18 天気が崩れた日 【18-2】



「坪倉さん……これは……」

「あ、はい。少し前に終わりました」

「あ、そう」


朝から、田川さんの不満そうな顔。

フロント補佐業務について2週間が過ぎた頃には、敵が何を言ってくるのか、

少しずつわかるようになってきたため、『先手』をなるべく打っておく。

押しつけられるのはあまり好まないので。


「他に何かありますか」


さぁ、何かあるのなら寄こしなさい。

私はあなたの挑戦を、ことごとく受けて立つ覚悟がある。

自信満々な視線を向けると、田川さんはそのままフロントデスクを離れてしまう。


「ふぅ……」


なんて大げさだけれど、でも、少しずつ仕事は覚えてきた。

最初に聞いたあれこれの中から、

とりあえず、木立さんからPCを使う予約確認を覚えるように言われているので、

今はそこに集中していて、だいたいデスク周りにいるだけで1日が終わっていく。

もぐらのように、窓のない場所で一日過ごしている私。

今日もそうなのかな。



季節は完全な夏なのに、あぁ、太陽が……懐かしい。

『七海花火大会』があさってに迫っているけれど、ここでは見えないし……



「坪倉さん、ウエルカムドリンクが来たから、確認頼める?」

「はい」


やった、ここから出て行ける。

私はPC画面を一度フラットに戻し、席を立った。



『龍海旅館』には『ウエルカムドリンク』が存在していて、

お客様が到着すると、とりあえずラウンジに座ってもらうことが多い。

それはチェックインの時間が重なったりして、

荷物を持ったまま待たせてしまうこともあるし、

駅からの景色を楽しみながら、上に自力で登ってくる人達にとっては、

疲れで上がる血糖値を下げるという意味もあるという。

そう、お部屋に置いてあるお菓子、あれもそういう意味がある。

『旅館に着いた。温泉があるから、すぐに入ろう』というのは、実は身体によくなくて、

少し糖分を入れることで、実際、お風呂で倒れてしまうことなど、

事故を防げていると言う。


「チェック……チェック……」


私はメモを持ち、少し早足で進む。


「すみません、お待たせしました」

「……なんだ菜生か」


そう、運んできたのが洋平であることを知っていたため、緊張せずに前に出る。


「なんだとは何よ、仕事、仕事」

「わかってるよ」


洋平の両肩が少し濡れていた。

顔を上げて外を見ると、黒い雲が増えていて、窓に水滴がついている。


「エ……ウソ、雨降ってきたの?」

「あぁ、10分くらい前にな。それより風だよ、風」

「風?」


そう言われて庭の木々を見ると、確かに大きく揺れていた。

この風なら、海も相当波が高いはず。


「そういえば台風が近くなるとか、ニュースで言ってたね。
うわぁ……ピンチじゃない。花火大会」


『七海』の観光、夏の一大イベント。

それを目的に宿泊するお客様で、明日から予約はいっぱいだ。

天候で中止になったとしても、こちら側が謝罪をする必要はないけれど、

やはりがっかりされているのを見るのは、こちらも辛くなりそうで。


「『花火大会』はあさってだろ、それまでにはあがるよ。
予想よりもコースがずれているみたいだって天気予報で話していたし。
あ、でも、風はものすごく強いから、菜生、自転車だろ。気をつけろよ」

「うん」


私はメモを見ながら、洋平と一緒に、飲み物の名前や数を確認する。

ケースに印をつけてくれているので、わかりやすい。


「洋平、これからまだ配達?」

「あぁ、今日は市役所通りの方まで行ってくる」

「役所の方まで? すごいね伊東商店。なかなか幅広くお商売を……」

「そうやって小回りきかせないと、うちみたいな店はすぐに潰れるんだよ」


洋平は請求書を差し出してくる。


「あ、そうだ、これも芹沢さんに渡してくれる? 今日はいないだろ」

「あ……うん」


茶色の封筒、私は請求書と別のものを受け取った。

そう、芹沢さんは本日『東京』まで出張中。

どういう内容で行っているのかは、何も知らないけれど。


「よし、奥まで運ぶよ」

「ありがとう」


洋平が台車を押し、私もその後に続く。

さらに強い風が吹いたのか『ビュー』という音に、思わず外を見た。


「……引っ越すって?」

「エ……」


洋平の言葉が聞き取れなくて、聞き返した。

でも、『引っ越し』というキーワードだけは聞こえてきたから、

少し頭をひねれば誰のことなのか、わかって。


「うん、引っ越すって。この間、部屋がほぼ決まったって言ってた」

「……そうか」


洋平の返事。『そうか』の文字が、すごく寂しそうなトーンで。

理子のこと、もっともっと聞きたいことがあるだろうに、言えなくて。


「理子のうち、基さんが戻るでしょう。どうも結婚相手もいるようで、
おじさんも数年したら、病院を譲ろうとしているみたいだしさ」

「あぁ、らしいな」


洋平の『知っている』という返事。

そうだよね、私、何を話しているのだろう。

洋平は地域の酒屋なのだから、それくらいの情報はとっくに入っている。


「理子も、環境を変えてみたいようだし、きっと新しいことを始めると、
気持ちも切り替わると思うのかもね」


理子が落ち着いたら、きっと話してくれることがあるはず。


「ここに置くぞ」

「うん」


洋平はそれ以上何も言わず、黙々と仕事をして、『龍海旅館』を出て行った。

お見合いの人とは、結局交際に発展することはなかったのかな。

もし、話が動いているのなら、おばさんが母に何も言わないなんてあり得ないし。


「じゃぁな、頑張れよ」

「うん、洋平も」


『伊東商店』の名前がついている軽トラック。



『もう少し……待っていて、洋平』



私は車を送り出しながら、心の中でそうつぶやいた。


【18-3】



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