23 見送る時間 【23-3】



「最初に……そう、バレーを始めてから、
日本一のセッターになりたいと思って練習していた日々が、蘇って……」


平野さんの表情、優しくて穏やかで……

戦うことが終わったという、そういう顔。


「なんでこんな運動音痴に、そんなことがわかるんだと思いながらも、それが……」



それが……



「いつの間にか、俺の支えになった」



『雲に乗るトス』

あの話は、私だけではなくて、平野さんにとっても支えになっていたなんて。



「バレーを終えたらただの人だ。『STEM』で仕事をしていくのなら、
本当にゼロから取り組まないとならない。ないものを作っていくのだから、
勉強もしないとならないし、人の話も聞かなければいけないし。
今までの実績なんて何も役に立たない。逆に、自分のアキレス腱になる可能性もある」


アキレス腱……自分の栄光が、逆に自分自身を不自由にするかもしれないと。


「現役時代から、引退したら会社に入ると決めていた。
ずっと思っていた目標のために、今までのものは全て置いていくのだから、
今ある関係性にはドライになるべきだと思うのに、お前は遠慮なく、
好き放題言ってくるし、いつの間にか隣にいるのが当たり前で……」


お互いに不本意なまま、担当と選手の関係を築いたけれど、

私自身、なぜだかわからないけれど、平野さんにはいつも本音を言えた。

いや、言わないと気が済まなくて。


「リーグ戦を前に、お前が風邪を引いて休んだ時、練習試合がある中で、
自然と姿を探していることに気づいて……。あいついったい、何日休むんだって……」


何日? いや、だって……


「平野さん言いましたよね、体調が悪いのなら無理はするなって」

「ん?」

「言いました、マスクをして行った日。選手はみんな試合のために頑張っているから、
風邪でもうつされたらって……」

「……そうか」


私は、そうですという意味で、少し深めに頷いた。


『何日休むんだ』って思っていたとは、知らなかった。

私だって頑張って行きたかったのに。練習試合、見たかったし。


「そうか、俺が言ったのか」

「そうですよ、私だって行きたかったです」

「そうか……」


平野さん、笑っている。

笑えるところなのかな、ここ。


「初めてだった。プレーをしていて不安に思ったのは。それで怖くなった。
このままそばにいてもらったら、闇の中に、引きずり込むような気がして……」



闇の中に引きずり込む……



「松尾さんをトップに、広報4人が、
チームの雰囲気を変えてくれたこともわかっていたから、だから、遠ざけようと思った。
今ならまだ、大丈夫だって……」


担当を変えてくれと頼んだ、本当の理由。

それは私がストレスだからというより、私と同じような感情を、

平野さん自身が持ってくれていたから。




『大丈夫』という言葉の意味。

平野さんの思いは、まだそこまでだと言う意味で。



この人は、自分の目で目標を見つめ、歩いて行くことを望んでいる。

新しい戦いには、心も身体も身軽に臨みたい。それが、平野さんの答え。



「この後、すぐに組織に入らないとならない。バレーの世界とは違う。
『STEM』での仕事はゼロからだ。でも、自分なりにやりたいことがある。
だからこそ、失敗しないように積み上げていきたい」



『STEM』でやりたいこと。



平野さんの夢。

これからはそれを目指す時間。



そう、病院に入院した山倉君に言っていた。『自分には次の目標がある』と。

目標に向かって歩き出そうとする平野さんに、私はただ頷くだけ。


「こんな事情を、いちから説明して理解してもらうことが難しいだろうと思って、
それで、あんなふうにお前を遠ざけた。自分勝手な考えとやり方で迷惑をかけた、
きついことも言って、悪かった」


平野さんにとって、『バレー選手』の時間は、『過去』だと言うことだろう。

もちろん、この時間も……


「でも、理解して欲しい」


新しい環境に向かうため、全てを終わりにしていくため、

平野さんは体育館でトスを見せてくれた。

彼が望むことは、体育館の駐車場で言い合ったあの時のように、

泣いて怒ってすがることではないし、無責任に大丈夫だ頑張るということでもない。



私なんかが立ち入れないような場所に、入っていく人。

心をリセットすると、そういうこと。

思い出は思い出として、気持ちも揺れも、この場所に全て……



全て置いていく。



「平野さんが、『ジャンプ』の日に、子供達に熱心に指導していた意味が、
よくわかりました。素敵な目標だと思います。
話していただいてありがとうございました。疲れているのに、ここまで来てもらって。
『雲に乗るトス』を見せて欲しいとか、色々と、わがままを言ってすみません」


こんな時間を取ってもらったことに、感謝しないと。

そうだよね、ただでさえ大変なのに、私が周りをうろついたら、

余計な心配事を増やすだけになるだろう。

育ってきた環境が違うから、何かがある度に、説明をしないとならなくて。

きっと、面倒な関係だと、いずれ思うことになって……



お付き合いをしたわけでもないのに、なんだか振られた気分だな。

いや、やっぱり振られたんだよね、私。

『好きでした』という言葉さえ、最後の日に挟むことが出来ないなんて。

言葉がプラスになるのなら、言いたいところだけれど、

きっと、今の平野さんには、マイナスにしかならない気がするから。


「お世話になりました」


ケンカもしたし、色々あったけれど、この人の言葉や行動に、

色々と考え、学んだことも間違いない。

わからず飛び込まされた『広報』だけれど、とりあえずその部分は認めてくれた。


「あ、そうだ。平野さん。タオルありがとうございました」


いけない、忘れてしまうところだった。

池田さんから渡された紙袋を前に出し、しっかりとお礼をする。



過去は忘れていくと今、そう聞いたけれど、でも……


「私が運動音痴で下手でも、バレーが好きだと言えるのは『仲間』がいるからです。
一つのボールをみんなで見て、追いかけて、大切に扱っていくという、
競技のスタイルが好きです」


そう、『ラッコーズ』で選手としてボールを追うときも、

『バーズ』の広報としてボールを追うときも、『仲間』はいつも感じられる。


「平野さんのトスに惹かれて、バレーが好きになれたことは、本当に感謝していますから」


素晴らしいスパイクを打つ選手でも、魔法のようなトスがあげられる人でも、

誰かがボールをつなげてくれるから、そのプレーが出来る。

『バレーボール』は本当に楽しい。


「私たち広報担当者も、よく頑張っていると平野さんが認めてくれた話。
松尾さんから聞いてとても嬉しかったです。だから……」



だから……



「これから向かう場所でも、平野さんの目標に賛同して、
仲間になる人が出てくることを、祈っています」


一人でもという強い気持ちは確かに大事だが、たった一人で、戦い続けるのは辛い。

助け合って、盛り上げていくことが出来たら、それはきっとうまくいく。



一人の女性として、あなたを支えたいと願った私の、今、贈ることが出来る言葉。


「あの……」


何?


「いや、いい」


言葉を出しかけたのに、自ら消してしまった平野さんが立ち上がった。


【23-4】



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