12 父の記憶を知る日 【12-3】



「剛……あ、あのね、樽井さん。仕事で『龍海旅館』に泊まっているの。
だからどういうことだったのか、話を聞きに……」


私は母に、家を出た事情を話した。母はわかっていると頷いてくれる。


「鬼ちゃんから聞いたよ」

「あ……うん」


そうだ、出発前に鬼ちゃんに話をしたっけ。


「樽井さんと、話は出来たの?」

「うん」


剛が父に話してしまう状態になったのはなぜなのか。

それから私は本当に不倫状態だったことを知らなかったし、驚いたことも話す。


「うん……」


怒って雷を落とした父と違い、母は冷静に聞いてくれている。

そう、冷静になってさえくれたら、それほどのことではないはずなのに。


「お父さんもさ、お母さんみたいにこう……なんていうのかな、冷静に聞いてくれたら、
こんなふうにならないでしょう」


私は、父がこれほど短気で、適応能力のない人間だとは思わなかったと母にこぼす。


「私の結婚について、今まで一度も意見を言ったことないでしょう。
東京からこっちに来ても、そんなこと一度も聞いたことないし。
あまりにも何も言わないからさ、どうしてって聞いた時には、
お前が幸せになればいいみたいな、そう、理解している父親のようなことを言ったの。
それなのに、今日なんてさ……」

「菜生……」

「ん?」


私は口に入れたご飯を噛みながら、母を見る。


「お父さんはね、菜生とは逆の立場だったから」


『逆の立場』

母の口から出たのは、思いがけない言葉だった。


「菜生は覚えていないよね、おじいちゃんのこと」

「あ……坪倉のおじいちゃん?」

「そう。覚えていないよね、菜生が2歳の時に亡くなったから」


坪倉の祖父。つまり、父の父は、私が2歳になったばかりの頃、病気で亡くなった。

今の父と同じように畳職人で、昔は和室も多かったため、

『坪倉畳店』ももっと羽振りがよかったと、母は話してくれる。


「でもね、その分、お義父さんの遊びも激しくて。おばあちゃんがいるのに、
外に女性がいるなんていうのは、当たり前みたいだったの」


祖父の若い頃の話など、今まで聞いたことがなかった。

母が坪倉家に嫁いできた頃には、もう、祖父の遊びもある程度収まっていたが、

父がまだ幼い頃には、祖父はほぼ家にいない状態だったと言う。


「家に?」

「そう……」


おじいちゃんに、赤ちゃんだった私を抱っこしてもらった写真はあるが、

さすがに声も姿も覚えていない。


「お父さんはおばあちゃんといつも二人でね。その頃にはもっと職人さんもいたから、
そのお世話はしなければならないでしょう。そういうことはさせるくせに、
自分は外に行ったっきり帰ってこない。お父さんはおばあちゃんの苦労を見てきたから、
だから『不倫』という響きが、本当に許せないのよ」


『七海』が観光地として、もっと勢いのあった頃のため、

祖父の相手だった女性は、それこそ『旅館』の仲居をしていた人や、

お座敷に呼ばれる芸者さん、時には、旅行に来ている女性などもいて、

祖母は、幼い父を連れて、その相手のところに祖父を呼びにいったこともあると言う。


「おばあちゃんが……」


思い出のないおじいちゃんとは違い、おばあちゃんの記憶はまだ鮮明に残っている。

お菓子作りが上手で、『みたらし団子』を作ってもらい、

その醤油だれを指につけては、いつも食べていた。


「お母さんは、樽井さん? その人の事情を知らなかったという菜生を信じているよ。
ううん、お父さんもきっとそう。でも、幼い頃の記憶がさ、
冷静な部分を切り取ってしまって、菜生の向こう側にいる樽井さんの奥さんの気持ちを、
おばあちゃんと重ねてしまって、あんなふうになったのよ」


父の事情。

おばあちゃんは、穏やかな人だった。

息子も一人、孫も私一人。

だから、いつもかわいがってくれて。

しわしわの手に触れると、いつも笑ってくれて。


「もう少し落ち着いたら、きちんと話をしなさい。
お父さんもきっと、冷静になれるから」

「……うん」


通りづらい食事をなんとか通し続け、食器を流しに片付け洗っていく。

泡を落とし、水切りカゴに食器を入れて、そのまま部屋に向かう。

いつもと同じような表情で、私を出迎えるぬいぐるみたち。

『サンサン』を持ったまま寝転んで、その肌触りのいい体を顔に乗せた。

妙なポーズだけど、これが落ち着く。



『あなた……』



あの日、剛の奥さんが部屋に入ってきた日。

私は、剛にウソをつかれた騙されたと、そのことばかりが頭にあって、

荷物を持って飛び出した。

でも、知らなかったこととはいえ、私は被害者だけではなく、加害者で。

東京を去る前に、奥さんには謝るべきだったのかもしれない。



ずるいのは、私も一緒なのかも。

知らなかったのではなく、知ろうとしなかった……



その日は1階が真っ暗になってから、静かにお風呂に入った。





色々な事情があろうがなかろうが、朝は来る。

階段をゆっくり降りて、食卓を見ると父の姿はなかった。


「おはよう」

「あぁ、菜生」

「……お父さんは?」

「ん? 珍しく散歩に出ていった」


散歩か……海にでも行ったのかな。

少し、ほっとする。


「お父さんも、昨日いきなり怒ったことを気にしているのよ。
菜生が仕事に出かけるのもわかっていて、あえて出ていったのかも」

「悪いと思うのなら、悪かったって言えばいいのに」

「まぁまぁ……」


母が支度している焼き鮭を、ひとつずつお皿に入れて食卓に運ぶ。

工場に鬼ちゃんが見えたので、軽く扉を叩いた。

『朝ご飯だよ』とわかるように。


「おはよう、鬼ちゃん」

「社長に会ったよ、海で」

「散歩だってね。娘の話も聞かずに、いきなり雷を落として恥ずかしいらしいよ」

「恥ずかしい? いや、そうでもないだろう」

「どういうこと」


鬼ちゃんは『椋さんに色々話していたからさ』と言いながら、洗面所に向かった。


【12-4】



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