12 父の記憶を知る日 【12-4】



「芹沢さんに? お父さんが何を話すのよ」

「さぁ、何を話していたのかな。俺はウォーキングで先に戻ってきたし」



お父さんと芹沢さん……嫌な予感しかしない。

さすがに『娘が不倫をしていまして……』なんて言わないだろうけれど。



「鬼ちゃん、今日は午前中、木村さんのところでしょう」

「はい、書道教室の畳を……」

「ねぇ、この間、うまく漬かったらお裾分けするって言ったから、
たくあん、持っていって」

「はい」

「そうしたらね、多分、『あら悪いわね』って言って、お野菜わけてくれると思う」


母は、『木村さんのところのネギは甘みが強くて美味しいから』と嬉しそうに話し出す。


「お母さん、袋3つあるけど、全て木村さん?」

「ううん、木村さんと厚子さんと……」


『厚子さん』、あぁ、洋平のところか。


「あと、五十嵐さん。この間、お父さん財布を忘れたまま飲み会に行ってしまって。
で、支払いをしてくれたらしいのよ。ねぇ、全く」

「ふーん……」


母の『たくあん外交』。

配達人は、文句を言わない鬼ちゃんの担当。


「鬼ちゃん、食べよう」

「あぁ……」

「お母さん、先に食べるよ」

「はいはい、どうぞ」


主のいない状態で、坪倉家のいつもの朝食が始まった。





「おはようございます」

「あ……おはよう」


父はどこまで散歩をし、誰に話しかけていたのか知らないが、結局、

私が家を出るまで戻ってこないまま。

私が10時に『海ひびき』に入ると、そこには芹沢さんがいて、

さらに月島さんと、あと数名初めて見るスタッフが入っていた。

個人的には芹沢さんに、

『父が妙なことを言っていませんでしたか』と聞きたいところだが、

そんな雰囲気ではないことくらい、瞬間的にわかったので、

景山さんに『何かありましたか』と聞く。

景山さんは、軽く頷いてはくれるが、具体的には言ってくれない。

それは『何かがあるけれど、今ここでは言えない』ということで。


「だから私が話しをした通りだ。この状態は、芹沢に責任がある」

「はい」

「どうするつもりだ。向こうのスタッフだって余裕がないぞ」

「宴会の時間には間に合うようにしてもらいます。『龍海旅館』の厨房で、
以前、『海ひびき』担当だったスタッフに、応援を頼みましたので」

「応援ねぇ……」


月島さんの『そんなことでいいのかよ』と言いたげな、いかにも不満そうな顔。


「でも、月島さん……」

「なんだ」

「古橋さん」


昨日、市尾さんと言い合った古橋さんの発言を、芹沢さんが止める。

古橋さんはそこで黙ってしまって。


「申し訳ないですが、急なことが起きても、お店を開けないわけには行きません。
今日もしっかりとお願いします」


芹沢さんがそう言っている間に、月島さんは『海ひびき』を出ていってしまう。

そういえば、市尾さんの姿がないけれど。


「市尾さんは……」

「急に、やってられないって怒ったらしい。今日はお休みだって」

「休み……」


厨房の中にいた古橋さんは、被ろうとした帽子を、台にたたきつける。


「いつまでも何言っているんだよ。味を見る舌の感覚も鈍くなっているし、
動きだって遅くなる。旅館の厨房で、迷惑がられていたことに気づいていないのは
本人だけだって」

「古橋……」

「小林さんみたいに、わかってくれている人がいるのは俺も心強いですよ。
でも、市尾さんはただ、引っかき回しているでしょう」


いつも皿洗いや雑用に徹してくれている小林さん。


「小林さんもね、以前は旅館の方の厨房にいたのよ、料理人として。
でも、自分から、もう以前と同じようには出来ないからって、配置転換を願い出たの。
今でも、作ることは出来る」

