9 後悔を聞く日 【9-5】



『龍海旅館』の清掃担当として勤務し始めて2週間。

たまに旅館の廊下を歩く剛に会うと、向こうは軽く手をあげたりしてきたけれど、

『大切なお客様ではない』ため、最低の礼儀として会釈だけしてきた。

そして、今日も1日頑張ると、明日は休み。

力をため込むためには、しっかりと朝ご飯だと思い食べていると、

ウォーキングを終えた鬼ちゃんが、タオルを首にかけて食卓に現れる。


「おはよう……鬼ちゃん」

「おぉ……眠たそうだな、菜生」

「わかる?」

「わかるよ、お前、ご飯とたくわんしか食べていないだろう」

「あれ?」


左手に茶碗、中に入っているご飯の量は半分になっているが、

前に並ぶおかずは、何も減っていない。

減っているのは……確かにたくわんだけ。


「あ、本当だ」


私は箸でかまぼこを取り、口に入れる。


「今、椋さんと話してきた」

「ふーん……」


こちらに戻ってきた頃なら、どういう服だったのか、何を話したのかと、

耳を大きくして聞くところだが、入社してからの冷たい、そっけない態度の繰り返しに、

その名前に反応する頭の部分が、別のところに切り替わった。


「一生懸命仕事をしてくれて、ありがたいってそう言っていたぞ」

「そう……」


それはそうでしょうね。

あなたの持ち上げにすっかり気をよくして、『人手不足』の『清掃担当』として、

26歳、坪倉菜生が入社したわけですし。

そうそう、理子の言う通り、私は惚れっぽいのです。

だから『企てた』旅館の男に、いいように騙されて……


「立場上、厳しい口調でしか接することが出来なくて、指導的な台詞を言った後、
嫌な人間だと、自分で反省しているらしい……」


反省?


「本当は、こういう話をお前に語るのはダメだと思うけどさ、菜生のことだ、
椋さんに冷たい態度を取られて、気持ちが落ち込んでいるのではないかと俺なりに考えて。
だから、こうして約束やぶってやった。その表情見るだけで、すぐにわかるわ」


鬼ちゃんはそう言って立ち上がると、顔を洗いに洗面台に向かう。


「鬼ちゃん、ご飯よそるわよ」

「はい、お願いします」




反省?




厳しい口調を?




そうなの?




何、何、何……本当は気にしてくれているわけ?

反省しているって、今、言っていたよね。


「鬼ちゃん、鬼ちゃん……本当にそう言った?」

「菜生、ほら、歩くのなら茶碗を置きなさい」


興奮気味に右手に箸、左手に茶碗を持ったまま立ち上がった26歳の娘に、

当然とも言える母の怒りの一言。


「あぁ……言ってたぞ。椋さんが切り出したからね、
菜生さん、辞めたいとか言っていませんかって」



『菜生さん』

あぁ、また、悪魔のささやきが。



「いやぁ、もう、仕事から戻って愚痴を散々言ってましたと言おうとしたけれど、
そこは黙ったよ、俺、大人だし」

「愚痴?」

「あぁ……」

「違うよ、鬼ちゃん。嫌だなぁ……もう」

「違う?」

「そう、違うの。愚痴なんて言っていませんよ。
まぁ、ほら、慣れていないから混乱したって話でしょう」


私はこの前工場で語ったのは、愚痴ではなく混乱だとごまかしてみる。


「混乱……」

「そう、それはさぁ、私だってわかっているよ。芹沢さんの立場は。
お客様と関わる場所が多いから、けじめをつけていると思われないとねぇ……」


そうなんだ、芹沢さん、気にしてくれているんだ。

辞めたいと言っていないかって……

やだなぁ、もう、辞めるわけないでしょう。


「ふーん……まぁ、それならいいよ。よし、いただきます」


鬼ちゃんは顔を洗って席に戻ってくると、両手を合わせた。

目玉焼きに醤油をかけ、味付け海苔の袋を開ける。


「あとは?」

「あとってなんだよ」

「だから、あとはどんな話をしたの?」

「あと……」

「そう、あと」

「あとは……あぁ、そうだ。ホームページに流す映像が出来たとか言っていたな。
菜生に見せるって」

「あ、そう」


そうか、あれ、出来たんだ。

それならよかった。


「よし、今日もしっかり仕事をしないと」

「おぉ……行ってこい」

「うん」


私は食器を流しに片付け、先に洗面所に向かう。

歯ブラシを取り、真っ白い歯になるために、歯磨き粉をしっかりつけた。





明日、休みになるから、電動自転車を買いに出かけよう。

母のものを借りるのは、今日で終わり。

私はそう思いながら、坂道を順調に登っていく。

季節は夏に入って、太陽の存在がますます大きくなって。

『七海』が一番輝く季節が、目の前に迫っていた。

『七海 花火大会』まであと1ヶ月、おそらく予約はバッチリ入っているはず。

やる気のエネルギーが、どんどん蓄積されていく気がする。


「あ……おはよう、菜生」


気持ちよく坂道を登っていると、散歩にでも行くのか、降りてくる剛と遭遇。

電動自転車は、止まることなくそのまま横をスルー。


「頑張れよ」


言われなくても頑張りますから。

私は無言の背中で、それを剛に伝えると、従業員専用の駐輪場に向かって、

さらに力強くペダルをこいだ。



仕事場に向かうと、

五代さんから『芹沢さんが呼んでいるから企画室へ行くように』と言われる。

服装はすぐにでも仕事を開始出来るよう、しっかり作業服に着替え、

それから企画室に向かった。


【10-1】



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