25 哀しい叫び

25 哀しい叫び


蓮が母と会ってから、早いもので1ヶ月が過ぎた。


突然呼び出され、蓮の話や父のピアノの音に心を乱された母は、

あの日それ以上何も語ることなく、大学をあとにした。

雪岡教授は、時間がかかることを覚悟しろと、私と蓮にアドバイスをくれ、

懐かしい父の声が聴けたことを、素直に喜んでくれた。


そして、賞味期限の問題でマスコミに叩かれた『ふたば』も、大きく経営悪化になることなく、

採用は予定通り行われることになり、蓮の卒業も、就職先も、とりあえずの心配事はなくなった。


田舎へ戻った母からは、その後何の連絡もない。


娘としてはどこか申し訳なさを持ちつつも、私はこの1ヶ月、いつもの日々を過ごす。

料理教室を終え、片づけを手伝っていると、菊川先生からこの後、

ここへ蓮のお母さんが来るのだと聞かされた。

迷いながらではあるが、前進する中、まだ、お母さんにだけは蓮も語れずにいる。

正直、どう切り出したらいいのかがわからないのかもしれない。


「節子にはいつ話すの?」

「蓮は、もう一度お父さんと話をした後、とりあえず広橋家だけで話をしたいって言うんです。
私が冷たくされるのを見たくないんだと思うんですけど、時間ばかりとられていては、
逆にこじれそうな気がして」

「こじれる?」

「はい、今、何も知らないでいるのは、結局、蓮のお母さんだけになっているので」

「あ……そうよね」


18年前のことを、私たちが全て知っていること、それよりも、蓮と付き合っている私が、

園田修一の娘だと言うことを、お母さんはそう簡単に受け入れはしないだろうと思い、

布巾を絞る手の力が自然に抜ける。


「節子の性格じゃ、蓮と稔さんが言い出したら、そこから動かなくなると思うけどな。
どうせ話すのなら、蓮と二人で正面からぶつかった方が、いいような気がするけど」


菊川先生は道具を入れた後、棚の鍵を閉めるとそう言った。

蓮のお母さんを知っている先生の意見は、いつもピタリと当たる。


「ここで会うのはどう? 今日みたいに何か用事を見つけて私が呼ぶから。
喫茶店やレストランだと、周りも気になるでしょ。でも、ここなら時間も気にしないでいいし、
節子を呼びやすいから」


菊川先生の言うとおりだと思った。

蓮が今まで逃げてこなかったように、私も一緒にぶつかるべきだと思えた。

結局、その日は蓮のお母さんとの鉢合わせを避けるため、私はすぐに教室を出た。





蓮のお父さんと再び会ったのは、それから1週間後のことだった。

以前のようなかしこまった店ではなく、会社の近くにあるレストランで待ちあわせをする。

母が蓮の話を聞き、父の演奏を聴き、そのまま戻ったことを告げると、

母の深い悲しみを想い、蓮のお父さんは申し訳ないと頭を下げてくれた。


「何を今更と、思われただろうな」

「でも、最後までちゃんと聞いてくれたよ。許さないと言われたけれど、
こうしていがみ合っていることを一番嫌がるのは亡くなった二人じゃないかと、
雪岡教授が言ってくれて……」


蓮はあの日のことを語り、連れ戻すと言ったお母さんから何も連絡がないのは、

少しずつだけれど、気持ちが前進しているのではないかと、そう付け加えた。

蓮のお父さんはしっかりと頷きながら話を聞き、お冷を一口飲むと私の方を向く。

どうか、前向きに考えて欲しいと、訴えかけるような視線を向けるくらいしか、

今の私にはやることがない。


「父さん……。あのさ、最初は先に母さんと話をしようと思ったんだけど、
とみちゃんに入ってもらうことにした。敦子のことも知ってくれているし、
母さんとも長い付き合いだし、僕のこともよく知ってくれている。
この間、敦子のお母さんとお姉さんが来てくれたときも、雪岡教授がいたことが、
とてもプラスだったし、冷静に話が出来る気がして」

「菊川さん? 敦子さん、登美子さんを知っているの?」


私は、偶然飛びこんだ料理教室が、菊川先生のところだったことを話し、

蓮と知り合いだったことは後から知ったのだと説明した。

優しい先生の助言に何度も励まされ、ここまでたどり着いたことは、感謝しきれないほどだ。


「そうか、わかった。どちらにしても母さんには辛い話になるだろうが、
雪岡教授のおっしゃるとおり、このままの状態を一番気にしているのは、
亡くなった幸なのかもしれない。登美子さんが事情を知ってくれているのなら、
母さんのためにもそうしてやってくれ」


