9 後悔を聞く日 【9-3】



「目の前って?」

「酒はさ、客の方がオーダー出来るだろう。ビールと発泡酒もそうだし。
こだわる客なら瓶と缶、それまでも選ぶ。まぁ、当然、宴会用はどうするのかとか、
自動販売機の争奪戦とか、メーカーのしのぎもあるにはあるけれど、でも、
ワインを飲みたい客に、日本酒は出せないわけで」

「うん」

「でも、浴室で使うものとか、従業員が使うものは表に出ない。
多少お客様に関係したとしても、それで文句を言われることはないはずだ。
チェックインの時に言わないだろう、この旅館、シャンプー何を使っていますか……
なんて」

「まぁ、そうだよね、言わないよ」

「だからこそ、旅館側が得する方を選ぶというのは当然だよ」


そう、当然だとは思う。


「ただ……誰が得をするのか……だけど」


洋平の目が、私を見る。


「誰って?」


誰って誰?


「何よ、それ」

「俺も、わからないことはこれ以上言えない。でも、お前は中にいるのだから、
色々とこれから感じることもあると思うよ」


洋平はそういうと、配達に行くからと言って店を出てしまう。

誰って、誰のことだろう。私を見たけど、私は違うし。

洋平のやつ、あの言い方は何か気づいているってことだよね。

それまでお店の隅をはたきではたいていたおばさんが、こちらに向かってきた。


「菜生ちゃん」

「はい」

「うちみたいにさ、小さい店はあれだけど、『龍海旅館』くらい大きくなると、
まぁ、それは色々あるわよ」


おばさんはそういうと、『ねっ……』と私に言った。

もうこの話は終わりましょうと、そう言われている気がしてしまう。

私は、『そうですね』と言葉を返し、『伊東商店』を出る。

何があるのかわからないが、洋平もおばさんも、何かを感じていることは間違いない。

『誰』とは『誰』のことだろう。

私は自転車を漕ぎながら、そんなことを考えた。





「ただいま」

「おかえり」


聞こえてきた声に気付き、私はすぐに居間に入る。


「鬼ちゃん……」

「よぉ……」


鬼ちゃんが帰ってきた。

私は『うん』と言うだけで、そこから言葉が続かない。

『帰ってきてくれた』。また話が出来る、そう思うだけで、目がウルウルして。


「続けているのか、『龍海旅館』」

「うん……」


もっと話したいことはあるし、こんなことがあったとぼやきたい気持ちもあるのに、

鬼ちゃんがここに戻ってきた事実だけで、胸がいっぱいになった。


「着替えてくる」


私は階段をあがり部屋に入る。

いつもと同じようにしようと思うのに、口も頭も緊張していた。

これじゃ、ダメなのに。

それでも、『メンバーが揃った』ことはとても嬉しかったので、

着替えを済ませて、とにかく下に降りた。



鬼ちゃんと工場で向かい合う。

いつもなら私が愚痴を言ったり、こんな楽しいことがあったと会話を始めるところだが、

今日は違う。


「悪かったな、菜生に黙ったままで」

「うん……いや、ううん」


肯定して否定する私。

まだ気持ちは落ち着いていない証拠。


「なんだよ、それ」

「いや、だってさ」


鬼ちゃんを責める理由も権利も、私にはないから。


「すっかり話をした気分になっていたけれど、
お前に名古屋で美味しいところがあるって言われた時にさ、あ、そうだ、
話していなかったなと思いだして」


鬼ちゃんは、注文表に赤いペンで印をつける。


「別に、最初から話をしておけばいいことなのに、
あの頃、俺にも意地があったのだと思う」

「意地?」

「あぁ、七海が出て行ったように見えても、ちょっとしたら帰ってくるとか、
探せばすぐに居場所がわかるとか……楽観的で」

「うん……」

「バカだよな、形にこだわって、本当に大事なものを置き去りにしていた。
七海の体調の悪さとか、一緒にいたのに、俺、全然気づいていなかったし」


一緒に暮らせば気づくだろうという人もいるが、

『恋は盲目』という言葉もあるように、案外近い場所が見えなくなる。

私が剛のことに気づけなかったのも、目の前の幸せだけしか見ていなかったからで。


「俺が大学を出たって言っても、別に優秀なところではないんだ。
でも、七海は兄弟が多かったから、大学に通えたことをとにかくうらやましがって」


大学進学率は、確かにどんどん上がっているだろうけれど、

経済的に難しいという人達も、まだ相当数いるはず。


「それをプラスに受け入れた俺は、卒業後はスーツを着て、
街の中心部でバリバリ働くことしか考えていなかった」

「うん……」


鬼ちゃんは、いつものように仕事をしながら話してくれる。

私は、簡易椅子に腰掛け、鬼ちゃんを見た。

鬼ちゃんの仕事ぶり、型の取り方も線の引き方も……

うちに来てからの10年間は、鬼ちゃんの体にしっかりと職人の技を刻み込んでいる。


「でも周りとうまくいかなかったり、条件面が違ってきたりして、
長くは続かなくてさ。そういうとき、いつも、『ここは違う、もっとあるはずだ』って、
いつも自分以外に原因があると、思い続けてた」


理想と現実の違い。誰もがぶつかる壁。


「七海はいつも俺の話を黙って聞いていて。次は大丈夫だからって、
何もないのに俺も意地を張って、過ごしてきた」


男として、七海さんに泣き言を言えなかった鬼ちゃん。

『守ってあげたい』意識が強かっただけに、そうなっていたのだろう。


「そんな中で、あいつは突然いなくなった」


二人で暮らしていたアパートから、七海さんの洋服とかだけが無くなっていたという。


「ここで仕事をするようになって、社長達には遠距離結婚のようなことを言って、
その間に七海が見つかれば整うと思っていたけれど、日が積み重なっていくと、
だんだん違うなと思えてきてさ」

「違う?」

「あぁ、そんなふうに繕っていること自体、だめなわけだよ。つまり上っ面だけだ、
全然中身がない。だからこそ、あいつは本当に辛いところを俺に言わずにいなくなった。
それに気づいた」


鬼ちゃんは、手を止めて左手につけたままの指輪を見た。

『プロポーズの指輪』

本当なら、七海さんの手にもつけていたはずのもの。


「黙って話を聞いてくれたじゃないんだよ。黙っているしかなかったんだ。
苦しい、辛い……俺は、それをあいつに言わせてやることが出来なかった」


病気のこと、七海さんは何も言わずに出て行ってしまった。


「どこかで誰かと出会って、俺のことなんか忘れて、
あいつは幸せになっていると考えるのだけれど、これが……外せなくてな」


鬼ちゃんはそういうと、左手の薬指にはめた指輪をいじる。

そしてまた、手を動かし仕事を開始した。


【9-4】



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