「お気遣いありがとうございました。本当に助かりました」
「いえ……とにかく洋平君の意識が戻って、本当によかったです」
次の日、理子と二人で旅館の朝食を食べて、私はそのまま勤務に入った。
制服に着替えるため、そこは問題なく出来る。
休み時間を使って、芹沢さんにお礼を言うため、企画室へ向かった。
「関口先生のお嬢さんも、落ち着かれましたか」
「はい。変な言い方ですけれど、今回の事故が洋平と理子には、
新しいステップになってくれる気がします」
「新しいステップ」
「はい」
そう、理子は洋平の大切さをあらためて知った。
『失う』ことの怖さと、『今』の大切さ。
「あ、そうです、芹沢さん。うちの朝食、ものすごく美味しいですね。
私、『海ひびき』は家族で利用したこともあるのですが、
正直、『龍海旅館』は初めて宿泊したので」
「そうですよね、地元だし」
「はい。でも、また理子と話をして、たまには自分たちでお金を出して、
ここでゆっくりするのもいいねと」
私たちの場所は『プロペラ』だと思っていたが、二人でお金を出し合って、
のんびり話し込むのもいいねと気がついた。
閉店時間もないし、他の客の妙な笑い声も入ってこない。
逆に大笑いをしても、転げ回ってもいいわけで。
「それではぜひ、ご利用ください」
「はい、ありがとうございます」
私はそのまま芹沢さんに頭を下げ、企画室を出ることにする。
扉を静かに閉めて、仕事場へ戻った。
洋平が事故に遭って、3日が経過した。
意識がしっかりしたと言われ、すぐにでも病院に行きたかったが、
『七海花火大会』が予定通り行われ、『龍海旅館』も満室状態になり、
フロントもてんてこ舞の忙しさだった。
さらに『海ひびき』でも、食事をしながら、花火大会を楽しむ人も多く、
そちらからのSOSも入ってくる。
「お疲れ様でした」
「お疲れ……」
浮かれた状態が一段落し、検査なども終了したと聞いた昨日の夕方、
仕事を終えた私と理子が一緒に、初めて洋平の病院に行くことになった。
病室に入ると、洋平は『大丈夫だ』という意味なのか、手を少しあげてくれて。
その目は、しっかり理子を捉えていた。
「ん?」
「ん? って、鬼ちゃん聞いている? 私の話」
「聞いているよ、もちろん。でも理子ちゃんをって、それはまぁ、そういうものだろう」
「そういうもの?」
「そう……。洋平君は、大変な状況から抜け出たのだから、
心の芯が一番最初に命令をするものだ」
「心の芯……、まぁ、そういうものなのは私にもわかる。
でも、洋平ほど露骨に出す人はいないと思う。私だってさ、心配していたのに」
洋平の見舞いを終えた次の日、本日は仕事休みの私。
朝食を終え、洗濯を終え、たまには工場の掃除を手伝うことにする。
父は仕事依頼を受けた不動産業者に向かい、母は少し前に銀行から戻ってきて、
鬼ちゃんは頼まれていた小物作り。
「夕食だってさ、あの事故の日、半分しか食べていないんだよ、この私が」
そう、話は病院に行った日、つまり昨日のこと。
洋平の横についていたおばさんに、
『菜生ちゃんも理子ちゃんも、もう少し近くに立って話してあげて』と言われ、
二人でベッドの横に立つと、あいつは点滴で固定された左手ではなく、
一生懸命に右手を伸ばし、理子の指をつかんでいて。
「ありがとうの握手じゃないの、理子の指だけずっとつかんでいるの」
私は話しながら、ホウキでゴミをまとめて、決めた場所に動かしていく。
「なんだよその言い方、つまり、菜生も洋平君に指をつかまれたかったのか?」
鬼ちゃんは笑いながらそう言ってくる。
「いいえ、別に」
別に、洋平に指をつかまれたくはないけれど……
「ならいいだろうが」
「いや、だからいいけれど。一応さぁ、私がいることも認めないとダメでしょう」
「存在くらいは認めていただろう」
「そうかな……」
医療機器を体につけられた洋平、その姿を見て涙を流す理子。
その時出来る精一杯の顔で、心配するなと合図をする洋平に、
なんとか頑張って笑おうとする理子。
二人の止まっていた時計が、思ってもみなかったところから動き出した。
「そうそう、今朝、こっちに来る時に関口さんの奥さんに会って、
理子ちゃんは今日も病院に行ったって聞いたよ」
「そうだってね。お母さんも今、銀行で洋平のおばさんと会って聞いてきたって。
理子ちゃんが来てくれることになって、洋平が嬉しそうなの……って」
洋平の指つかみに応え、『10年間のもやもや』を乗り越えようと決めた理子は、
昨日に引き続き、病院に向かった。
鬼ちゃんは私の愚痴を聞きながらも、止まることなく、仕事を進める。
「でも、よかったな、頭を打って一時意識混濁が起きたとはいえ、
洋平君の骨折はたいしたことじゃなくて」
「うん、そうなの、本当によかったなって」
脳のデータも取って、後遺症にもならないだろうと診断されたらしい。
洋平は地元を愛して、お店をしっかり頑張っているから、
超特急で治してやろうと、神社の神様も考えたのだろう。
「まぁ、それくらいの『運の良さ』がないとね、あいつ真面目だし」
芹沢さんも、これから一緒に仕事が出来ると……
「あ……」
「今度はなんだよ」
「忘れてた」
そうだった。事故の前、『ウエルカムドリンク』を配達しに来た洋平から、
芹沢さんにと渡された封筒。何しているの私、芹沢さんに渡せていない。
部屋を取ってもらったお礼の時、渡せたのに。
うわぁ……最悪。
「『龍海旅館』に行ってくる」
「休みじゃないのか」
「渡すものがあったこと、忘れていた」
洋平の事故のことで、全てが頭の中から飛んでいて。
あの封筒が、何か大事なことだったら困る。
怪我が治った洋平に、『何をしているんだ』とこっぴどく怒られそうだ。
「あら、菜生、どこに行くの」
「『龍海旅館』」
「エ……今日、仕事だったの?」
「違うけどいいの」
自転車を漕ぎだし、坂道を登る。
理子がいない『関口内科産婦人科』の事務担当は、
新しく入った迫田さんが頑張ってくれているだろう。
最初は引っ越しをして、仕事を辞めると言った理子に反対したが、
今思うと、逆によかったのかもしれない。
何しろ、これからしばらく、理子は『洋平専属状態』だろうし。
でも、幸せな二人を待ち望んでいたのは、この私。
『関口内科産婦人科』を通り過ぎながら、そんなことを考えた。
【19-4】
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