お父さんは自分自身を納得させようとしているのか、小さく何度も頷いた。

私は、右に左に動きながら、また少しだけ前進したことを自分自身で感じ取った。





それから2週間後の日曜日、菊川先生が『お菓子の試食』だと理由をつけて、

蓮のお母さんを料理教室へ呼び出した。私と蓮はそれより少し前に到着し、準備をする。


「緊張するでしょ、こういうのって」

「はい……。色々調べるのに時間がかかったとはいえ、
なんだかずっと黙っていたことが申し訳ない気がして……」

「仕方ないよ敦子。18年前のことを調べる前じゃ、
僕らもどうしていいのかわからなかったんだ。確かに、黙っていたことは事実だけど、
先に話をしたら意地を張って来てくれないという、とみちゃんの読みが正しいと思う」


不意打ちになるような気がして、少し気持ちは晴れなかったが、

それでも場を整えるにはこうするしかなく、私と蓮はその時を待った。





「登美子……」

「あ、節子、いらっしゃい」


菊川先生以外はいないだろうと思っていたお母さんは、私と蓮の姿を見て、

一瞬驚きの表情を見せた。ただならぬ雰囲気に何かを感じ、中へ入ることためらっている。


「母さん、ごめん」

「蓮……どうしてあなたがここにいるの」


病院で偶然会ったことを、覚えていてくれているだろうか。

私はこの後の動揺が、なるべく軽く済むようにと祈りながら頭を下げる。

蓮が入り口の扉を閉め、お母さんを私たちが座るところまで案内した。

あれから体調はいいのだろうか。少しだけ頬がふっくらした気がする。


「今日はね、蓮と……この垣内さんにも試食を頼んだの。
いろいろな意見を聞きたかったし、話もしたかったから」

「話?」


今までおそるおそるだったお母さんの目が、菊川先生がテーブルに置いてくれた

『フィナンシェ』を見た瞬間、私を捕らえた。


「あ……、あなた、前に病院で会ったことなかった?」

「はい……」


自然に私のことを思い出すようにと、

菊川先生はあの日と同じリボンをつけたものをセットしてくれたのだ。

そのタイミングを狙って、菊川先生が、話の口火を切ってくれた。


「垣内さんはね、私の生徒なの。優しくてかわいらしい人なのよ。
蓮が好きになるのも無理ないくらい」

「エ……?」


動き出した話の中で、まだリズムがつかめない蓮のお母さんは、

私が蓮と付き合っている事実を聞き、驚きの表情から止まってしまった。

蓮は、私が大学の事務局にいた時に好きになったことを話し、

学生と職員との恋が難しいことで、私が大学を辞めたことも話す。


「『松井水道』さんに再就職して、通勤の途中でここを見つけてくれたの。
私が蓮を知っていることも知らなくて、3人で驚いたのよね」

「あぁ……」


2つ年上の私と、将来を考え付き合っているのだと蓮はお母さんに話し続け、

それを微笑みながら聞く菊川先生は、私が気立てもよくいい子なのだと付け加えてくれた。

口を挟むことも出来ない私は、ただ、お母さんの表情だけが気になり、

口元と目を何度も見続ける。


「じゃぁ今日は蓮の交際宣言を聞きに来たってことなの? もう……何よ、蓮。
そんなことなら、わざわざ登美子の力を借りる必要もないじゃないの。
私が、頭から反対するとでも思ったの?」

「いや……」


私の隣に座った蓮は、ここからだとばかりに私の手を握った。

菊川先生に話したときも、お父さんに話したときも、必ず手を握り、心の準備を教えてくれる。


「もっと早く言おうと思ってたんだ。敦子が大学を辞めて、再就職して、
僕が就職を決めたらって……でも、どうしても知らないとならないことが出てきて、
ここまでかかった」


