42 あなたと私 【42-3】



午前11時開店の『中華二番』に、午前10時を過ぎてすぐ顔を出した私。

ご主人は材料の準備中、澄枝さんももちろん準備中なのだけれど……


「すみません、お忙しい時間に」

「ううん、いいのよ。うちは商売屋だからさ、なんだかんだずっと落ち着かないし。
今来てくれるのが一番話を聞きやすい」


澄枝さんは、お冷やをコップに入れ、椅子に座った私の前に出してくれる。


「ありがとうございます」

「で、話って何?」


私は『ラッコーズ』をこの12月いっぱいで退部したいと話す。


「やっぱりか、そういうことかと思ったの。仕事の場所が変わるの?」

「いえ……あの……」

「あ、もしかしたら寿?」


澄枝さんは『結婚するの?』と明るい顔で聞いてくれる。


「はい。その予定があるので」

「いやぁ……やだ、それならおめでとうじゃないの」

「ありがとうございます」


私は、仕事もシーズンが終了する来年の3月までにするつもりであることを話し、

出してもらったお冷やに口をつける。


「そうか、最後のシーズンならしっかり広報として動きたいよね」

「そうですね。お世話になったので……」


私にとっては、何もかもを変えてくれた『バーズ』。

その応援とも言えるべき広報の仕事は、どうしてもやり遂げたい。


「で、お相手は?」


そうだよね、当然そうなる。


「どこで知り合ったの? 職場? 
それとも……あ、そうだ、前に望月さんが見たって言っていたでしょう、駐車場で」

「あ、いえ、その人とは違います」

「エ……違うの?」


私は『平野さんです』と話す。

澄枝さんの首が軽く右に動く。


「平野?」

「はい……バレー……」

「エ! エ! あの平野なの?」


澄枝さんの声があまりにも大きかったため、ご主人が裏から飛んできた。


「なんだ、どうした急に」

「いや……いやいや、本当に?」


澄枝さんはすぐに立ち上がり、ご主人に私が平野さんと結婚することになったと、

報告し始めた。ご主人は『あの平野?』と同じように繰り返す。


「はい」

「やだ、もう、全然知らなかったよ。いつからお付き合いしていたの」

「正式にはそれほど……」


そう、朋花の結婚式の後、平野さんの手紙が入っていて、

気持ちを確かめることは出来たけれど、そこから2ヶ月出張してしまい、

正式には7、8ヶ月くらいしか経っていない。


「でも、よく考えたらそうだよね。
平野が現役を終えた後、石橋さんとの約束を果たすために、
わざわざ体育館に来てくれたもの。あの後、チラチラと話には出ていたのよ、
石橋さんと平野はどういう関係なのかななんて」


確かに、普通ならあり得ないことだろう。

マスコミに追われるくらい忙しかった人が、わざわざ『雲に乗るトス』のためだけに、

ママさんバレーの練習場所にまで出向くなんて。


「でもさ、『STEM』の御曹司だし、まぁ、知りもしないことで騒がすのはと思って、
そのままだったけれど……あ、そう、そうなんだ」


澄枝さんは、『結婚式はいつ頃?』と聞いてくれる。


「いえ、まだ具体的には何も決めていなくて。ただ、今住んでいる場所だと、
彼の仕事場所からも遠いですし、忙しい毎日を支えてあげるには、ここでは無理だなと」

「うん」

「『ラッコーズ』を辞めてしまうのは、本当に寂しいのですが、そういうことで」

「そうか、それは引き留められないな」


澄枝さんは『おめでとう』とそう言ってくれる。


「ありがとうございます」


球拾いでいいと思い入部した私の、運動神経の悪さを受け止めてくれたみなさん。

嫌にならずにここまで出来るようになったのは、本当にみなさんのおかげ。

休憩中の世間話もいつも楽しくて、時間があっという間に過ぎた。


「まだ、『バーズ』のみんなにも仕事を辞めることは話していないので、
もうしばらくはナイショでお願いできますか」

「わかった。明石君たちもきっと寂しがる……いや、相手が相手だから、
寂しいなんて言えないか、怒られそうで」


澄枝さんは、『それならラッコーズにもしばらくナイショね』と、

指で口にチャックをする。


「お前が一番苦手なところだな」

「何言っているの。私は守るべきことは守ります」


ご主人の指摘に、澄枝さんの返し。

『中華二番』が繁盛する理由は、この二人のコンビネーション。


「あ……そうだ」


澄枝さんはお店にかかるカレンダーを見る。

右手の指で、何やら数えだした。


「ねぇ、石橋さん」

「はい」

「本当に図々しいお願いで申し訳ないのだけれど、こんなチャンスないから、
言ってもいい?」


澄枝さんはそういうと、私の方を向いた。





「練習?」

「うん……毎週木曜日の2時間が、『ラッコーズ』の練習時間なの。
もちろん無理にとは言わない。ただ、聞いてみてくれないかって言われたから……」


澄枝さんが頼んできたのは、旬の臨時コーチというお願い。

私が辞める前でもいいし、もちろんその後でも、

一度だけ指導にきてくれないだろうかと、頭を下げられた。

携帯を見ている旬からは、すぐに返事が戻らない。

さすがに色々とあった後で、まだ完全な流れになっていないのだから、

余計なことをするのは……


「いいよ、わかった」

「エ……いいの?」


驚いて問いかけた私を見る旬の目。


「どういう反応? 結花が聞いたんだぞ、どうだって」

「そうだけれど……」


自分でお願いしておいて、確かにおかしいかもしれないけれど、

でも、そんなに簡単なことではないこともわかっているから。


「結花が世話になった人達だ、それで喜んでもらえるのならいいよ。
今、仕事で付き合っている業者の若手に、大学までバレーをしていたのが2人いるから、
その2人にも頼んでみる。俺一人でマダム達を相手にするのは……キツイ」


旬は笑いながら、携帯でその人達なのか、連絡先を出し始める。


「キツイって……」


笑いながら言わなくてもいいでしょう。

私だって同じようになっていくのだからと言うと、旬に腕を引っ張られる。

座っている彼の前に、ストンと収まる私。

背中から回る手に、自分の手を絡めて……


「そうか、それなら今の結花をしっかり覚えておかないとな」

「何、それ」

「将来、目を閉じたら、今の姿が浮かぶように……」

「……うわ、失礼」


私が旬の手をはたくようにすると、逆に足を動かされて、立ち上がれなくなった。

背中に寄りかかるようにされ、『重い』と訴えるが、全く聞いてもらえない。


「ねぇ……」

「体が固いんだよ」

「そういうことじゃないでしょう」


背中越しのぬくもり。

文句を言うけれど、それほど嫌ではない。

週刊誌の記事が出てから、緊張感のある時間を送ってきていたからか、

こんなくだらないことが、とても嬉しくて。


「あ……ほら、レンジが鳴った」

「うん」

「ねぇ、旬。重いし立ち上がれないの」


足だの手だの、背中にかかる重みだの、私の自由はどんどん奪われる。

『早く取りに来てよ』という催促の音が、レンジからもう一回聞こえてきたので、

旬の足の指を思い切り外側に……


「イテ……」

「もっとやるからね」


私の声に、旬の笑い声が重なっていく。

くだらないけれど、あたたかくて優しい時間は、食事の後もしばらく続いた。


【42-4】



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