リミット 8 【最後の恋】

8 【最後の恋】


深見との電話が切れた時、咲は落とした携帯電話を、必死に探していた。

誤って道で滑った瞬間、手からスルリと抜けてしまったのだ。


「あぁ、もう。取り損ねた……。誰かもう一回、携帯鳴らしてよ!」


その祈りが通じたのか、すぐに着信音が鳴りだした。

光っているライトと音を頼りに、携帯電話を探しだす。


「もしもし……あ、主任」

「そこを動くな!」

「……は?」

「今、そっちへ向かっているから、そこを動くなよ」


咲は、命令も聞かず、歩きながら深見の言葉を聞く。


「すぐに帰ります。ちゃんと懐中電灯も持ってますし」

「あのなぁ……」

「お客様が言ってたんです。星が見たいって」

「星?」

「はい、じゃぁ……」


ツーツーという音が響き、つながっていた携帯は切られてしまう。

深見は咲の呆れた行動に怒りを覚えながらも、登っていく速度を速めた。



『時々、全部投げてしまえ! って思うことはないですか?』



あの言葉は彼女のSOSだった。もう少し親身に聞けばよかった。

咲は山を登りながら、昼間、ツアー客ともっと会話があればと後悔する。


こんなところで犠牲者を出してしまったら、深見の出世にも響くはずで、

それに、自らの命を絶つなんて、絶対にしてはいけないことだ。



『生きたくても生きられない人だっているんだから……』



咲は自分の運命を思い、上を見ながら、確実に一歩ずつ登る。





咲がそんな騒ぎの中にいる頃、東京では篤志が咲のアパートの前にいた。

咲の部屋の灯りはなく、留守なのがわかる。


交際を白紙に戻したいと言ったのは自分で、慣れてしまった二人の間に、

以前から篤志に好意を持っていた女子行員の存在。

積極的な彼女の叔父は、銀行の役員で、周りからの勧めや、

彼女のアタックに気持ちが揺れ、咲を傷つけた。


それでもいい……そう思っていたはずなのに、

ゲームセンターで見かけた男の存在が、どうしても気になって仕方がない。

手放せば別の男のところへ行くことも、文句をつけられないはずなのに、

このままではいられない、そんな気持ちになる。


勝手なようだが、咲だけは自分を思い続けてくれると、篤志はそう信じていた。

やっぱり君が……と切り返した時、旅行の行き先を変えるように、

わかりましたと笑って許してくれるものだと、思っていた。



『あの男は一体、誰なんだろう……』



深見の出現が、篤志の心に咲への想いを呼び戻す。





「もうそろそろだと思うんだけど……」


咲は空を見上げ、都会よりもはるかに多く見える星達を確認する。

やがて木々の間から、大きな石が見え始めた。


「……誰かいませんか?」


そう呼びかけて見ても、誰の返事も聞こえない。吹き付ける風が冷たく、

頬に当たる。咲は周りを見回しながら、何度か声を出し、返事を待った。


「あいつ、結構速いなあ……」


深見は追いつくと思っていた咲の足が意外に速く、

頂上まで登ることになるのではないかと思い始める。


額の汗を袖でぬぐい、さらに速度をあげ、上にいる咲を追い続けた。


「はぁ……」


頂上に付き、すぐにあたりを探したが、結局女性はいなかった。



『ここから星を眺めたら素敵ですよね』



その言葉をだけを頼りに、咲は一人で山へ登った。

ドラマなんかでは、ちょっとした会話の中に、謎を解くヒントが隠されている。

それを信じてここへ来たが、現実はそう甘くない。


時間が経つにつれ、自ら旅行に参加し、その中で騒動を巻き起こした彼女に、

咲はだんだん怒りを感じ始める。仕事とはいえ、振り回されたあげく、

自分は彼女を見つけることも、説教をすることも出来ないのだ。



『深見さんが上司から怒られたら、いったいどうしてくれるのよ!』



そんなことを思いながら、大きな石に座っていると、

下からガサガサ音がして、目の前に深見が現れた。


「あ……」


深見は咲の方をまっすぐ見据えたまま、近づいてくる。

あまりの迫力に目をそらせないでいると、いきなり両腕をつかまれた。


「早瀬、お前が男なら今ここで思い切りぶん殴るところだぞ!
一体、何を考えてこんな単独行動に出たんだ! 説明しろ!」


深見の怒りはもっともだった。上司に何も言わず単独行動に出ることが、

どういうことなのかくらい、咲にもわかっている。

それでも、飛び出さずにはいられなかった。


「すみません……星を見たいって、この石に座って星を見たいって、
そう言われていたので……きっと……」


深見の迫力に圧倒されながら、咲はしどろもどろに話しを続けた。

深見はつかんでいた両腕を離し、一度大きく息を吐く。


「……で?」

「何もかも投げ出したくなることがないですかって言われたんです。
だから、そんな気持ちをここで……」

「……で?」


それがなんなんだというような深見の表情に、

自分の行動に自信を持っていた咲の気持ちは、グラグラと揺れる。


「……で……って」

「いたのか?」

「……いませんでした」


深見は咲の隣に座ると、もう一度額の汗をぬぐう。

咲は自分のポケットから小さなタオルを取り出し、深見に差し出した。


「いいよ、汚れるから」

「そんなこと……」

「登ってくる途中で秋山から連絡があった。彼女は確かに山へ入ったようだけど、
道は全然別のルートだ。しかも、途中で怖くなって自力で下山した。
そろそろご両親も到着して、警察も対応してくれている。
だからすぐに戻ってこい……そういうことだ」

「……」

「早瀬……、そのお客様に何かがあったら悲しむ人たちがいるように、
お前に何かがあったら同じように悲しむ人たちがいるだろう。
いくらたいした山じゃなくても、事故は起こるし、
命を落とすことだってあるんだぞ!」


もっともな深見の意見に、咲は何も言い返すことが出来ない。


「それに、ここへは彼女一人の添乗員として来ているわけじゃない。
他のお客様の旅行がストップするようなことになったら、どう責任を取るんだ。
もっと冷静に行動してくれよ!」

