減っていくことを考えずに、仕事で旅行でもしながら過ごしていた方が、
気が紛れる、そう思うようになる。


そして理由はもう一つ。


「参加人数は50名。男女比は……」


深見は、書類を見ながら秋山と咲に、いつものような的確な指示を出す。



『今は、一緒に仕事をしていると、なんだか楽しい……』



咲はそう思いながら、深見から出される細かい指示を、聞き逃さないように、

メモを取り続けた。


「この人、一人で参加するんですね、秋山さん」

「ん? あぁ、珍しいなと思ったんだ。でも、ツアー内容も説明して、
それでもって強く希望したらしいぞ」

「そうですか」


自然を満喫するこのツアーでは、山菜採りをしたり、秘湯と呼ばれる温泉に

入ることになっていた。年令を見るとまだ30歳で、年齢層の高いこのツアーに、

一人で参加すること自体、なんとなくふに落ちない。


「年令も近いし、早瀬、気をつけてやってくれ」

「はい」


その女性が大きな事件を引き起こすことになるとは、まだ誰も知らなかった。





「行ってくるからね」


ベッドの横に置かれた、深見がくれた、たぬきのぬいぐるみに

咲は毎日声をかける。


とぼけたような顔つきは、確かに自分に似ているのかもしれないと、

鏡を見ながら思わず笑う。



『たぬきを好きだって言ってくれる人かぁ……』



旅行カバンを持ち、咲は添乗員として出発した。

空には秋の深まりを教えるようなうろこ雲が広がっている。


山奥の落ち着いた旅館が初日の宿泊先だった。

宿泊名簿とメンバーを照らし合わせ、部屋を割り当て、その担当をする。


年齢層が高いこともあり、スケジュールは時間通りになかなか進まず、

少しずつタイムロスが起きていた。


「はぁ、このペースで食事の時間、大丈夫ですかね」

「なんとかなるだろ」


深見は書類をまとめながら、代理店の部長へ連絡を入れている。


「添乗員さん!」

「はい……」


だいたい客からの苦情などを、懸命に対処するのは咲の役目だった。

まくらが合わない、部屋が寒いなど、旅館に問い合わせできずに、

わざわざ訪ねてくる客達。


「えっと、フロント番号を回してください。こちらで対処してくださいます」

「一緒に飲まんかね?」


その中、一人の男性客が咲にグラスを手渡した。


「お客様、私たちはここへ仕事で来ています。申し訳ないですが、
一緒にお酒を飲むことは出来ないんです。お気持ちだけ……」

「もう、いいだろうが。こんな時間だ。仕事を終了しないとなぁ」


周りの客からもそうだ、そうだと声が上がり、咲は返事が出来なくなる。


「えっと……」

「明日の準備があるんですよ」


後ろから助け船を出してきたのは深見だった。

年配の客達と適当に会話を交わし、笑い声でその場を和ませる。


普段デスクにすわり、メガネをかけ、難しそうな書類と格闘している姿しか

見たことのない咲には、その対応振りが新鮮に映る。


いくらエリートとはいえ、最初はこうやってお客様と対していたに違いない。

そんな彼の歴史が、少しだけ垣間見える。


「じゃぁ、1曲だけ歌って、今日は休ませていただきます!」

「よっ! いいぞ!」


そんな深見を見ながら、他の客達と一緒に合いの手を入れる咲だった。





そして次の日の朝、咲に一つめの災難が訪れた。


咲の部屋をドンドンと叩く音がして、急いで時計を見ると、

5時を回った頃だった。何かがあったのかと急いで扉を開ける。


「お姉さん、一緒に太極拳やらんかね?」

「太極拳ですか?」


少し頭痛のする頭をなんとか起こしながら、咲は昨日の出来事を思い出す。

出かけのバスの中で、そういえば太極拳の話しをした覚えがあったが、

まさか、こんな時間に誘われるとは思いもしなかった。


「息を吸って……はいて……」

「ふぅー」


結局断り切れずに、咲は、初めての太極拳を旅館の庭で経験する。


「何やってるんだ、あいつ」


そんな咲の姿を、たばこを持ちながら微笑んで見つめている深見がいた。





山登りに思ったより時間がかかり、スケジュールは今日もおしている。

咲は一人で参加している女性の側を、一緒に歩く。


「添乗員さん」

「はい」

「仕事、楽しいですか?」


