扉をノックすると、中から声が聞こえる。
失礼しますと言って開くと、ソファーに座っていた芹沢さんが立ち上がった。
「おはようございます」
「おはようございます……」
どうぞと言われて、向かい合うように座った。
テーブルに乗っていたのは、タブレット。
芹沢さんが何やら動かし、画面を出してくれる。
おそらく今朝、鬼ちゃんが言っていた、あのホームページに載せる……
「以前、お願いしたビデオですが、出来上がりました。
ホームページにはこれから載せることになりますが、まずは坪倉さんにと」
「はい」
やはりそうだった。
ボタンを押すと、以前の映像が流れ出し、私の声で説明が始まった。
BGMも心地よく加わり、一つの作品となっている。
『龍海旅館』に宿泊すると、どんな景色が見られるのか、地域の観光、
海の歴史、商店街の人達の愛想の良さなど、5分くらいのものだが、
『七海』に興味を持ってもらえるような、そういった温かい内容になっていた。
タブレットの映像が終了し、画面が黒になる。
「どうでしたか」
「自分の声だと思うと、なんとなくくすぐったい気分ですが、
思っていたよりもよかったかなと」
「はい、思っていた通りのものが出来ました」
芹沢さんは、私がOKの返事をしたので、これを載せる作業をしますと言ってくれる。
これで要件は終了だろう。
そういえばと思い、パーテーションの方を見るが、以前見えた場所に、
ぬいぐるみの足らしきものはなくなっている。残念、ここでは切り出せないな。
機材を移動させる芹沢さん。
坪倉菜生、色々とありますが、大丈夫ですよ、しっかり残って仕事をしますから。
「それでは……」
「あ……ちょっと待ってください」
仕事に戻ろうとしたが、芹沢さんに止められる。
「明日が休暇ですよね」
「はい」
「それならば、今日で清掃担当は終わりになります」
「エ……」
「五代さんが戻りましたし、大森さんの紹介で女性が1名明日から入ります。
男性の方にも1人決まっていますので」
新しい人が入ってくる。
「あの……」
「坪倉さんには、来週から『海ひびき』の方に加わっていただきます」
「『海ひびき』」
「はい、よろしくお願いします」
『海ひびき』というのは、『龍海旅館』と隣接するレストランのこと。
あまりにも予想外の話に、すぐ声が出なかった。
「仕事は10時からに変更されます。大丈夫ですか?」
レストランの忙しい時間を考え、勤務時間が1時間ずれるという。
芹沢さんは、まるで当然の人事異動のように、冷静に話をするけれど、私は……
「あの……お聞きしてもいいですか」
「はい」
「清掃担当から海ひびきに異動って。
私が『龍海旅館』に入れたのは、何を意味してですか」
人手不足であるのなら、それはそれだけれど、
慣れてきたところで、急に仕事場を変えられる。
もちろん、ずっと清掃担当でいたかったわけではないが、それなら順序が逆だろう。
新しい人が来たから、場所を空けるということは、
あなたはまた、別の穴埋めですと言われているようで、
『私の価値』とはどこにあるのか、それを問いかけたくなった。
「清掃から、レストラン……単なる、不足部分の穴埋めですか」
掃除をし、今度はレストランのウエイトレスなのか、皿洗いなのか、
また希望者が出てきたら、今度はまた別の場所の『穴を埋める』。
「穴埋め……」
「そうです」
「穴埋めをしていくことは、とても大切なことだと思いますが」
『穴埋め』
私自身に価値を見いだしているわけではなくて、ただ、しのげていけたらという言葉。
『そんなことではありません』とか、『こうした仕事をする前のステップアップ』だとか、
それなりに『穴埋めではない』と否定されるつもりで出した言葉なのに、
あっさりと受け入れられてしまった。
「わかりました」
鬼ちゃんが朝、話してくれた芹沢さんの態度が、本当なのかウソなのか、
なにがなんだかわからなくなるけれど。
「申し訳ありませんが、この先のことは、明日の休み1日で考えさせてください」
今日の仕事をおろそかには出来ない。清掃担当のみなさんには世話になったし、
お客様に迷惑もかけられない。でも、明日が休みなら、
その先については、考える時間が欲しい。
「失礼します」
私は黙っている芹沢さんに頭を下げると、企画室を出た。
『こういった方法はどうでしょうか』
東京で仕事をしていた頃、何かを提案しようとすると、
『あぁ、そうだね』と軽くわかったふりをされた。
それでもとくらいつけば……
『君の立場でさ、会社の10年後まで考えなくてもいいでしょう』
女性は、最初からどうせ辞めるだろうと思われていて。
『これ……誰が書き直した』
『はい』
『坪倉か、余計なことをするな。君にこれを頼んだ覚えはない』
自分の保身だけは必死の男性社員。
その小ささを笑うくせに、指摘はしない女子社員。
枠から少しでもはみ出すことを、極端に嫌がられて、最後の捨て台詞。
『言われたことをこなしなよ。余計なことはしなくていいからさ。
これは坪倉さんが責任取ってよ。あとで上に謝っておいて』
疑問など持たなくていい。言われたことだけをただこなせばいい。
もっと仕事場をよくしたい。風通しをよくしたい。
そんな余計なことをするから、変わろうとしない、変わりたくない人達にとっては、
邪魔になって。
全てはあなたの責任。
東京と七海。
場所も環境も全然違うのに、また同じようなことになる。
『掃除と言われたら掃除、レストランと言われたらレストラン』
言われたところで『はい』と頷き、働けばいい。お金はそれなりに入ってくる、
ただ、時間が来るまでいればいい。
何がいいのか悪いのかなど、考えることは損をする。
私の意見など、考えなど、最初から必要ないということだから。
4年生の大学を出て、仕事を始めたのに、
『七海』を出る時には、
これから何かをやってやるくらいに意気込んで出ていったのに。
『穴埋めをしていくことは……』
『穴埋め』か……空いているところに、ただはめられるだけってこと。
考えるなど、邪魔で無駄なだけ。
ここでもまた……
同じだ。
【10-2】
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