13 東京を捨てる日 【13-2】



「私はここで……『七海』で出直す」


『七海』を出て行ったけれど、『七海』に戻ってきたから。

昔とは違う気持ちで、今度はここで、自分の場所を探す。


「8年間の東京暮らしも、きっと意味を持つ日が来るよ、菜生」


鬼ちゃんの言葉。

それは悲しい出来事から逃げようと、同じような月日を、

『七海』で送ってきた鬼ちゃんだから、言えることなのかもしれない。


「うん……」


雷から始まった『親子の会話』は、『ハイボール』のように、

少しの刺激を与えながら、それでも軽やかなものに変えていく。

これで……


「孤独になる覚悟があれば、前に出られます」

「エ……」


私の宣言を聞いていた父の台詞。『孤独になる覚悟』って何?

どこからそんな言葉を……


「なんですかそれ」


鬼ちゃんも、私の感情と同じような反応をする。

孤独だの覚悟だの、話が重たくなりそうだけど。


「いや、今朝な、ほら、『龍海旅館』の芹沢さんに会って、話をした時に、
彼がそう言っていた」

「芹沢さんが?」

「あぁ、樽井さんがお前のことを話している中で、菜生が菜生なりに、
仕事でトラブルを抱えていたことも聞いたって、町内会長さんが……」


そういえば、剛に愚痴を言ったこともあるかもしれない。


「思ったことを口にすると、敵も増えるという話になったんだ。
そのときに、戦うことは確かに難しい。でも、『孤独になる覚悟があれば……』と、
彼はそう言っていた」


孤独になる覚悟。

3年間で、『龍海旅館』を上向きに変えた人の言葉。


「人は弱いからな。自分の思いがあっても、人と違うかもしれないと周りを見て、
はみ出さないことばかりを考えて生きていくことの方が多い。
形に収まっていたら、楽だから」


飲み会では『そうだ、そうだ』と勢いづいても、

いざとなると、黙ったままになる同僚たち。


「うん……」

「おそらく、お前が裏切られたと思った同僚の中にも、
『どうしよう』と悩んだ人もいるはずだ。
みんながみんな、手の平を返したわけではないと思うぞ」


気持ちでは理解出来ても、行動まで出来ない人達。


「そうかな……」


思いは出してもらわなければ、伝わらない。

もし、少しでも理解出来ると思ってくれたのなら、そのサインは欲しかった。


「でも、お前はそういう……ようするに黙って知らない振りをするタイプではない。
自分が思ったこと、気づいたことがあればそれを実行しようと今までもしてきたし」

「うん」

「考えを押し殺して黙っていても、きっとストレスが溜まって、
結局どこかで仕事を辞めることになっただろう。
『孤独になる覚悟があれば、前に出られる』と、芹沢さんが言っていたけれど、
お前にはその覚悟がなかったから傷ついた、それだけだ」


みんなも同じように賛同してくれると思っていたことは、確かにある。

結局、身を守ることを一番大事なことだと、同僚は考えた。

言いたいことに蓋をして、なかったことに出来る性格ならそれでもいいが、

私には……


父の言うとおり、きっとそれは無理だったはず。


「どっちみち辞めることになるのなら、言いたいことを言えた方がいいだろう」

「どっちみち……」


そうか、問題を見て見ぬ振りして過ごせない以上、どこかでこうなった。


「そうか、そうだね」


父は『もう一度乾杯だ』と、残り少なくなった『ハイボール』のグラスをあげる。


『孤独になる覚悟』

昨日、公園の街灯の下に立っていた、芹沢さんの表情を思い出す。

誰もいないような場所で、わざわざ時を過ごす必要が、あの人にはあるのだろうか。


「ねぇ……今日は、お寿司取らない?」

「なんだ、夕食作っていないのか」

「お父さんが、菜生と一杯飲むって言うから、おつまみだけをちょこちょこ……ね」


母は、『寿司幸』さんならすぐに持ってきてくれるわよと、

すでに右手に電話を持った状態でこっちを見る。


「ったく、超特急で頼むと言えよ」

「はいはい」


『おかわりはなし』の話だったはずなのに、結局、お寿司が届くまでの時間、

母を交えて、坪倉家では『愚痴り飲み会』が開始される。


「高いのよ、野菜が」


一番発言をしていたのは、家計を任される主婦の母で、

私は何度か頷きながら、空いたお皿を流しに片付けた。





「これは結構な雨だ」

「そうね……」


『龍海旅館』で働き出してから、当然、毎日晴れていたわけではないが、

次の日は、天気予報の予想以上に、荒れた空模様となった。

雨の量は確かに多いが、風がそれほどないのは幸運と言える。

勤めにいかないという選択肢はないため、レインコートを着始めた。

向こうにつけば着替えがあるし、とりあえず体だけ到着すればどうにかなるだろう。


「大丈夫? 菜生」

「なんとかなるよ、電動自転車だし。風はそれほどでもないしね。
歩いて行ったら逆に大変だもの」

「まぁ、そうよね」


母はカーテンの隙間から外を見る。


「こういう日は、お客様も少ないでしょうね」

「個人的な飛び込みはね。でも、『海ひびき』のメインは、観光バスだから、
ツアーは相当のことがない限り、中止にはならないでしょう」


景山さんの話だと、今日も数台バスの予約が入っていたはず。

そういえば、市尾さん、戻ってくるだろうか。


「いってきます」


家族の『気をつけなさいね』の声に見送られ、私は雨の中、電動自転車で走り出す。

商店街の中も、今日は人がいない。

洋平の『伊東商店』を通り過ぎ、坂道の方に向かうと、理子の家が……



あれ?



駐車場に停めた車から降りてきたのは、芹沢さん。

芹沢さんはすぐに傘を開き、早足で『関口内科、産婦人科』の中に入っていく。

朝から病院……産婦人科に向かった可能性は少ないだろうから、

内科だとして、風邪でも引いたのかな。

あ、そうだ、昨日変な寝方していたよね、あの企画室で。

私、一瞬倒れていると思ったくらいで。

一度は止めた足を、もう一度ペダルに乗せ、私はさらに上を目指した。


【13-3】



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