蓮が語り始めた時、菊川先生は立ち上がりコーヒーをカップに注ぎ始めた。

コトコト……という音が聞こえ、鼻に確かな香りが届く。


「敦子は……園田先生の娘なんだ」


明らかに変わったであろうお母さんの表情を、私は見ることが出来なかった。

気になりすぎて、心に残りそうで、目に焼き付けられるのが怖かった。


「……どういう……こと?」

「垣内敦子さんっていうのは、お母さんの旧姓を使うことになったからで、
生まれた時の名前は、園田敦子……って言うんだ。姉さんの……」

「登美子……あなた知っていたの? ねぇ、知っていてこの二人を見てきたの?」

「節子……落ちついて」

「何が落ち着けよ、あなた知っているでしょ、幸がどんな風に死んでしまったのか。
園田先生が幸に何をしたのか! ねぇ、登美子!」

「母さん……僕はもう、全てを知っている……」


長い時間をかけて、想いを整理してきた蓮の落ち着いた言葉が、お母さんの耳に届き、

一瞬静けさが戻った。何秒後かに私が顔を上げる。


「何を知っているの」

「あの日のことも、父さんから全て聞いたんだ。母さんが姉さんの事故に対して、
申し訳ない気持ちを持っていることも理解した。だからこそ……」

「何を知っているって言うの……何を知っているのよ……」


お母さんは目を閉じたまま、何かを思い出しじっとうつむいた。

怒りの目を向けた母と違い、悲しそうな表情が、私の心を締め付ける。


「帰るわ……」


目を閉じていた状態からいきなり立ち上がったとき、足元がふらつき、

お母さんは作業台にもたれかかるようになった。私はすぐに立ち上がり、

大丈夫だろうかと手を伸ばしたが、その手はすぐに払われ、体ごと拒絶される。


「触らないで!」

「母さん、何するんだ」


ふらつきその場に倒れたのは私の方で、隣にいた蓮はすぐに私のところへ来ると、

心配そうな顔で、大丈夫かと問いかけた。

笑顔で平気だと答え、上を見ると、お母さんの腕をつかんでいたのは、菊川先生だった。


「節子……また同じことを繰り返すわ。幸と同じことを蓮にもするつもり?」

「登美子……」

「話を聞きなさい。私だって確かに初めて聞いたときは驚いたし、
出来たら別れて欲しいとそう願った。でもね、彼女を知れば知るほど、
そんな自分の考えが間違っていることに気づいたの」


菊川先生はお母さんの腕をつかんだまま、言いきかせるように何度も小さく動かした。

私のところへすぐに寄り添った蓮のことを、お母さんは寂しい目で見続ける。

怒りよりも深いその哀しさが、18年の時の重さなのだろうか。


「二人を突き放したらダメ。あなたにとってもチャンスなのよ」


その場で急に飛び出た言葉なのだろうか。『チャンス』という意味が、私にはわからなかった。

隣で寄り添う蓮も、どこか不思議そうに菊川先生を見ながら、二人の緊張した空気を感じ取る。


「節子、幸を取り戻せるチャンスなんだから……」


18年も前に亡くなった幸さんを、どうやって取り戻すと言うのだろう。

今まで哀しい目で私を見ていたお母さんは、力が抜けたように座り込み、

うつろな目のまま唇を少し噛むと、全てを遮るように顔を両手で覆った。





26 思い出の積み木 へ……




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コメント

非公開コメント

ちょっとずつ、ちょっとずつ

おはようございます!!e-441

一気に全部というわけにはいきませんよね
心の奥底にある事なら尚更
右から左へはいどうぞ…なんて

蓮君のお母さん、心臓が悪いって言ってたから
話を聞いたら具合が悪くなるんじゃないかって
ちょっとドキドキしました
そんな事にでもなったら敦子さん、また気に病むだろうしね

蓮君がすべてを知ってるって言った時
お母さんは「何を知ってるって言うの」と言いながら
ホント、目の前が真っ暗になって倒れそうになっただろうね、実際ふらついてたし・・・

この話し合いでも緩衝材の役割を果たしてくれる
菊川先生がいてよかったって思いました
「最後のチャンス」といった菊川先生の言葉が分かる気がする

お母さんは心に溜まった澱を吐き出す事が出来るでしょうか?

そう簡単にはね

mamanさん、こんにちは!

>一気に全部というわけにはいきませんよね
 心の奥底にある事なら尚更
 右から左へはいどうぞ…なんて

18年という時間がありますからね。
敦子と蓮の付き合いについて、
まだ、何も知らなかったわけですから。
節子には、驚き以外の何ものでもなく……。

>お母さんは心に溜まった澱を
 吐き出す事が出来るでしょうか?

これから節子がどんな態度に出るのか、
次回をお待ちください。
もう少し、お話は続きます……

節子と登美子

yokanさん、こんにちは!

>全て分かったと思ったのに、
 まだ二人の知らないことがあるのかしら・・・
 お母さんと菊川先生だけが知っている何かが・・・

菊川先生が言った『チャンス』の意味は、
次回でわかることになります。

突然、二人の交際を告げられた節子の思いが、
どこへ行くのか……も、次回(って、全部?・笑)

もう少しお話は続くので、お付き合いくださいね。