7 腰を痛めそうになる日 【7-2】



そして、週が明けた月曜日、私の初出社日。

着替えは向こうですると言われているので、自転車で坂道を登る。

電動自転車、私も1台買おうかな。

これを私が毎日使うと、母の買い物用がなくなってしまう。


「おはようございます。坪倉です」

「おはようございます」


事務所に顔を出し、とりあえず更衣室に向かう。

案内してくれる女性は、昨日と一緒の『藤原さん』だけれど。


「どちらがいいかしら」


着替えとして出されたのは、作業服。

胸のポケットに、『TATUUMI』と刺繍されていて、一応、ユニフォームだとわかるが、

なぜ、これを?


「どちらか、サイズのいい方を着てください。それと、これを胸に……」


プラスチックの名札。とりあえずなのか、テープに印刷されている『坪倉』の名前。


「はい」


名札はともかく、これを着るの?

どう考えたって、作業服だよね。庭いじりしたり、車の掃除をしたり、

椋さんが見せているスーツ姿とは全然違うけれど。


「あの……」

「着替えたら、芹沢のところに向かってくださいね」

「はい」


まぁ、いいや。椋さんに会って、聞けばいいこと。

私は選んだ作業服を着て、鏡を見た。

人生初の作業着。もしかしたら、体力測定とか健康診断でもするのかな。

『反復横跳び』は、学生時代得意だったけれど久しぶりだし。

私は作業服を着て、椋さんがいる企画室に向かった。

扉をノックして、中に入る。


「失礼します」


顔を上げると、椋さんがデスクに座っていた。



シルバーのノートパソコンが前にあり、キーボードを叩く音が聞こえる。

仕事をしていますという姿。


「おはようございます。今日からよろしくお願いします」

「こちらこそ」


まずは挨拶。


「あ……あの……」


私は作業服を右手でつまむようにして、感じた違和感をアピールした。

着慣れない格好というのは、どこか落ち着かない。

自分が自分ではないような……


「着替えましたね、それなら行きましょう」

「はい」


行くというのはどこだろう。

やはり『反復横跳び』か? どこでやるのかな。


「椋さん……」


名前を呼んだ瞬間、椋さんが立ち止まる。

あまりにもいきなり立ち止まられたため、危うくぶつかりそうになった。


「そうだ、そうだったな」


振り向いた顔は、今までのように『こぼれる笑み』などなくて。


「その呼び方は辞めましょう」

「エ……」

「坪倉さん、あなたと私にとって、これからここは仕事場です。
そこはしっかりと区別しましょう」



『坪倉さん』



坪倉さんって今、呼んだよね、私のこと。

菜生さんという、柔らかくて温かい響きではなくて、坪倉さんって。

病院の受付とか、郵便局の窓口さんが言うような、『坪倉さん』って……


「あの……」

「今までは菜生さん、椋さんでよかったと思います。
あくまでも外部の業者と、『TATUUMI』側の人間という境界線があったので。
しかし、これからは坪倉さん、あなたも『TATUUMI』の一員です」

「はい」

「ホテルと違い、旅館ではお客様と従業員の関わりがとても深いです。
部屋のご案内から、室内の作業。食事の支度もそれぞれの部屋ですから。
従業員の仕事ぶりを、お客様が見る機会も多い。そこで従業員同士が、
名前で呼び合っているような状態は、区別のないだらしない施設だという印象を、
持たれます」


椋さんの表情、今までとは全然違う。

ビジネス以外の何者でもないくらい、淡々と言葉が送られる。


「私と坪倉さんは同僚ですし、仕事の内容によっては、私の方が上司になりますので。
そこはしっかりとお願いします」

「あ……はい」


『椋さん』と呼べなくなった。

もちろん、『菜生さん』とも呼んでもらえない。

言われていることは当然だと思うけれど、この代わり身の速さに、

私自身がついていけてなくて。


「では行きましょう。待ってもらっていますので」

「……はい」


今までは素敵に思えた椋さんの背の高さが、大きな壁に見えてしまう。

素敵な声も、言う台詞が素っ気ないから、冷たく感じてしまって。

『企画室』を出て、階段を下がるとそこは温泉のある大浴場。


「すみません、五代さん」


到着したのは、女性の大浴場だった。

大浴場の中では、すでに仕事が動き始めているのか、

数名の女性が作業をする声が聞こえてくる。


「今日から仕事に加わります。坪倉です」

「あら……今度はさらにお若い方ですね……清掃担当の五代です」

「坪倉です」


五代さん、清掃担当って今言っていたよね。

その姿も、今の私と一緒の作業服。


「坪倉さん、仕事の内容は五代さんからしっかり聞いてください。それでは……」


椋さん……いや、芹沢さんはそれだけを言うと、私を置いていこうとする。


「いや、あの、ちょっと待ってください」


どうしてこんなふうに簡単に『終わり』になるの。

このまま残されてしまっては、気持ちがモヤモヤしすぎて。


「これ、どういうことですか。私の仕事はお風呂掃除ですか」


清掃が旅館で大切な仕事だと言うのはわかる。

でも、こういう仕事は普通……


「何か問題でも」

「いえ、あの……」


椋さんに言おうとした言葉が、

その背中越しに見えた五代さんの心配そうな顔を見た途端、私の頭から消えていく。


「いえ、すみませんでした」


どういうことなのか、今ここで言い合う話ではない。

実際、仕事は始まっているし、五代さんは何も関係が無い。

私が来ると言うことで、むしろ待っていてくれたのだから。


「ふぅ……」


私は体の向きを変え、五代さんに『よろしくお願いします』と頭を下げた。


【7-3】



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