「すみません……でも、主任……」

「なんだ……」


「もし、私が死んでしまったら悲しんでくれますか?」


咲はそうつぶやくと深見の方を向く。


予想もしていなかった突然のセリフに、深見の表情が変わる。

咲は、そんな深見の態度に、とんでもないことを聞いてしまった気がして、

下を向いた。


「当たり前だろ……」


その優しい言葉に、静かにしていると、自分の心臓の音が聞こえるくらいに、

咲の鼓動は速まり、顔の体温が上がる。



『それは上司と部下と言うことですよね……』



咲の心からふわりと飛び出た、伝えられない言葉が、

ため息になって空へ消えていった。


「行くぞ」

「はい」


咲は深見の背中を見ながら、一歩ずつ下山し始めた。

ただ背中を見つめていられるだけで、幸せな気持ちになる。

不謹慎かもしれないが、この場所に二人でいられることに、

感謝さえしたいような気持ちだった。


彼の歩いた場所を、なぞるように歩いてみる。

左を向けば、同じように左を向く。

大きなくしゃみに反応し、思わず笑いながら下を向く。


そして、3分の1ほど歩いた時。


「あ……、キャー!」


咲は足元にあった切り株につまずき、その場所から消えた。


「おい……」


慌てた深見が懐中電灯をかざすと、少し下の場所でもぞもぞ動いている咲がいる。


「おい、大丈夫か? 全く、何してるんだよ、気をつけろ!」

「すみません」


あなたに見とれてました……なんて言えやしない咲は、

その場でなんとか手をつき、立ち上がろうとする。


「うっ……」


滑り落ちた時、どうも右足をくじいたらしく、力を入れると激痛が走る。


「どうした? 怪我したんじゃないのか?」

「いえ、今行きます……」


それでも力をふりしぼり、なんとか上へはい上がり、右足を引きずりながら、

また一歩進む。


「……おい……」

「はい」


深見は咲を手で止めると、自らの背中を差し出した。


「ほら、おぶってやるよ。その足じゃ下まで無理だ」

「いいです……行けます」

「何時間かかると思ってるんだ。秋山が一人なんだぞ。ほら、早くしろ」

「でも、重いですから……」


咲は、上から自分の体を見おろすようにうつむいた。


「パンダより重いのか?」

「パンダ?」


咲は考えられないような例えに言葉が続かない。

どうしてここでパンダが出るのか、全く意味がわからない。


「中国に研修旅行した時、パンダの子供を背負ったんだ。
それよりは……たぶん軽いだろ……早くしろって」


以前はたぬき、今回はパンダ。もっと他の例えはないのだろうか、
そう思いながら、深見の方に、咲は一歩近づく。


「早くしろ!」

「はい!」


咲がおそるおそる、深見の背中に自らを預けると、体が宙に浮いた。

深見は体制を整えて、ゆっくりと歩き始める。

どこに手を添えていいかもわからず、咲は深見の背中にちょこんと手を置いた。


「ちゃんとつかまっておけ、落ちても知らないぞ!」

「……はい」


その言葉に、しっかりと手を深見に巻き付けた。

たばこの匂いと篤志とは違う男の人の匂いがする。

咲は自分の鼓動を悟られたくなくて、落ち着かない。


負ぶわれたまま揺られていると、なぜか自然に涙がにじんできた。

あの雨の日、自分の鼓動が速まるのは、走っているから……そう思っていた。

でも、それが勘違いだったことに、今、しっかりと気付かされる。



