31 再びの夏⑤ 【31-5】



「おーい……」


人がいて返事をされたら困るけれど、とりあえず言ってみた。

やはり何も反応はない。それから中に入る。そう、まずは電気をつけよう。


「あ……」


靴を脱ごうと下を向いたら、封筒が落ちているのがわかった。

ドアについているポストを見ると、留め金が外れていて、

それで下に落ちたのだとわかる。

この手紙を入れに来た人が、階段を上がっていた人だろうか。

三井さんのことはもう、時田さんから……



『石橋結花様』



私……

誰から?



『平野旬』



拾った封筒の宛名は、『三井優華様』ではなく、『石橋結花様』。

だとすると、この平野さんは、あの平野さん。


「エ……」


想像もしていなかったことで動揺したが、それでも靴を脱ぎ荷物を置き、

握りしめた封筒を改めてみた。

触れた感じそれほど厚みはない。また、宿泊券でもくれたのかな。

すぐに手に取ることが出来たキッチンばさみで開く。

そこには便せんが1枚入っていた。

折り目を戻し、広げてみる。



『石橋結花様 突然で驚くかもしれないが、
電話では即答を迫ることになる気がしたので、手紙にしました』



封筒には、以前、ホテルのチケットをくれた時と同じで、消印がない。

それはつまり、平野さんがここに来て手紙を入れていったということ。

三ツ矢さんが言っていた、階段を上がってきた人というのは、平野さんのことだろうか。

となると、不審な車が止まっていたというのは、平野さんの車で……



『話したいことがあります』



話……



『以前、ここで君に話した内容と、方向が全く違うものになると思う。
あれから時間も経っているし、もう聞きたくないと思うかもしれない』



方向が違うって、どういうことだろう。



『それでも、ここでもう一度会ってもらえるのなら、
『相模スプラッシュ』の試合までに、どんな方法でもいいから、連絡をください』



「エ……」


『相模スプラッシュ』の試合は今日。

つまり、返事の期限は今日ということ……


平野さんの手紙の内容に、私の頭の中は真っ白になった。



『平野さんの話したいこと』

以前、ここで話してくれたのは、選手を辞めてから『STEM』に入り、

これからは元々、自分が持っていた夢を叶えていくために、仕事をしたいという話で。

その話とは方向が違うとなると……



私はすぐにバッグから携帯を取り出し、平野さんの番号を呼びだした。

『相模スプラッシュ』との試合は今日。

平野さんは今日を返事の期限にしていたけれど、そんなこと私は知らなかった。

方向が違うというのは、『STEM』を辞めないとならなくなったとか、

そういうことだろうか。

私が聞いてどうなるのかと言われたら、何もわからないけれど、

でも……



あなたが話をしたいと思うことを、拒絶する選択肢など私にはない。



お願い……つながって。



『はい……』


つながった……


「あの……石橋です」

『うん』

「すみません、妹の結婚式があってその後、母が体調を崩したりしていたものですから、
この部屋には2週間くらい戻っていなくて。なので、手紙は今、読みました」

『そうか、ならよかった。灯りがついたから少しほっとした。
もしかしたらもう、出てしまったのかなと……』


『灯り』……

私は受話器を耳に当てたまま、すぐにカーテンを開けた。

そこには三ツ矢さんが『不審車』と言っていた……



平野さんの青い車が止まっていて。



私はすぐにそのまま部屋を飛び出した。

階段に体が前のめりになりながらも、なんとかバランスを取り、そのまま走る。

運転席から降りてきたのは、間違いなく平野さんで……


「平野さん、『STEM』にいられなくなったのですか? あ……あの、
社長をどうするのかという問題で、色々あったと聞いて。
仕事……出来なくなったとか……」


そうだ、あの頃と状況が変わったのだとしたら、きっとそこだろう。

平野さんの一生懸命さを疎ましく思う人達がいて、仕事の邪魔をされたとか、

組織の嫌な面が出てきたのかもしれない。


「どうしてそう思う」

「だって……手紙に書いてありましたから。以前、ここで話をしてくれたことと、
方向が変わったって……」


望まれていた未来を断ち切って、それでも自ら飛び込んだ場所。

そこから出されてしまうなんて。


「俺だけなのか……」

「エ……」

「この1年、もやもやした日々を送っていたのは」


もやもや……


「お前に、自分から家族の事情とか、これからのことを説明した。
自分の夢に向かうことも計画通りだし、新しいことがたくさん出てきて、
過去を振り返ることなどないと、いつもそう思って。でも正直、
仕事をしながら、いつも何か置き忘れているような毎日を送っていた」


置き忘れていること……って……


「お前との約束になる、ほら、『雲に乗るトス』だけど、
最後に見せたのは、回転をつけたので前とは違っているはずだった。
いや、最初からそうしようとしていたわけではなくて、なんだろう、
いざとなったとき、ふっと頭に浮かんで……」


回転をつけた? 今、そう言ったよね。


「それを指摘してくれたら、半年後の合宿にでも顔を出すと答えるつもりだったけど、
お前、遠慮をして何も言わなかっただろ」


私は、何を話されているのだろう。

情報だけが頭の中に押し込まれていて、それを整理して考える時間がない。


「その割には、市川には聞いているんだよな、『回転がついていたのはって……』」


市川君に……


「ちょっと待ってください。あの見せてくれたトスは、
わざと回転をつけたと言うことですか。テーピングでついたのではなくて、
平野さんがつけた」

「あぁ……」

「あぁ……って」


何、どういうこと?

さらに口を開こうとしていた私の横を、

102号室の男性が自転車を引きながら通っていった。


【32-1】



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