19 指を握る日 【19-3】



「お気遣いありがとうございました。本当に助かりました」

「いえ……とにかく洋平君の意識が戻って、本当によかったです」


次の日、理子と二人で旅館の朝食を食べて、私はそのまま勤務に入った。

制服に着替えるため、そこは問題なく出来る。

休み時間を使って、芹沢さんにお礼を言うため、企画室へ向かった。


「関口先生のお嬢さんも、落ち着かれましたか」

「はい。変な言い方ですけれど、今回の事故が洋平と理子には、
新しいステップになってくれる気がします」

「新しいステップ」

「はい」


そう、理子は洋平の大切さをあらためて知った。

『失う』ことの怖さと、『今』の大切さ。


「あ、そうです、芹沢さん。うちの朝食、ものすごく美味しいですね。
私、『海ひびき』は家族で利用したこともあるのですが、
正直、『龍海旅館』は初めて宿泊したので」

「そうですよね、地元だし」

「はい。でも、また理子と話をして、たまには自分たちでお金を出して、
ここでゆっくりするのもいいねと」


私たちの場所は『プロペラ』だと思っていたが、二人でお金を出し合って、

のんびり話し込むのもいいねと気がついた。

閉店時間もないし、他の客の妙な笑い声も入ってこない。

逆に大笑いをしても、転げ回ってもいいわけで。


「それではぜひ、ご利用ください」

「はい、ありがとうございます」


私はそのまま芹沢さんに頭を下げ、企画室を出ることにする。

扉を静かに閉めて、仕事場へ戻った。





洋平が事故に遭って、3日が経過した。

意識がしっかりしたと言われ、すぐにでも病院に行きたかったが、

『七海花火大会』が予定通り行われ、『龍海旅館』も満室状態になり、

フロントもてんてこ舞の忙しさだった。

さらに『海ひびき』でも、食事をしながら、花火大会を楽しむ人も多く、

そちらからのSOSも入ってくる。


「お疲れ様でした」

「お疲れ……」


浮かれた状態が一段落し、検査なども終了したと聞いた昨日の夕方、

仕事を終えた私と理子が一緒に、初めて洋平の病院に行くことになった。

病室に入ると、洋平は『大丈夫だ』という意味なのか、手を少しあげてくれて。

その目は、しっかり理子を捉えていた。





「ん?」

「ん? って、鬼ちゃん聞いている? 私の話」

「聞いているよ、もちろん。でも理子ちゃんをって、それはまぁ、そういうものだろう」

「そういうもの?」

「そう……。洋平君は、大変な状況から抜け出たのだから、
心の芯が一番最初に命令をするものだ」

「心の芯……、まぁ、そういうものなのは私にもわかる。
でも、洋平ほど露骨に出す人はいないと思う。私だってさ、心配していたのに」


洋平の見舞いを終えた次の日、本日は仕事休みの私。

朝食を終え、洗濯を終え、たまには工場の掃除を手伝うことにする。

父は仕事依頼を受けた不動産業者に向かい、母は少し前に銀行から戻ってきて、

鬼ちゃんは頼まれていた小物作り。


「夕食だってさ、あの事故の日、半分しか食べていないんだよ、この私が」


そう、話は病院に行った日、つまり昨日のこと。

洋平の横についていたおばさんに、

『菜生ちゃんも理子ちゃんも、もう少し近くに立って話してあげて』と言われ、

二人でベッドの横に立つと、あいつは点滴で固定された左手ではなく、

一生懸命に右手を伸ばし、理子の指をつかんでいて。


「ありがとうの握手じゃないの、理子の指だけずっとつかんでいるの」


私は話しながら、ホウキでゴミをまとめて、決めた場所に動かしていく。


「なんだよその言い方、つまり、菜生も洋平君に指をつかまれたかったのか?」


鬼ちゃんは笑いながらそう言ってくる。


「いいえ、別に」


別に、洋平に指をつかまれたくはないけれど……


「ならいいだろうが」

「いや、だからいいけれど。一応さぁ、私がいることも認めないとダメでしょう」

「存在くらいは認めていただろう」

「そうかな……」


医療機器を体につけられた洋平、その姿を見て涙を流す理子。

その時出来る精一杯の顔で、心配するなと合図をする洋平に、

なんとか頑張って笑おうとする理子。

二人の止まっていた時計が、思ってもみなかったところから動き出した。


「そうそう、今朝、こっちに来る時に関口さんの奥さんに会って、
理子ちゃんは今日も病院に行ったって聞いたよ」

「そうだってね。お母さんも今、銀行で洋平のおばさんと会って聞いてきたって。
理子ちゃんが来てくれることになって、洋平が嬉しそうなの……って」


洋平の指つかみに応え、『10年間のもやもや』を乗り越えようと決めた理子は、

昨日に引き続き、病院に向かった。

鬼ちゃんは私の愚痴を聞きながらも、止まることなく、仕事を進める。


「でも、よかったな、頭を打って一時意識混濁が起きたとはいえ、
洋平君の骨折はたいしたことじゃなくて」

「うん、そうなの、本当によかったなって」


脳のデータも取って、後遺症にもならないだろうと診断されたらしい。

洋平は地元を愛して、お店をしっかり頑張っているから、

超特急で治してやろうと、神社の神様も考えたのだろう。


「まぁ、それくらいの『運の良さ』がないとね、あいつ真面目だし」


芹沢さんも、これから一緒に仕事が出来ると……


「あ……」

「今度はなんだよ」

「忘れてた」


そうだった。事故の前、『ウエルカムドリンク』を配達しに来た洋平から、

芹沢さんにと渡された封筒。何しているの私、芹沢さんに渡せていない。

部屋を取ってもらったお礼の時、渡せたのに。

うわぁ……最悪。


「『龍海旅館』に行ってくる」

「休みじゃないのか」

「渡すものがあったこと、忘れていた」


洋平の事故のことで、全てが頭の中から飛んでいて。

あの封筒が、何か大事なことだったら困る。

怪我が治った洋平に、『何をしているんだ』とこっぴどく怒られそうだ。


「あら、菜生、どこに行くの」

「『龍海旅館』」

「エ……今日、仕事だったの?」

「違うけどいいの」


自転車を漕ぎだし、坂道を登る。

理子がいない『関口内科産婦人科』の事務担当は、

新しく入った迫田さんが頑張ってくれているだろう。

最初は引っ越しをして、仕事を辞めると言った理子に反対したが、

今思うと、逆によかったのかもしれない。

何しろ、これからしばらく、理子は『洋平専属状態』だろうし。



でも、幸せな二人を待ち望んでいたのは、この私。

『関口内科産婦人科』を通り過ぎながら、そんなことを考えた。


【19-4】



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