『深見さん、私……あなたが好きです……』



篤志の他に人を好きになることが出来るなんて、考えてもみなかった。



『たぬきを好きだっていう男も、どこかにいるさ……』



ゲームセンターでそう言いながら、深見は笑っていた。



『あなたは……たぬき、嫌いですか?』



『自分から相手に気持ちを伝えて誘導しないこと』それが老婆との条件。



『言葉に出すことは出来ないけど、
どこかで、私があなたを好きなことに気付いてもらえませんか?』



咲は背中で揺られながら、止まらない涙を懸命にタオルで拭いた。



深見の目に、温泉街の灯りが少しずつ見え始め、小さな田舎の夜景が広がる。

咲を追い掛けていた時には、上だけを見ながら歩いていて、

気がつかなかったのだが、都会にはない透明な空気、がその光を引き立てる。


「仙台にな、すごく夜景の綺麗なところがあるんだぞ。
ガイドブックには載ってないんだ。道が狭くて、バスなんて入らないし、
行くのは大変なんだけど……おい、早瀬。何か食べてるんじゃないよな。
なんだか重たくなった気がするんだけど……」


深見は返事がないことで、背中の咲が眠っていることに初めて気付く。


「寝るか? ここで、普通……」


少し前屈みになりながら、深見はもう一度しっかりと咲を背負い直した。

そういえば、今日は朝早くから客に引っ張られ、咲は太極拳をやっていた。

昼間も記念撮影や、荷物運びなどあれやこれやと引っ張られ、

走り回っていたはずだ。そんなことを思い出すと、ふと口元がゆるむ。


「まぁ、いいか……」


ホテルの灯りが少しずつ大きくなり、入り口には心配そうに秋山が立っていた。


「主任……エ? 早瀬寝てるんですか?」

「部屋のかぎくれ。寝かせてくる」

「はい……」


深見は秋山からかぎを受け取り、部屋へ向かう。布団が引いてある場所に、

腰を下ろし、背中から咲をゆっくりと横にした。


「うーん……」


少し動いたものの、咲の眠りは深そうで、仕方なく両方の靴を脱がせ、

部屋の入り口へ放り投げる。


「全く……」


手には小さなタオルがしっかりと握られていて、

髪の毛には、どこかでついた草の実らしきものがある。


深見はその草の実を指で取り、そばにあったゴミ箱へと入れた。


ゲームセンターで渡した、たぬきのぬいぐるみにやっぱり似ている。

深見はそんなことを考えながら、咲の横顔を見た。


熱に苦しんでいた自分を、無視できなかったこと。

休暇中に出逢った老夫婦の世話をやいてきたこと。

ツアー客に振り回され、無鉄砲に動いたこと。



『もし、私が死んでしまったら悲しんでくれますか?』



どうしてあんなことを聞いたのだろう。ほんの一瞬見せた、

咲の不安げな表情が気になり出す。


咲の寝顔を見ていると、いろいろな出来事と、

コロコロと変わるその時の声や表情が、頭にどんどん浮かんでは消えた。

何かあるわけでもないのに、深見は、その場を離れがたくなる。


そして、誰かに押されるように、ゆっくりと顔を咲に近づけ、

涙の線が残る頬に、深見は優しいキスを残した。
                                    神のタイムリミットまで、あと95日





うん、うん、いいよ、この先どうなるの? という方……

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