「そうですか」


自ら引き際を決めた小林さんと、それが出来ずにいた市尾さん。


「芹沢さんは、自分が悪者を買って出てくれた。古橋さんが言っていたように、
腕が落ちていることを、周りから指摘出来なくて。でも、不満は溜まるでしょう」


感覚勝負の世界でもあるが、そこはやはり仕事。

求められるものが出来なければ、引くしかない。


「月島さんだって、そう思っていたはずなのに、
自分はそういう面倒なところを引き受けないのよ。いつまでもダラダラ……で、
旅館の経費がかかるのに、それを気づかないふりして。
あっちにもこっちにも、いい顔をしようとする」


景山さんはそれだけを言うと、『頑張りましょう』と気持ちを切り替える。

芹沢さんはすぐに古橋さんと話をして、『海びびき』を出ていった。



「すみません、よろしくお願いします」


それから30分後、『龍海旅館』の厨房にいる若手が2名、ランチの対応にやってくる。

普段なら皿洗いなどをしている小林さんも、本来の力を発揮し、

追い込まれそうになる厨房を助けてくれた。

清掃担当とは違い、ここは役割分担がハッキリしているため、

いくら厨房が大変だと言っても、私はヘルプを名乗り出ることなど出来なくて、

せめてオーダーで間違いのないように頑張ろうと、その日はいつも以上に、

気持ちを引き締めた。





なんとかその日の勤務を終了し、家に帰ろうと思うものの、

朝、顔を合わせなかった父と、これから顔を合わせるだろうと思うと、

急に気持ちが重くなる。

さすがにこの時間からの散歩は、ないだろうし。


「坪倉さん」

「はい」


声をかけてきたのは、古橋さん。


「なんでしょう」

「あのさ、これ、芹沢さんのところに持っていってくれないかな」


渡されたのは、何やら紙が入った封筒。


「俺が行くと、月島さんのチェックが入るからさ、
また、何かしているのかと、芹沢さんが悪く言われる可能性もある。
だから、あまり疑いを持たれない人の方がいいかなと思って」


細かい事情はわからないけれど、私はわかりましたと封筒を引き受けた。

家に戻る時間が、1分でも遅い方がいい。


「坪倉さんは、芹沢さんが推薦した人だろう」

「エ……いや、そんなことはないと思います」

「違うの? だって、芹沢さんが言っていたよ。
これからすごく明るくて、仕事に前向きな人が来ますって。
ここの仕事もしっかり覚えてくれると思うので、よろしくお願いしますって」



よろしく……って?



「俺たちも含めて、『龍海旅館』がいい方向に動いて欲しいと願うスタッフは、
たくさんいるんだ。だから、坪倉さんも頑張って」


古橋さんは、また明日と言うと、スタッフの休憩場所から出ていった。

いつも厨房で忙しそうにしているので、こんなふうに会話をしたことがなかったけれど、

芹沢さんの実力を評価している人だと言うことはわかる。



『よろしくお願いします』って、

やだ、私、芹沢さんに推薦されたわけ?



そうか、やはり私は『芹沢派』ということになるのか。

明るくて仕事に前向きな人ねぇ……そんなこと、私には全然言わないくせに。


『菜生さん……』


あぁ、もう、遠慮なんかしなくていいのにな。

小さなことでも、どんどんそういうことは本人である私に言ってくれないと。

私、坪倉菜生は、褒められて伸びるタイプですので。



私は少しだけ気分をよくしたまま、『企画室』に向かう。

扉をノックすると、返事があるかと思ったが全然なくて。

もう一度、もう一度としてみたものの、やはり返事はない。

試しにドアノブをひねると、扉は施錠されていないため、開いてくれた。



が……



「芹沢さん!」


ソファーでうつ伏せ状態になり、倒れているのは、まちがいなく芹沢さんだった。


【12-5】



コメント、拍手、ランクポチなど、みなさんの参加をお待ちしてます。 (。-_-)ノ☆・゚::゚ヨロシク♪

コメント

非公開コメント