その女性は自分の側を歩く、同じような歳の添乗員にさりげなく質問をした。


「楽しいですよ。旅行を申し込みに来るお客様はみなさん嬉しそうですし、
それに、こうやってあちこち行けますしね」


咲は笑顔でそう答え、少し上に見える休憩場所を見る。


「時々、全部投げてしまえ! って思うことはないですか?」


咲はタオルで汗を拭きながら、そうですね……と悩んでみた。

よく考えてみると、まさしく今、そんな状況であるのかもしれない。


「幸せなんですね、添乗員さんは……」

「……」



『エ? 幸せ? 私、今幸せなんだろうか……』



自分が今、幸せであるかなんて、考えたこともなかった。

そんなことを急に言われた咲は、発言を不思議に思いながら、その女性を見る。


「あ、あの大きな石に座って、ここから星を眺めたら素敵ですよね」

「……エ?」


山の頂上から少し下った場所に、ちょうどベッドのように大きな石があった。

咲は、確かに星空を想像すると素敵かもしれないと思いながら、空を見上げる。


「ずっと、ここで星を見ていられたらな」

「そうですね」


大きな自然の中に入ってしまえば、自分なんてちっぽけに見えるのだろう。

こんなふうに悩んでいるのも……。


二人が見上げた空には、まだ見える星は一つもなかった。





到着の遅れが響き、宿舎に戻った時には予定時間を1時間以上オーバーした。

それぞれが部屋に戻り、休憩をする。


咲は、朝の太極拳がたたり、目を閉じるとすぐにでも寝られるくらい疲れていた。

しかし……。


「あの女性。どうも自殺願望者らしい。
今、会社の方にご両親から連絡が入って、置き手紙があったって……」

「置き手紙?」



『時々、全部投げてしまえ! って思うことはないですか?』



何気なく会話した言葉の中に、ドキッとするセリフを見つけ、咲は青ざめる。

部屋を訪ねて見ると、彼女からは、なんの返答もない。


「どうだ……」


秋山の連絡を受け、深見も部屋の前へ到着した。


「食事は?」

「すみません、チェックしてないです」

「あ、主任。今、食事場所へ聞きに行ったら、やっぱり一人来てないそうです」


外はすっかり夜に変わり、闇が広がっている。



『あの大きな石に座って、ここから星を眺めたら素敵ですよね』



咲は、無言のまま秋山と深見の輪から外れた。彼女は疲れてここへ来た。

もっと、色々と会話をすればよかった……。そんな後悔が襲う。

暗くても、山道はまっすぐの1本道。ここならなんとか自分で登っていける。


咲は焦った気持ちのまま、一人で山道へ入って行った。


「ご両親に連絡が取れました。こちらへ向かっているそうです。
2時間ほどで来られると……」

「そうか、警察には今、連絡を入れてもらった。
とりあえず、他のお客様が動揺しないように、早瀬……あれ?」


深見は側にいると思っていた咲を探す。秋山は、深見と咲が一緒だったと思い、

驚いた顔をした。


「あの……バカ……」


すぐに携帯を取りだし、咲の番号を回す。

何度目かの呼び出し音の後、咲が電話に出た。


「はい……」

「もしもし、早瀬か? 今どこだ」

「さっきの山の途中です。たぶん彼女は星を見に……」

「バカ! 何やってるんだ! お前が一人で登ってどうする!」


あまりの深見の迫力に、秋山はその場に立ったまま、声も出せずにいる。


「お前が遭難するぞ。夜の山に一人で入るなんて……どういう神経してるんだ。
迷って死ぬこともあるんだからな!」

「大丈夫です、まっすぐですから……」

「……」

「結構見え……キャー!」

「早瀬!」


咲の電話はそこで切れた。深見はもう一度携帯にかけ直すが、咲は出てこない。


「秋山、あいつ山へ登ってる。とりあえず見てくるから、
警察とお客様のご両親を待ってくれ」

「エ……、山へ登ったんですか?」


深見は何度か頷くと、夜の山へ走り始めた。

秋山は、ただ呆然と深見を見送り、慌てて警察に連絡を入れた。
                                    神のタイムリミットまで、あと95日





うん、うん、いいよ、この先どうなるの? という方……

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